従軍章

戦争の参加章。
軍隊のもののほかに、日赤なども独自のものを発行してます。

日本の場合、飾版の使い方が普通でなくて、章に戦役名や年記が入るのに飾版がついたりする。
文字が入る場合、篆書みたいな字体で、横書きならば右から左へと書いてあります。

従軍章は、これがそのまま戦争の歴史だから、徽章を御説明するには戦争の話もきちんとしないと、旧日本軍がやったことを全面肯定してるサイトかと勘違いされちまうので、ちょっと話が長くなります。

 従軍記章「台湾」
台湾出兵の従軍章。これだけは従軍牌とも呼ばれました。
章は銀色、桐紋、「従軍記章」、裏に「明治七年歳次甲戊」。銀鈕。綬は小さめで白地に緑フチ。この時代の緑色は、色あせしまくって、今みると水色に見える。飾版に「台湾」。
琉球の船が台湾に漂着して殺されたので、日本が清に抗議したんですが、琉球が清(中国)なのか日本なのか、まだあいまいだったし、台湾は辺境の少数民族だから清の統治があんまり及んでいなくて清には責任がないというような言い訳するんで、関係ねえんだったら日本が台湾を攻めても文句は言わせねえという口実ができ、日本は台湾を制圧してしまった。このままにしとくと台湾を取られちゃうと思ったのか、清は日本の出兵を正当と認め、おわび金を出しました。

 明治二十七八年従軍記章
日清戦争の従軍章。
銅章に、菊紋、連隊旗を斜交。裏に「明治二十七八年従軍記章」。銅鈕。綬は緑地中央に白線。
飾版らしきものもつくが、文字は書かれておらず、同心角というか重なった四角が線で描かれているだけで、これを飾版というのかどうかよくわからない。
戦利品の大砲を鋳つぶして作ったと言われてます。日清日露の頃はこういうことが多くて、没収した銃で塔を作ったり、いろいろと戦勝を祝った。
朝鮮がどこかの国に取られてしまうと、日本が危なくなるので、その前に日本が朝鮮を取らなければならなかったんですが、朝鮮は清の属国…じゃないけどそれに近いものだったから、清がいちいち牽制してきて邪魔だった。ちょうど凶作で穀物が不足、朝鮮では農民一揆が大あばれ。仲間割ればかりやってる朝鮮軍なんぞに国内をまとめられるわけがなく、国家が転覆されそうな勢いなので、朝鮮政府は清に泣きついて鎮圧軍を出してもらった。そしたら、朝鮮に滞在してる日本人の保護を口実に、日本からも軍隊を出したわけです。

朝鮮は、庭先で戦争されちゃかなわないから、もうおさまった、みんな出てってくれと泣くんだけれども、日本としては、つねづね邪魔な清をこの機会に叩いて、朝鮮からひっぺがしてやろうというわけで、戦争をしかけて大勝したわけです。
あとで清からは賠償金もせしめたし、琉球もはっきり日本になり、ついでに台湾や遼東半島などもかっぱらい、しかも朝鮮は独立国になったので、今後は朝鮮を侵略しても中国から文句が出にくくなった。
清はどうせ腐ってた国で、アヘンで英国とバタバタしたり、フランスとも戦争したばかりで、疲れていたし、漢民族じゃない王朝が西太后みたいなバカの好き勝手になっていて、こんな国はダメだと中国人も思っていたから、もともと朝鮮のことで始まった戦争なんか、清軍は必ずしもまじめにやっていなかった。
たまたま中国が弱い時だっただけです。この程度が中国の実力だと勘違いすると、痛い目を見ることになる。昭和になってから、実際にそれを思い知らされます。

 大日本帝国明治三十三年従軍記章
北清事変の従軍章。
銅の章に菊紋と鳳凰、「従軍記章」、裏に「大日本帝国明治三十三年」。銅鈕。綬は緑地に白線3本。飾版に「清国事変」。
日本が勝てるんだったら俺にもできるわ、と思ったヨーロッパ列強が、清をどんどん切り取り始め、清は北部以外はあらかた各国の勢力下に入ってしまった。ちょうど洪水や旱魃があったりして、清の国民の怒りは、外人(西洋科学文明、キリスト教)が悪いんだというほうへ行き、宗教団体が武装化、大使館などを襲った。
逆効果なんですね。これこそ都合いい口実ができたわけで、日本を中心に8か国で連合軍を作り、中国を袋だたきにして、北京を占領し、また金を払わせ、ますます軍隊駐留を認めさせちゃったわけです。
やるかやられるか、取るか取られるかという時代だから、日本もうかうかしてると食われてしまう、取れるところからどんどん切り取ろうという流れになっていく。
こういう時代に生まれていれば、誰だって、侵略ということに対する意識がマヒしてくると思いますね。
戦争に反対してた日本人も、ちゃんといたんですけど、どんなに正論でも少数意見は通りにくい。戦争それ自体よりも、国論が戦争に進んでしまう人間のサガの勢いみたいなもののほうが恐ろしいですね。

 

つづき 

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