唯心一刀流関連流派と、他流派との関係
トダ流・・・ トダ流のことを書きはじめると永遠に終わらないので、常時1Gで。 片山伯耆守先生なら片山流とか伯耆流とか、井上外記先生なら井上流とか外記流とか、「名前のどの部分を流派名にするか」という問題がある。 やっぱり、トミタと書いてトダの、富田流との関係?
外他一刀流と直心影流を、合併したものが、直心影流島田派か 島田虎之助先生は、もともと中津藩の人なので、中津藩にあった外他一刀流を習い、16歳の時に武者修行の旅をなさって、25歳から直心影流男谷先生について、30歳から御自分の道場をお持ちになる。 それで、島田先生が海舟先生に与えた伝書は、直心影流とは少し内容が違っているという。 直心影流島田派には、外他一刀流の基礎部分が入っているのかどうか。 子どもの頃から武術やってきて、ハタチまでに身に付けたことって、そりゃあもう、抜けない。
一刀流剣術と、唯心流柔術が、併記されている問題 姫路・山崎・三日月・赤穂・佐渡などに、柔術の唯心流があったという。 赤穂には山下家の一刀流伝書群が残っており、その中に『一刀流剣術・唯心流柔術秘書 全』なんてのがある。 ということは、一刀流剣術と唯心流柔術が、併伝されていたか、セットで扱われるくらいには関係があったことは間違いない。 赤穂藩の一刀流は、小野派以外に聞いたことがない。 一刀流の元になったであろう鐘捲流には、柔術があったとされている(「柔術」としてまとまったものは、後世つけ加えたり編制したりしたのかもしれないが。しかし鐘捲流ほどの古い流派ならば、もともと首掻や抜刀制止がないわけないだろう)。
槍の唯心流は、関係あるのかないのか 唯心流という槍術もあった。 古藤田家は、槍の師範家でもあった。詳細は古藤田家のページ。
天命は、どっから持ってきたのか 今治藩に、天命一刀唯心流という剣術があった。 一説には今でもあるとか、今治ではなく長野県だとかいう。 『天命唯心一刀剣術記』という伝書がある以上、天命唯心一刀流という剣術もあったのかもしれない。 『明良帯録』に、天命一刀流という流派名が載っていて、伊藤一刀斎の一刀流の末、と書いてあるという。
そのほか 篠原采女という人の唯心流剣術というのもあったらしい。 直心影流と鏡心明智流を合わせた直猶心流というのがあり、これの別名が、猶心一刀流(ゆうしんいっとうりゅう)。 無想神伝流居合唯心会は、もちろん流派名ではなく活動団体の名前。 柔術では、起倒流系に、唯心雄心流というのもある。 水戸に、砲術の唯心流、泳法の唯心流もあった。前者は伝書が現存、後者は不明。 棒術には唯一心流というのがあったらしい。仙台藩。 琉球古武術の井上先生も、唯心館、唯心流だという。 これらは無関係だとは思うけれども、資料をお探しの際に、違うのをつかまされないよう念のため。
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