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 正木先生の槍術は、どこから来たか

正木先生は、変離流という槍術の開祖でもある。

  古藤田一刀流に槍術はあった

古藤田家は、一刀斎先生から剣術と槍術を受け継いでいたということになっている。

『本朝武藝小傅』などが言うところの、一刀斎先生や古藤田先生の『刀槍之術』というのは、「剣術と槍術だけ」という意味ではなくて、「室町時代後期の、弓術・馬術以外の、徒歩の集団でチャンチャンバラバラと打ち合う術、全般」という意味かもしれないけれども、だとしても槍は含まれていたはず。

一刀斎先生の時代は、まだ専門流派という特化はあまり進んでいなくて、たいてい総合流派だったし。

もともと古藤田俊直先生は新當流の人で、新當流には槍術がある。
『本朝武藝小傅』では、『好刀槍術』『以刀槍術鳴』とあり、古藤田先生は一刀斎先生に出会う前から槍を好んでお使いになっていたばかりか、
一刀斎先生から刀術と槍術を両方習ったような口ぶりで書いてある。

いずれにしても、古藤田家は、剣術と槍術の両方で大垣藩の師範をなさっていた。

  先意流に槍術はあった

正木先生の先意流に、槍術があったという話は聞いたことがない。

しかし尾張藩の先意流には、槍術もあったという。
のちに付け加えたものかもしれないが。
神道流に槍術はあるのだから、先意流にもともと槍術があった可能性も低くはないと思う。

もちろん、先意流薙刀には鎗相がある。
槍と戦うための薙刀技法があるからには、形の相手役の人は槍を持つ。
薙刀術のためにも、槍術を勉強されるはず。

  正木先生の槍術は、なに流系統の技法か

『武術流祖録』には、『従信田一円斎重次達先意流薙刀得絶妙、』『俊光又達短槍鎖術至妙旨、推曰正木流、』とある。
正木先生の武術は、
薙刀は「先意流」、槍と鎖は「正木流」、というニュアンス。
本当かどうか、わからないけれども、とにかく、そう書いてある。

ただし、これは短槍だという。
薙刀の人がよく言う自慢話に、「薙刀は、突けば短槍にもなる」「突いて、引く時にも切れる」というのがある。
流派にもよるだろうけれども、俺の周囲で薙刀をやってる人は、意外に突く。
卜伝先生も、小さい薙刀は短い槍のようなものだ、というような発言をなさった逸話がある。

つまり、正木先生が新作した短槍術だった可能性もあるのかも。

 

 先意流薙刀と、正木流薙刀は、別

『武術流祖録』は(もちろん実際は縦書き)、
 先意流
     薙刀   正木弾之進俊光
 正木流

…という書き方をしている(弾之進俊光は、正木先生の別名のひとつ)。

『武芸流派大事典』でも、先意流薙刀と正木流薙刀が別の系図になっている。
ここに両者を並べてみる。
御芳名が複数ある場合、俺が今までに見た伝書の原文表記を優先し、別名を添える。

  先意流薙刀の伝系

飯篠修理亮盛長先生 神道流8代。
┗信田一雲齋重治先生
 一説には一円斎、重光とも重次とも。
 ┃┗信田四郎左衛門重之先生
 ┃ ┗香取金兵衛時雄先生
 ┃  ┃
 ┗━━正木太郎大夫利充先生
     ┃
     ┣土屋八郎次先生 
     ┃┗山田忠八先生
     ┃
     ┣柏淵有儀先生
 石門。
     ┗高岡代助先生

  正木流薙刀の伝系

 信田一円齋重治先生
 ┃┗信田四郎左衛門重之先生
 ┃ ┗香取金兵衛時雄先生
 ┃  ┃
 ┗━━正木太郎大夫利充先生

     ┃
     ┣正木喜左衛門利政先生
     ┃┗正木喜左衛門利周先生
     ┃ ┗正木喜左衛門利賢先生
     ┃  ┗正木団之進先生
     ┃
     ┗古田官兵衛正虎先生
      ┗馬場嘉平次信親先生
       ┗石川文右衛門孟魚先生
        ┗古田藤右衛門信武先生
 

正木先生は、先意流を正統に継いでらっしゃるだけでなく、正木流という新しい薙刀流派も興し、別々に指導なさったということらしい。

正木先生が発行なさった先意流の伝書も現存しているが、正木流薙刀の伝書『正木流武功論』も現存している。

 

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