ツンの根底にデレがあり、
 それだけでよくて
 そのあとにデレは永遠にない

内出血の血抜きやら、膝の水抜きやら、打身捻挫のレントゲンやら、俺が年がら年中お世話になってる開業医の所の看護師さんが、見た目と身長はモー娘矢口さんみたいな人ですが、じつにタンタンとしているので、俺はものすごく気に入ってます。
いつも、「ここに、うつぶせになります」「手は曲げて上に向けます」というような言い方をする。「はぁーい、うつぶせになってくださいねぇ」じゃないんです。そんな媚びたようなことは、たぶん御自分の彼氏にも言わない。「うつぶせになりなさい」とも違う。もう、そういうことになっている、決まっているんだから、そうするのが当たり前なんです、という感じに言ってくるから、ああそうですかと恐れ入るしかない。
手に包帯を巻いてくれる時なんかは「この手は、かなり大きいほうです」などと、業務に関係ないことも言うので、「ナースさんの手はものすごく小さいですね」などと返すと、「私は、小さくていいです」などと、会話がかみあってるんだか、かみあっていないんだか、それでアッサリ話が終わってしまう。まったく無表情。
職務に忠実で、色気を売り物にせず、すべてを見すかしていて、ただタンタンとこなしていく、この
貫禄というか、毅然とした意志のような、こういう強い女がかっこいいなあと思う。
だから、こういう人がデレデレしてくれたとしても、ひとつもうれしくないし、こっちとしても、この人とデレデレしたいとは思っていなくて、この小気味いい生きざまを見てるだけで気分がいいっていうだけなんです。
ここで重要なことは、SMとは違うということです。注射をくらう時は、こちとら注射大嫌いなんでビビっていると、「この注射は、効きます」「静注は、得意です」などと、言ってることは事実だけを言ってるんだけれども、遠回しに、俺の不安をやわらげるようなことを、言葉を選んで言ってくれるわけです。無愛想で、ニコリともしないけれども、心根が優しい。いじめようとか悪気とかは全くなくて、心の底には親切がある。でなきゃ、医療なんて職業を選ばないだろうし。
つまり、優しいのだが、やってることがちっとも優しくない。優しさを安易に配付しない。
あんまりくわしく書くと、誰なのかバレてしまいますが、ここのドクターってのも同じ雰囲気です。シップ張っても痛みが引かないですとか言うと、あー、こりゃもうダメだね、手遅れだね、助からないね、でもまあ、あと1回くらいは桜を見られるかもしれないね、とか言う。とても医者の発言とは思えない。俺はあちこちの医者へ行ってから、ここを主治医に決めましたが、このノリが気に入ってるから、ここにしたんです。

 クールということ

『太陽にほえろ!』『必殺仕置屋稼業』『必殺からくり人富嶽百景殺し旅』などの沖雅也さん。仲間に対しても容赦なく、結局は助けてくれるんだけど、はい、どうぞー、みたいな親切ではなくて、いつの間にか手助けしてくれていて、あとで御礼を言われても冷たく無言だったりする
磯野貴理子さんが弁護士か何かの役をやった時も、そんな感じでした。だいたい、お笑い系の人はしつこく芝居をやりすぎる人が多くて、山田邦子さんとか久本雅美さんとか、そこまで臭い芝居しなくてもいいのにってくらい演技が大きいのだが、磯野さんは何もしないで目だけで語るような、田村正和さんみたいな演技をする。

 孤高の優しさ

もうひとつ、千鳥姫からの伝聞なので題名わすれましたが、絵本で、シベリアンハスキーかなんかの一人称で進んでいくのがある。なんとか君ちのいばり犬?というようなタイトルだったと思うけれど。
この絵本では、飼い主の小学生くらいの少年を、犬が、ひたすらバカにしてるわけです。オレはちゃんとしてるが、飼い主の少年は自分のことも満足にできない弱虫だというようなことを、犬が自分と比較して、犬の言葉で話が進んでいく。
それで、その少年が風邪ひいたんだか何だかして、その犬が、
早く元気になれ、また一緒に遊んでやる、みたいなことを言うんです。
これです。こういうのが好きなんだよなあ。

 

 矜恃が高慢チキ

デーモン閣下は、なんたって悪魔だから、人間ごときに対して感謝なんかしない。「口が裂けても有難うが言えない人」と著書にも書いてある。
ただ、ときどき、「まあ、なんだな、みなの者、御苦労だったな…」というようなことを、とってつけたように、ちょっと言う時がある。これが、なんだか
かわいげがあるんですよ。いばってるのに、かわいくて笑える。
俺の友達や歴代彼女は、こんなのばっかりです。何か買ってやっても、「いい心がけだ」なんてことを言う。
本当に強くなくてもいいんです。強くあろうとして、ムキになってがんばっていて、よりかかれよと言っても、あんまりよりかかってこない。
こういう、鼻っ柱の強い女でなければ、俺の彼女は勤まらん、というくらいに、こっちも男を磨いて、お互いに高めあっていこうというのが、ツンノミの目指すところです。2006年9月19日、まだネット上にツンノミという言葉はないと思う。これから流行るぞ、見てろ!(流行らない、流行らない)。

 追記 1

ツンデレのデレは、こっちがデレデレしてるという意味のデレでもあるので、対象はツンだけでもツンデレというのだそうです。
あんたしっかりしなさいよとか、ズケズケものを言う女性に対するモエモエでも、ツンデレらしい。
叱ってくれる、くすぐったさのような。
ツンノミもツンデレに含まれていたわけだ。さすがオタク文化、奥が深〜い。

 追記 2

…と書いてから、その後、いろいろ勉強したんですが、よく聞いてみると、ツンデレとツンノミは、やっぱり違う!
ゆーぽんさんから、実例を山ほど挙げて、とても詳しく御教示いただきました。ありがとうございます。ツンデレというのは、狭義には、「
素直に好きと言えない女性が、好きな男性に対して、気のないフリをする状態」のようです。
弁当を作ってきた、わざわざ作ったのではなく父に作ったついでだ、コンサートに行かないか、勘違いするな、チケットが余っていてもったいないというだけの理由だ、イヤなら無理にとは言わない、クリスマスイヴに一緒にすごしてあげてもいい、ヒマそうでかわいそうだからボランティア精神だ、とかなんとか。
おいおい(笑) それは中学生くらいの恋愛によくある、「友達以上恋人未満」でしょ。ただの不器用だよ。告白はしていないが、こっちを好きだということはうすうすわかっていて、なんだかんだと関わりあいを持とうとしてくる? そーんな都合のいい、あからさまな、わかりやすいのはダメダメ(笑)
そもそもドラマ的だ! 視聴者がヤキモキするように、じれったい進展になってるわけでしょ。
意地を張って照れていて言い出せずにいる姿を、ケナゲでかわいいと思ってるんだったら、なんでこっちからすぐに告白してあげないんだ? ズルい。女性を困らせて楽しんでるのかバカ〜。
ツンノミっていうのは、好きなら好きと、あっさり言う人なんです。
ごく冷静で、自分のことくらい自分でコントロールできる、または、そうあろうと望んでいる。
だから、その人が
ツーンとしてるからには、もう、本当にただ単にツーンであり、深い意味なんか、なーんにもない
恋してるせいで本来の自分が出せず、好きな人の前ではツーンになってしまうっていうんじゃなくて、もともとツーンなのがかっこいいと言ってるんです俺は。
片思いでツンノミだとすれば、片思いしてるのは、こっち側のみでなければならない。
こっちとしては少なからず好感を持っているが、むこうはこちらに関心がなく、告白したとしても断られるということがわかりきっているから、こっちとしても好きにならないようにしている、しかし、その人は優しい人であるがゆえに、恋愛対象ではない者に対しても優しくて、普段なにげなくやっている行動にも優しさが感じられて、しみじみありがたい、そういう、一方通行で通り過ぎていく別の人生が、偶然こっちの人生と点で交叉した瞬間のような、ほのかな状態が美しいと言っているんです。
シンプルとかストレートということならいいが、安易で安直なものは、間に合わせのまがいものであり、陳腐で醜いのだ。うちの日記はすべて、そういう価値観で評論しております。

 

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