←戻る 宗論はどちら負けても釈迦の恥 

優劣はない

武術のほうでウンザリするほど御承知のとおり、流派の優劣を論じるのは無意味です。まして仏教は、宗教というより哲学であって、自分がよりよく生きるための、ものの考え方なので、人の数だけ道がある。
ただ単に違いを知っておいて、参禅する時の目安にするという程度。

 臨済宗(りんざいしゅう)
武道など芸事のためにやる禅は、だいたい臨済宗です。鎌倉幕府、室町幕府、雪舟先生、鉄舟先生、曹玄先生など、有名どころの多くが臨済宗だったりする。
柳生家の話は言うまでもないですけど、沢庵禅師の書は茶室に飾るものとしても珍重されてます。臨済宗の開祖が宋から茶のタネを持ってきたので、茶道も臨済宗寄りです。
喝!と叫んだり、いわゆる禅問答をやるのも、だいたい臨済宗です。一休さんも臨済宗。武道でも強い人は少し奇人変人くらいのほうが、いかにも自由で豪快ですけど、入門を許してもらえなかったから腕を斬り落としてみせたとか、公案の回答として師を殴ってみせるとか、そういう雰囲気はだいたい臨済宗が継承してます。
臨済宗は、禅と密教の両立ですが、密教をあんまりやらない所もあります。やるとすれば台密です。臨済宗と曹洞宗、どちらの開祖も最初は天台宗で修行なさった。
臨済宗と曹洞宗は、俺が見た限り、大変に仲が悪いです。けれど、曹洞宗が好きな俺も、武道をやる人に対しては、自信をもって臨済宗のほうをオススメします。曹洞宗の開祖も、一時期は、臨済宗の寺にいました。

 曹洞宗(そうとうしゅう)
洞は洞山良介禅師のことです。「とうざん」だから、曹どう宗と読むのは間違い。洞山正宗ともいいます。洞家と書く場合、しばしば「どうけ」とフリガナがふってありますが、正しくは「とうけ」または「とうか」。俺の武術のほうの師は「曹ド宗」と言うんで、忠告したんだけど、言い慣れちゃってるみたいで、しばらくするとまたドに戻っちゃう…。
曹は曹渓山慧能禅師からきてます。曹山本寂禅師の曹だという人が圧倒的に多いけれど、道元禅師は曹山本寂禅師の系統ではないうえに、この人の教義を批判なさってます。
仏教は、いくつもの宗派に分かれていて、その宗派内部にも、なになに寺派という派閥がいくつもあったりしますが(日本の仏教全体で150以上。臨済宗はざっと14派ある)、曹洞宗の場合、開祖がそういうことを大変嫌っていたので派閥がないとされてます。
じつは一時期、三代相論という分裂があり、永平寺と別れた流れがありました。曹洞宗から独立して宗派超越の立場をとった三宝教団や、中国僧が帰化して始めた曹洞宗心越派というのもあります。そのほか新宗教もいくつか生まれました。
曹洞宗は権威とか有力者に接近したがらない宗派で、地方武士や農民に広まりました。
中国には中国の曹洞宗があります。あの少林寺がそうです。
日本の曹洞宗は坐禅しかやらない、ということになってますが、どういうわけか曹洞宗と真言宗は相性がよく、真言宗の寺を曹洞宗の僧侶が引き継いで、今までやってた現世利益の祈祷の行事などはそのまま続けているというような例があります。俺が修験道でお世話になった寺もそうでした。

 達磨宗(だるましゅう)
日本達磨宗。平安末期ごろに独学で禅を悟った人が始めたもの。仏教は、特に禅は、伝統や形式を正しく継承することを尊重するので、達磨宗は異端で邪道とみなされ、特に延暦寺や興福寺に迫害され、曹洞宗に吸収合併されました。

 黄檗宗(おうばくしゅう)
禅は鎌倉仏教ですけど、この宗派は江戸時代になってから明の高僧が渡来して伝えたもので、戒律厳しく、密教や念仏もやります。
野菜や調理法をはじめ、中国文化をいろいろと日本へ伝えたことで、歴史的に重要な役割を果たしました。
あまり知られていない宗派ですけど、坐禅会をやってる寺は意外と多い。中国色が強く、建物も中国風です。中国武術やってる人には向いてそう。
明治まで臨済正宗と言ってたくらいで、だいたい臨済宗に近く、中国では臨済宗で通るといいます。明治初期の宗派統廃合の時、臨済宗に併合されたこともありました。
ただ、日本の臨済宗が日本で独自に発展して、良くも悪くも本来の臨済宗と違うものになっているという意見があって、本場の臨済宗を持って来て新風をおこしたことに黄檗宗の意義があるのだ、なんて言われてます。
だから、日本の臨済宗とはあまり親しくしないみたいです。系統が近いっていうのは、近いからこそ違いを主張するもので、武道にもよくあることですよね。
しかし、蕎麦屋のカレーもインド料理店のカレーも、うまいことにかわりはない。優劣はなくて、いろんなものがあることを喜ぶべきです。

 

こまかいことを言えば、日本の仏教はどれも、少なからず本来の仏教から逸脱してます。俺はそれでいいと思う。今どき原始仏教をやると、怪しげなカルトになってしまう。
ケバい色に塗られた仏像を見て信心が起きるかっていうと、この国では、そうでもないと思うし、最初は極彩色や金ピカに塗られていたものが、何百年もたつうちにあせたりハゲたりして古ぼけていることさえも味になっている、その長い時間によって我々の生活になじんで定着している、そういうものだと思うんですよねえ。

 普化宗(ふけしゅう)
坐禅はせずに、尺八を吹く呼吸が禅であるという考え方です。明治に廃止され、臨済宗に吸収合併されたけれど、京都の明暗寺ほか再興されてます。
時代劇によく出てくる虚無僧がコレ。楽器のページに少し書いておいたので、そっちへどうぞ。
武道やってて禅をやるなら、尺八をたしなむという方向があるということは選択肢に入れてください。剣や合気をやる人にすすめたい。俺は金管しかやってませんが、吹奏楽器は武術の(特に精神面や丹田法の)極意の宝庫であるということは断言しておきます。
 ※追記
楽器としては、俺も始めてしまいました。初日から音は出ましたが、たぶん一生かかる。面白いです。

 法相宗(ほっそうしゅう)
これは禅の宗派にくくられることは少ないんで、すっかり忘れてました…ヤバイ、加筆しときます。
玄奘三蔵法師がコレなんです。
『西遊記』劇中では坐禅対決なんかやってたし、中国へ行って玄奘三蔵法師に弟子入りした日本人が帰国して法相宗を始めたとき、ちゃんと禅も持ってきてる。
これは奈良仏教、南都六宗のひとつ、宗派というより学問。現在のような意味で宗派と言ってなくて、寺が総合大学で、複数の宗派を学ぶのが一般的だった時代に、仏教の学説のひとつ「唯識論」、または、それを支持する立場のことです。
存在とは?原因とは?というようなことを、深層心理学で解釈していく考え方。
楽しいも苦しいも、すべては自分の心の動きが生み出しているのだから、まわりのものはすべて空であり無であり、だからといって、どうせ無意味で虚無だァと投げ出しちゃうわけではなく、机上の空論にならずに、じゃあ一体どう生きていくべきなのか、どう修行すればいいのかという、わりと実践的な方向。
修学旅行で薬師寺へ行くと、ものすごく説法のうまい和尚さんから、ありがたいお話を聞かされますが、あれです、ああいう哲学的なやつ。
日本に火葬を普及させようとしたのも、この宗派とされてます。

 天台宗(てんだいしゅう)
有名な比叡山延暦寺ですが、日本の仏教の総本家みたいな所で、法華経も浄土信仰も密教も何でも取り揃えているから、禅もあります。ただし、世間一般的な禅とは違う種類の禅であり、「止観」といいます。
禅は、5代目の宗家のあと2系統に分かれました。北宗(北方禅)と、南宗(南方禅)です。
北宗では、悟りには順番がある。初級だけで4段階あり、基礎から応用へ、単純から複雑へと、知恵と共に進んでいくものと考える。
南宗は、初心者だろうが在家だろうが、悟る時は一瞬で悟る。
北宗は武則天に絶賛されて国家の庇護を受けましたが、南宗はそういうことを嫌う。北宗は早くに衰退し、現在の禅はほとんどが南宗です。
珍しい北宗を継いでいるところが、さすが天台宗ですが、日本の天台宗の場合、中国の天台宗とも北宗とも違う独自の総合仏教を築いてらっしゃいます。つまみ食いの寄せ集めではなく、全体的にバランスとって、新しい価値や文化を生み出してらっしゃるわけです。

 禅宗
禅をやる宗派を総称して、俗に禅宗と言いますが、この言い方はあまり使わないほうがいい。
禅は正統な仏教であるから、禅をやることを特別と見ることは間違っている、これが仏教だ、説明しようがないから仮に禅と呼ぶのだ、という考えです。
曹洞宗はもともと曹洞宗という言い方すらせず、「正伝の正法」と称してました。あえて言うなら禅宗ではなく仏心宗といい、自分の中に答えがある、自分の中に本来ある仏の性質に気付く、ということです。これはまるっきり『猫の妙術』ですよね。

 金剛禅
日本少林寺拳法も禅です。詳しくはこっちに書きました。
この団体では拳法によって禅を具現化するので、坐禅には否定的だそうです。
拳法が禅なのだから、ほかの禅をやったら拳法の価値を否定することになるだろうし、あれだけすぐれた青少年教育システムなら、坐禅をやらなくても坐禅と同じ効果が得られるのでしょう。

 

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