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坐禅の話を常設コンテンツにしたのは、お問い合わせを頂いてもお返事しにくい、やるならこれだろう、このくらいにしとけ、ネット上の見ず知らずの人に特定の方法をおすすめするなんていう無責任なことをして許されるとすればここまで、という意味で坐禅なんです。

武術には、この分野は、確かに必須です。精神面だけでなく、すべてが実技に直接関連している、実戦のための重要事項です。
しかしそれは、伝統武術だったら、ちゃんと教程に組み込んであるから、いずれ必ずやる時が来ます。
空手や柔道のような、組織としては比較的あたらしいものや完全にスポーツになったものでさえ、立禅、脱力、浜辺ランニング、石段ダッシュなど、やり方は違っても同じようなことを目的にする課題が用意されてます。

それをやれと指導者が言わないのであれば、その指導者がアホかもしれぬという可能性よりもはるかに高い確率で、あなたはまだそれをやる段階ではないか、やるとまずいのでやらないほうがいい状況にいる。

何だって、やれば素晴らしいですよそれは。サッカーでも釣りでも、ももクロの応援でも、人生に必要なものはすべてここから教わったとかなんとか言うんでしょ、やってる人にとっては。
坐禅だけが特別に偉いわけではなく、坐禅以外のものは、あなたの師(武術の師。あるいは将来あなたが師事することになるオカルト方面の師)が、きっと困ることになるだろう、あなたはそれでよくても、俺にとっては気の毒すぎて堪えられないということです、余計な二度手間が増えるのがわかりきってるから。

…という趣旨には逆効果の話かもしれませんが、分類について。

流派や団体や指導者によって考え方もやり方も少しずつ違うのは、何の分野でもだいたいそうなんですが。

こういう神秘的なことの指導者は、とかく、大昔から伝わってきて由緒正しいとか、密かに伝わってきたから知られていないとか、長年の工夫により独自に編み出したとかで、オレ様のとこが一番いい、少なくとも、よそ様を否定しないにしてもオレ様のとこは誰とも違う独特の価値があるぞというのを売りにしているもので。

だから、同じ用語や理論でも意味や解釈が違ったり、その逆、あるいは、対立する概念の両方にまたがって包摂するもの、両方を否定や折衷して中間的なものがあったりする。

というようなわけで、分類とか種類分けということはほとんどできないのですが、禅がどこらへんの位置なのか、おおよそだいたい、駆足で。

 動功、静功

まず、積極的に体を動かすものと、ほとんど動かないものがある。

動くものは、命修(肉体の改善)が中心で(といっても同時に精神も調整してるんですが)、体操というか特殊姿勢、たいてい姿勢維持により、筋骨鍛練や内臓(特に心肺)を強化し、血行から気まで循環系の促進をねらう。
仙遊功、山内式など、肉体だけではないにしても、どちらかといえば肉体を鍛えることによって精神もスッキリという順番。

動かないものは、性修(精神の改善)が中心で(これも内臓や内分泌に働きかけているんですが)、主に呼吸によって、心の安定、集中力や判断力の強化などを促す。
頭脳や知力の向上に特化した智能功や求聞持法などもある。この先に、感覚や創作活動に関するものや、いわゆる超能力開発(と称するもの)がある。

この中間に中間的なものもあり、静動功とか動静結合といって、動く動作と止まった姿勢が両方あるものや、きわめてゆっくり動くもの、どちらとも言えないようなものもあります。

そのほか、あまり知られてませんが、保健功(自己按摩による精神調整)というのも重要な1ジャンルです。

 姿勢、呼吸、内観

具体的にやることは主に3方向、姿勢(坐法、アーサナ)と、呼吸(プラーナーヤーマ)と、内観(瞑想というより意識の持ち方。ディヤーナ)です。
これらは相互に関連してますが、ジャンルによっては一部をほとんど全く無視したり、バランスよくやるにしても、しいて言えばどれに重点を置くかというのが違う。

姿勢重視は、ヨガ(美しくなりたいが運動や我慢や努力はイヤだというバカ女から金をまきあげるための、ヨーガもどきのストレッチ教室)、(実戦を想定しない、健康体操としての)太極拳、峨眉剣(の体育部門)、易筋経、導引(八段錦、華陀五禽戯)、外丹功、霊元功、肥田式、真向法などがある。拳法でいうと站トウ。

呼吸重視は、ヨーガ(本物のヨーガ、特に奥義部分)、吐納法(内養功、強壮功、陳家門功)、合気系の武術、スーパーメディテイションなどがある。
呼吸法だけでもひとつのジャンルになっていて、胸式、ウジャイー、腹式、逆腹式、丹田法、完全呼吸、ハタ、出歯止、シータリー、火の呼吸法、バストリカ、カパラバティ、真言法、六字訣、西野流、二木式などがある。
そのほか、カラオケや詩吟から、ゴム風船や吹矢まで、呼吸による健康法というのは多い。

内観重視は、存想・存思(補気養生功、恵明金丹神功、スポーツ用のイメージトレーニングのたぐい)、放松(呼吸と意識によるリラクセイション)、波動法、行気功、天山遊飛功、瞑想・観想その他(西洋魔術、阿字観、静座法、チャネリングのたぐい)などがある。
密教は何でもやりますが、法力を左右するのは結局この部分です。敵を想定しないで居合をやっても全く稽古にならないのと同じ。古神道は流派にもよりますが、どちらかといえば、ここ。

 

ほかに、日本刀(真剣)を使って意識改革するもの、月光や滝や風水的に都合のいい場所など特殊環境でおこなうもの、自然界からエネルギーを吸い取るもの、性行為の相手からエネルギーを吸い取るもの、食事によるもの、猪木だの麻原だの偉い人にパワーを注入してもらうなど、外部を利用するものがいろいろある。

 系統

出自でいうと宗教系と武術系がある。
宗教系には東洋医学、道教、仏教がある。一説には儒教系もあるというが聞いたことない。
武術系は、宗教系から来てるものが多いが、そうでないのもある。

東洋医学系は、養生法のたぐいが大量にある。気功でいうと通慧功など。
長い年月をかけて自分を調整し続けていつも健康で長生きというものと、他者を治療する鍼灸、指圧、双極、他者を治療すると称する外気とか手かざしのたぐいがある。

道教系は、陳家門気功、六乙鉄生功、大雁、内丹いわゆる周天法(大小)などがある。
流派も多いが、やり方も解釈も根本的に違うのが特徴です。

仏教系は、各種密教のヨーガ的なもの、印形、真言(呪文というより呼吸とバイブレイション)、禅、禅密功、香功、仏門気功など。
やることはほとんど同じで、細部がことごとく違うのが特徴です。九字の切り方ひとつで、流派どころか、指導者個人を特定できるくらい。

武術系は、なんといっても中国武術に、圧倒的な教程がある。
日本の古流武術にも、すぐれた鍛錬法やメンタルコントロールが各種ある。特に剣術は禅と全く同じものになってます。居合や柔術や弓術も、実技がそのまま禅や気功と同じことになっているものが多い。

 新旧

歴史的には3種類です。伝統的なもの。つい最近、新しく創作されたもの。昨日今日つくったばかりなのに、大昔から伝わってきたようなことをほざいて騙すもの(これが多い)。
この問題、武術でもよくあることですが、難しいです。

伝統的というのは、昔ながらのやり方という意味なので、その民族が確かに大昔から漠然とやってきた民間療法のたぐいがあったにしても、整理体系化されテキスト化されたのは19世紀くらい、先進国に紹介されたのは20世紀末なんてことがよくある。
なにしろインドや中国は何千年という話なので、本当にそんな昔から伝わってきたんだったら、それはかなりシンプルな骨格部分ですから、バッハの曲のような感じで、ものすごく解釈が分かれたり、どうにでも応用展開できたりするので、指導を受けてもあんまり役に立たなくて、結局は自分で原典に触れて体験から見出すよりしょうがない。

新しいものは、よほど自分のやってきたことに自信満々の指導者(たいていそうだが…)が独自に編み出した全く新しいやり方というのもないこともないのですが、一応は、伝統的なやり方を土台や参考にはしています。
それは、伝統的な方法を極めてからやってる人と、伝統的な方法の表面だけつまみ食いして寄せ集めた人がある。
つまり、奥義へ到達できなかった人が、コンプレックスをごまかすために指導者を名乗りたがるうえに、挫折する手前まで体験した部分を、その人にとってやりやすかったように組んでしまっていることがよくある(やりやすいことと効果があることは違う)。
昔と今、中国人と日本人は、生活が違うのだからと、現代の日本人むけに改変したというような、善意でやってる新方式もある。ただ単に、自分が元祖本家の宗家になりたいだけで、変えなくていいとこまで全部、独特のやり方にしたがる人もいる。

というようなわけで、伝統的な方法と新しい方法は、あんまり区別がなかったり、似たようなものだったりします。

それよりも問題なのは、普及してからの期間、もっと正確に言えば修業人口です!

 危険度

太極拳のように、老若男女あれだけの人数がやっているものは、どこをどうするとどういう副作用が起きるか、起きたらどう対処するかということが確立してます。
ちょっと思い付きで作って、たかだか創立10年程度のものは、生徒数も数十人だから、あなたが最初の症例になる可能性が高い。まだ生体実験中なわけです。
指導者も経験不足だったり、どうかすると、やってるうちに理論がどんどん変わってきたりするから無責任です。

体操のように動作をやるものと、瞑想のように座って動かないものは、方法論の違いですが、ものすごく大きな違いがある。
後者のほうがはるかに危険が大きいんです。
体がふるえて勝手に動きだして止まらなくなる、幻覚、幻聴、神憑かり、失神、呼吸困難、頭痛、めまい、消化不良、嘔吐、失禁、不眠など。
これ自体は一時的な現象なんですが、ほうっておくと確実に本物(精神的な病気)になってしまいます。

坐禅は、そういう危険がありません。全くないと言ってよろしい。足がしびれるのが関の山。
体を動かさないから、動かし方を暗記する面倒がない。超常現象お断りだから、キチガ○の後始末もいらない。
要するに、
坐禅というのは最も何もしない方法と言えます。

 

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