武士を名乗る人の署名
省略 ワープロ文書でも、署名だけは手書きにしましょう。 俺はこのところ、年賀状の表側は全部毛筆です。 人は誰でも、自分の名前を書く時は独特の顔つきになるらしくて、そんなような描写がチャンドラーにありました。 花押も、ここぞという時にだけ使いましょう。乱用すると重みがなくなる。愛してる愛してるってペラペラ言う奴に限って口先ばっかりというのと同じです。 公家は身分の低い者に対して署名するとき、花押を書くべきところに「二合」と書いたそうです。 なんちゃって 大名クラスになると、右筆という達筆な文書係がいるので、そいつに代筆させて、本人は署名だけということもありました。 しかし、花押をハンコにするなんてことは意味をなさない。花押は書判(かきはん)とも言うんです。自分で書かないとダメ。 本当は本文だって自分の言葉だから、ワープロや代筆ではなく自分で筆記するのが筋です。 なお、筆跡鑑定は、化学的というか物理的なやつと、プロファイル的あるいは心理学的つまり占いとしてのやつがあります。 武士の書斎は狭い? 江戸城の将軍の書斎は「御用の間」といって、書状を書いたりサインしたりする部屋です。 そのとなりに、将軍が仕事中にひと休みする楓の間というのがあるんだけど、こっちはただの控室なのに、8畳2間もあるんです。 印判との使いわけ ハンコは花押より略式です。 篆刻の決まりごとはあまりにも奥が深くて、俺にはとうてい御説明できないので、どこか専門サイトへ行ってください。 俺は彫るのが面倒なので、感光で硬化させるスタンプ製造機でやっちゃってます。ハンズなどにあります。 血判 ただし、血判は花押より重い。自分の血で押す拇印です。 時代劇では、脇差を少し抜いて、鍔元の刃を右手親指で押して、指を縦に軽く切って血を出し、それを押しつけている。 こういう画像が苦手な方は申し訳ありません。痛みは全くないんで。じっくり紙に押し付ければ左のようになり、ちょっと触れた程度では右のようになる。 やはり縦がいい。横に切ると、その日は指を伸ばすたびにジンジンする。 これがイヤなら、根元は刃引くか、いっそ脇差は模造刀にして、刃に朱肉をつけておけば、血判の略式になるかもしれない。 江戸時代には、左手薬指の爪の近くを針でつつくのが一般的だったようです。 誤解があるといけないので、念のため申し添えます。 拇印 警察では黒のスタンプ台を使い、左手人差指を押して、印鑑のかわりにしてます。 70年代末期頃は全部の指の指紋を取ることもありましたが、最近は1本だけです。 拇印は屈辱的と感じる人もいて、外人さんは拒否するみたいですが、お役所ってのは何でも決まり事で公文書を作るんで、末端の官吏にダダこねても、先様だって困ってしまってワンワンワワンなだけです。 郵便や宅配便の受け取りは、サインで通用しますよね。欧米はサインが当たり前らしい。 80年代の硬派不良学生の間では、果たし状や絶縁状が発行されることがあって、俺も何通かやりとりしましたが、たいてい拇印があり、朱肉でなくてもインクでも赤が一般的でした。
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ハンコ 余談ですが、ハンコと印鑑は違います。 でも、「ハンコウください」なら間違ってない。 ついでに言っときますが、ハンコで開運しようという考えは、まあよしたほうがいい。理由は「墓所」に書きました。 エンボス、封ロウ、封印 プレスして、紙に凸凹で名前などを打つのがエンボス、封筒のふたにロウをたらし、まだ柔らかいうちに印を打つのが封臘封印です。 少しコツがあります。 便箋 便箋も、できれば自分独自のやつがいい。 原稿用紙で手紙を送るのは失礼であり、なぜなら下書きを送ったことになるからですが、そんなバカがいるわけないと思っていたら、ついに実例を見ました。 罫線が印刷されたのを使うのは、1枚の紙を2枚にする(紙の厚さを半分にする!)という偽造技術があるからです。 しかし便箋が薄いと、別の問題がある。 濃く書け 緊急の手紙(特に御不幸の知らせ)は、のんびり墨を摺ってるヒマがないから、薄い墨で書かれます。 逆に、香典の上書きなんかは、時間があっても薄墨にしますよね。 昔の人は、無事です安心してくださいという手紙を旅先で出すようなとき、封筒に「平安」というような言葉を書き添えて、受け取った人をまず安心させるという気配りをやってます。 万年筆にしてもボールペンにしても、男だったら堂々と、真っ黒なインクを使いましょう。「製図用」というのを買ってください。 セピアというのはイカ墨のことで、鼻つまみのクサイことであり、武人ではなく文人、枯れた軟弱ポエマーが使うものです。思い出がイカ臭いなんて、懐古趣味が聞いて呆れる。オカルト的にも、署名が薄いなんてことは、運勢まで弱々しくなりますよ。毛並みが茶色の奴にろくなのがいたためしがない。 女の子ならパステルカラーにラメ入りの花押なんてのもかわいいかもしれないけど、それなら花押でなくてもいいでしょ。 なお、インクは褪せます。光にさらすと色が薄くなるので、インクは美術では嫌われていて、描くなら染料より顔料、サインは鉛筆一辺倒です。 楷書で書け 草書が書けるのは偉いことですが、書けるのに、時と場合によってはあえて使わないというのが、もっと偉いことです。 現代では読めない人が多いから、こちらの自己満足とひけらかしのためだけに、相手を迷惑させることになる。 ようやく梅もほころび始めとか、取急ぎ右御礼までとか、どうでもいい話やありがちな決まり文句は、くずしたほうがかっこいいくらいだけれども、○×学院□△中学に赴任して柔道部顧問になりまして一度お立ち寄りくださいなんていう初出の単語をくずし字にされると、まるで暗号です。 もちろん、たしなみとして、自分の名前くらいはくずし字で書けたほうがいい。 それに、受付の芳名帳みたいなものは、楷書で書いたほうが誠実なんですよね。 署名ナシもまた署名 俗説では、これほどの名刀は誰にもマネできないという理由で、名刀正宗にはわざと銘が入ってないなんてことになってます(本当の理由は西之丸の刀のコーナーに書きました)。 署名をしないという行為もひとつの意思表示です。 美術でも、私が作ったということは私の中では絶対にゆるがない真実であるのに、なんでその上サインを入れる必要がある? 私が作ったということは作品の中ですでにあらわしているし、それこそが表現という行為だ、せっかく構成した画面に邪魔だ、入れるとしても裏だ、なんてことを言う人は結構います。 名前を伏せるとすれば、恩着せがましくしたくないから、手柄をひけらかしたくないから、こちらの正体を知ると相手が恐縮または拒否するから、所属団体に迷惑がかかるから、などなど、いくらでもありますよね。 本当に、名乗るほどの者ではないのか しかし、サインを入れなければ完成しない、やりかけでないという意思表示、責任感、責任の所在だ、という人ももちろんいます。俺はうまく作れた作品にだけ、日本画のときの号でサインを入れてます。 デーモン小暮閣下とエース清水長官が、黒柳徹子さんと対談してる時に、閣下が「某W大学…」とかなんとか出身校を言った時に、横から長官が、その言い方はいやらしい、というようなことを言って、かなり厳しい表情で(って言ってもあの御尊顔ですけどね。俺にはそう見えた)たしなめた後、黒柳さんに向き直り、「早稲田大学です」ときちんと答えたのが、かっこよかったです。 武士の名乗り方は、相手との関係によって、少し変わってきます。二之丸「墓所」をごらんください。
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