稽古、指導

「足元を見ろ」
武術の世界では、「相手の弱味につけこめ」という意味で使う言葉ではない。
もともと禅に「照顧脚下」「看脚下」という用語があり、「足元に気をつけろ」「脱いだ履物をきちんと揃えろ」、その心は、「おのれ自身をよく省みろ」という意味。

「アモァグリィー」
わざと外国語なまりで言う。中国拳法の技法を、空手の理論で使ったりすること。アマチュアの甘ちゃんグリグリ、などとも言う。
天津甘栗を日本に持ってきて植えても日本の気候風土では大粒の栗になってしまって天津甘栗にならないという龍老師の教えが語源。本場の師につかなければ極められないという、たとえ。
武術には民族とその気質や歴史や、文化や宗教や世界観や、生活習慣や気候風土や食べ物まで、さまざまな土台や背景が全部関係している。

「荒ごなし」
地稽古の前に、まず、基本動作の反復、素振、懸稽古などで、バテバテに疲れておくこと。そうなっていない者には、しごいて、強制的に疲れさせてやる。
若さの腕力で強引にやれば、偉い先生に対してほぼ互角にやれてしまうので、それでは先生は格好つかないから、先生の名誉のためにやる…ということになっているが、それは表向きの理由で、じつは自分の上達のためである。疲れた状態で稽古することは、技の効率化、特に、悪い癖を抜くことに絶大な効果がある。
『長時間バットを振り続けると、疲れた体は少しでも楽をしたいという動き方をする。実はそれが、自分に最も適したバットの振り方なんだ。疲れていても振れるスイングを、元気な状態でしてごらん。技術というのは、そうやって覚えていくもの。だからこそ、投げ込みやバットを振り込むことが必要なんだよ。』(落合博満)。

「いざよい」「いざり」
これです。

「一に稽古、二に稽古、三四がなくて、五に景子」
『8時だヨ!全員集合』の前半が、相撲部屋の肉襦袢コントの時、その舞台セットの後ろの壁に、誰も気付かないかもしれないし劇中でも触れられなかったけれども、なにげなく貼紙されていたというネタ。
このたぐいは山ほどあり、けい子という名前の子はネタにされたものだが、最近は子のつく名前自体をあまり見かけなくなった。

「一生多殺」
一人の選手を伸ばすため、周囲に我慢してもらうこと。特に、初心者に対して、素質があるとか向いているとか、おだてることをいう。
スキーでもゴルフでも、初心者は必ず誉めてあげることになっているが、初心者はそうとは知らないので、「私は筋がいいって誉められたよ」とみんなに自慢して回り、周囲は辟易しつつも業界の底辺を広げるために我慢しなければならない。

「移動」
技の練習は、移動せずに正確さを追求する「その場」と、足さばきも加えて動きながら行う「移動」がある。
移動せずに技を出しても意味がないと考えるジャンル(剣道、形意拳など)では、稽古場所(会場)が一定でないことを移動稽古と呼んでいることがある。

「イヤーン」
歩法の締めのこと。背負い投げでも正拳突きでも、技の瞬間は内股気味の立ち方をしていなければ力が集中できない。中国武術では股間を蹴られる危険があるかどうかをとても気にする。股が開いていると、イヤーンしていないぞ、という。

「ウォンテッド」「カパカパ」
女性の乳房を突然わしづかみにすること。反撃のある実戦的なジャブの練習法として、女性同士でよくやっている。
ウォンテッドは昭和50年代の言い方で、歌謡曲が語源。カパカパは空手の練習法として、男性客がホステスさんに対してやるもので、種村季弘さんのエッセイに出てくる。

「浮子」
指導員ではない大人の会員や、他団体の人が、子どもさんの練習時間中に手持ちぶさたでいること、またそうしている人。
熱心な人は子どもに混じって同じ課題をこなす。指導員が「子どもたちに稽古をつけて頂けませんか」と声をかけることもあるが、お互いに放っておくことが多い。
ヤクザ用語では「ケツでもいじる」「握り金玉」と言い、自分の体にさわる以外やることがなくてヒマの意。

 

 

 

「ウソッパチ」
夏に剣道で、中耳炎とかアトピーを口実に、面をつけないこと。病気自体はウソではないにしても、症状は軽い。
ハチは鉢で、兜の意。この言い方には、本物の軍用ヘルメットを(樹脂製でも)鉄パチ、サバイバルゲーム用のレプリカのヘルメットをウソッパチと呼ぶ自衛隊の風習が背景にあるという。

「腕立て部」
朝練に遅刻したら1分につき腕立て伏せ10回などというペナルティを設置すると、逆に言えば、俺なら30分までは遅刻できる、ちゃんと自分で責任を取っているから遅刻しても文句は言わせないぞ、などということになり、遅刻するなという目的からズレてしまって、生徒がズラッと並んで腕立て伏せをやっている不思議な図になっていること。中学の剣道部に多い。
安直な顧問が、道を教え諭すことをしないで、懲罰で人を動かそうとすると、こういうザマになる。

「閻魔帳」
欠席・遅刻のランキング表。部活をサボった回数を、プリントして定期的に配る。親に配る場合もある。
顧問としては発奮させるためにやっているのだが、生徒は、試合に勝つ子が必ずしも皆勤でないことに気づいて、努力に疑いを持つことがある。

「遠慮しとく」
命令してるのに遠慮すること。
套路をチェックするからやってみて、打ち込み10往復どうぞ、などと指導者が言っても、僕はいいです、と断る(笑) 大人の初心者に多い。

「追い込んである追い込み」
打撃系の懸稽古の一種。
前進しながら連続で各技を出し、元立はひたすら下がって反撃しない稽古を「追い込み」と言うが、反撃の余地を与えない積極果敢な攻撃の練習であるから、反撃できるならいつでもしてよいということにしておこなったほうが練習になる。これを、自分を追い込んでから追い込むなどと言う。

「仰せつかりました」
歯をくいしばって言う。たとえば偉い先生のお子さんが小学生くらいの兄弟で、親と同じ道場に来ていて、兄のほうが、「うちの弟の着替えを面倒見てやってくれませんかネ」などと言った時に、お前がやれやとは言い返しにくい。
その口のきき方はなんだ、親が偉大だからといって天狗になるな、と、厳しく叱りつけて、あとで父親から、よくぞ叱ってくださいましたと誉められたなんて話も聞くが、そんな物わかりのいい父親ならば、てめえの子のしつけくらいとっくにやってるはずであり、たいていは、若僧のくせにいっぱしの指導者気取りか、人の家の教育方針はほっといてくれ、とかなんとか言われる。それもまた、はい仰せつかりましたである。

「オカルト」
初心者が、自分は強いとウソをついているうちに自分でも信じてしまい、現実的な練習から遠ざかり、神秘的な奥義や秘伝を好む状態。中国武術用語。
その他、ある種の呼吸や動作が技の起こりを封じて相手を居つかせることができるとか、それが心理学や生理学としても理屈にかなっていて正当な武術の奥伝として実在するものでも、とにかく神秘的なものはすべてオカルトと総称されている。

「オバサン流」「一般式」
疲れたとか痛いとか言い訳が多く、勝手に休んだり帰ったりする成人会員。学生や男性に対しても使う。
指導員より年上だったりして、あまりスパルタができず、強要すると来なくなる。

「オメコ」
メは面、コは小手。剣道で攻撃が不充分だったとき、ただちに連続技が出ないこと。
技が出終わった瞬間は双方にとって大チャンスであり、ここを攻めないのは大バカ野郎だが、わかっていても一息ついて休みがちで、どうした、ゆうべの疲れか、などと言う。

「お礼参り」
入賞や昇段の直後、日頃御指導頂いた先生すべてに稽古をつけてもらいに行くこと。これをしないと、都合のいい時だけ愛想がいい奴、と言われる。
負けた選手が、相手選手の所属道場を訪れて練習に混ぜてもらうこともお礼参りと言っている。

 

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