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1969年から茶色いのを飼うにあたって、茶色用のすみかの小獣舎を『パンダ舎と呼んでいました』、『小獣舎(パンダ舎)』。
そして、一時期、仮ジャイアントパンダ舎と茶色パンダ舎がすぐ隣りだったとのことだが、それがなにか口実になるとでも?

たくみに、『小獣舎』→『パンダ舎』→『ジャイアントパンダ舎』と、すり変えようとしているようだが。

すぐ隣りだったから、だから何だっつーの?
じゃ、あんたと似た名前の人は、半年間あんたと隣人だったことがあれば、あんたの家を奪い取ってもいいんですね?

茶色専用の施設がどんな名前であれ、それはジャイアントパンダ舎とは別の施設!

この茶色いのに関して、上野動物園は、
『ジャイアントパンダの代わりに飼育されていると思われがちでしたが、この6頭はジャイアントパンダのリンリンが健在のときから、パンダ舎で飼育されていました。』
とかなんとか、今でも(2011年4月8日)主張してますけどね。

だまされませんよ、ジャイアントパンダの代わりだったのは事実。

リンリンが生きてるうちから代役を置いてたもーん!ってドヤ顔されても困る、それこそが、なおさら問題だ。
メキシコに行ってくる間、君の居場所はちゃんと空けておくよ、赤ちゃんの部屋も用意しておくよ、信じて待ってるからね、…という発想に、どうしてならないのかね? 心がないのか?

そんなことやってるうちに、日本最後のジャイアントパンダ「リンリン」は、死んでしまった! ほれみろ。

ジャイアントパンダのために作られた、ジャイアントパンダ舎に、住んでいるのは茶色い連中6頭。
なんか知らないうちに、家をのっとられてしまった!

上の画像は、リンリン死亡時のパンダ舎に掲示されていたものなんです。空気を読め!

配慮が足りないのですよ。
御客様がお帰りになる時は、玄関の明かりはしばらく点けておくものなんだよ。
今どきの若い人は、こういうしつけを受けてないのかね?

客が帰ったとたんに、ガチャンと鍵を閉めたり、家の中から高笑いが聞こえたら、早く出て行ってほしかったみたいじゃないか。

ましてや御葬式の会場に、「今後は茶色の部屋になりまーす」というのは、人間性を疑う。

献花台・記帳台を片付けるのも、かなり早かったのだ。

 

動物園も利益を上げなきゃいけないから、仕方ないって?
今までさんざんジャイアントパンダ様のおかげで集客しておいて、大恩人に向かって何だ。

俺はそんなにパンダが好きでもなくて、思い入れがあるわけでもないんですが、これがほかの動物だったとしても、かわいそすぎる。

ほかの動物園だったらともかく、日本一の歴史と実績と権威を誇る動物園が、この無神経なやり方は何だよ。

常連客のひとりとして意見感想を言う、がっかりだ!

動物園がパンダを大事にしてくれないんだもの、動物園の観客が大事にしてやるよりほかないじゃないか。

早めに伏線を張ったからといって、大衆の目はごまかせるものではない。
まあ一番恐ろしいのは御客様ですよ、何の業界でも。
上野動物園は、
入園者が激減。
60年ぶりに300万人を下回ってしまった。

動物園側ではどう思っていたとしても、世間から見れば、まがいもの、ニセモノ
ジャイアントパンダの親子さえいれば、パンダ舎に空きはなかったのだから。

代役をやらされる動物だって気の毒だよ、失礼だ。
自分の価値は固有のものであり、他者から奪おうとすれば比較されて、自分の価値まで失うということが、なんでわからないのか。

都議会では、「本当のパンダに会いたい」なんて発言が出た。
上野動物園だって、ホンネは、ジャイアントパンダが欲しかったでしょう。

 

というわけで、2か年10か月ほど、上野にはジャイアントパンダが全く存在しない状況になっていた。

この屈辱の日々のさなか、2010年の夏、俺は山梨から中越にかけて、中近世の戦史や武術や密教の調べ物に出かけたところ、「長野市では茶色いのがミョーに充実している」という情報を小耳に挟んだわけです。

敵を知り、おのれを知れば、百回戦っても危なげない、ということになっている。

そんなわけで、茶色のアジトを、こっそり探ってきたという話が、このコンテンツです。
この時点で上野の復活はもう決まっていたんですけどね。

2011年現在、上野動物園のジャイアントパンダ舎には、「ジャイアントパンダ」という表札が誇らしく掲げられ、そこに住んでいるのはジャイアントパンダだけです。

 

 →ここからが本題 

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