日本の勲章

日本では長いこと、徽章としての勲章という発想は稀薄でした。
名誉や御褒美といえば、位階・官職、領地、名門または偉い人の名前の一部や家紋あるいは衣服のおさがり、名馬、名刀、朱槍、甲冑、茶器、感状(戦場で働きが抜群だったとの賞状)などが与えられていて、衣服や住居(たとえば門の大きさや構造)も身分ごとの形式があったし、刀を差していたり、家来をつれて大行列で通るだけで、身分はわかるので。

日本人がもらったのは、天正年間にキリシタン大名が少年たちをローマに派遣して、感激した教皇から金拍車騎士の頸飾と拍車をもらってきたのが初。
おろしや国酔夢譚の主人公もロシアからもらった。

ドイツの軍艦が寄港した時に、親王(皇帝の孫)が士官として乗っていて、明治天皇に謁見して、この時、大綬のドイツ勲章を親王みずから明治天皇につけてさしあげた。これが、日本の天皇が外国から勲章をもらった第1号だという。

日本では、近代的な勲章は、まず薩摩藩が勝手に作った。
フランスの勲章をまねた星形の記念章をパリに発注し、外人に対する儀礼上の贈り物として万博で配って、珍しがられて大ウケした。

日本国としての勲章は明治政府が制定し、最初は賞牌(勲等賞牌)と呼んでました。
太平洋戦争直後は一時期やめてましたが、金鵄勲章以外はだいたい復活し、今までに340万人くらいが受けてます。このうち、200万人くらいは戦死者。

黒漆塗の箱に入れて支給され、箱のフタには勲章の名前、2等以上だと桐紋などが、金で入る。
箱の内側は、青紫か赤紫の布張りです。

 

 

平成になってから、大改正がありました。いろいろ変わったんですが、等級を減らし、男女分けをやめた。

旭日章と瑞宝章と宝冠章があって、本来はそれぞれ役割があったんですが、時代とともに、あんまり違いがなくなってきた。
瑞宝7等の上が旭日7等、その上が瑞宝6等、その上が旭日6等…というふうに、あるいは女性だったら、瑞宝7等の上が宝冠7等、その上が瑞宝6等、その上が宝冠6等…というふうに、実際は組み合わせて運用されていて、むやみに等級を増やしているだけになっていた。

昔は、軍の階級、位階、軍功、華族制度もありました。
明治時代には、「陸軍大将正二位大勲位功三級公爵」などと名乗った。

さらに褒章もある。
人間をこんなに差別すんな、整理すべきだという話が、以前から言われていたんですけど、伝統ってのは前例だから、なかなか変えられるものでもなかったり、すでにもらってる人も価値が下がるのをイヤがるんで、ズルズルやってきたのが、ついに変えたわけです。

正装した軍人さんの写真を見ると、小綬章だったら、向かって左から、瑞宝、旭日、従軍記章その他という感じに並べていることが多い。
しかし軍人さんは、明治時代だと瑞宝、太平洋戦争だと旭日の、中綬だけをノド下につけている写真をよく見かけます。

軍人・自衛官に対しても、線章ではなく略章がセットになっているのが、日本の勲章の特徴。

星章は左胸あたりにつけますが、向かって左上に菊花、右上に桐花か旭日、左下に金鵄か桐花、右下に瑞宝章というような並べ方。そしてノド下に頚飾か金鵄。
和服ならば、小綬章は羽織ではなく、着物の襟元につけます。

 

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