中務右筆文房 Secretary chamber

いろいろのコーナー

このコンテンツは、いろいろとしか言いようがないです。
ホームページというもの自体が、おもに言葉で成り立ってるわけだから、今後も、とりとめなく、ここに追加していくことになる。
重くなってきたのでページを分けました。

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下世話の武術用語(約10日に1度更新)  パン会話講座  

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秘書室です。ぱんだ城では、侍史も全員武装してるのでした。

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ジャイアントパンダはチベットの動物である、という説に対する、ぱんだ城の公式見解

パンダがチベットの動物だとしても、だからといって、中国の動物ではないということにならない。

もし、チベット側が主張する領域が本当に全部チベットだったとしても、その範囲内にパンダの生息地が一部でも含まれたとしても、パンダはチベットの動物であると同時に、中国の動物でもある。

もし、パンダがチベットだけの動物だったとしても、CTAが独立をめざしていないのだから(あるいは今後、連邦制くらいは求めたとしても、それが実現できないうちは)、チベットは中国の一部だから、チベットの動物は中国の動物である。

もし、パンダがチベット原産だったとしても、今までも現在もおそらくこれからもパンダを管理しているのは中国であるから、パンダは中国の動物と言える。

もちろんペマ・ギャルポ教授の著書も読んでみたが、チベットのみなさんがお気の毒だということだけは大いに共感する。
当方も心情的には、中国共産党をよく思っておらず、ダライ・ラマ猊下を尊敬申し上げる。
しかし、チベット問題にパンダの所有権という話を持ち込むと、チベットの印象や価値が下がり、逆効果だと思う。

中国がパンダを外交に利用し、日本がパンダを客引きに利用し、この上さらに、チベットがパンダを民族運動に利用したら、パンダは利用されているばっかりではないか。

いかなる国家もパンダを好き勝手にしていいものではなく、パンダはパンダのものである。
せめてネット上の仮想では、パンダのパンダによるパンダのためのパンダ国家を設定して、パンダにお仕えし、パンダの国防軍の一兵卒として忠誠を尽くしたい。  以上

     平成23年4月1日          ぱんだ城広報部

 

 

2010年6月9日、東京都議会平成二十二年第二回定例会本会議第三日に於ける、民主党議員中村明彦先生による一般質問

 (議事録より抜粋、以下引用)

『平成二十年四月三十日にリンリンが死亡してから実に二年の間、上野動物園のパンダ舎にはジャイアントパンダが不在となり、パンダ舎にはレッサーパンダが居住をいたしております。
そこを訪れる子どもたちは、
パンダはどこにいるの、何でレッサーパンダなの本当のパンダに会いたいという声が多く聞かれました。』

 (引用ここまで)

子どもさんは、ごまかせない。
その澄んだ瞳には、本物とニセモノの見分けがつくのである。
なせ大人たちはニセモノでごまかそうとするの?と聞かれて、返答できるものかどうか、よくお考え頂きたい。

自然保護、種の多様性、そういう綺麗事の啓蒙啓発の機会や動機であれば、レッサーパンダでもかまわないわけである、レッサーパンダだってそこそこには希少動物だから。
そんな理由ではあるまい。
この議員さんは選挙区も台東区、お生まれも上野でいらっしゃる。
台東区民にとっては、入園者が激減して景気が悪くなったので、本物のパンダが欲しいのである。
ニセモノでは客が集まらないのである。

 パンダ不在になって、上野動物園の年間入場者は60万人減。
 店の前を通ってくださっていた1日1600人以上の御客様が消えたのである。

パンダに依存して街が潤うこと、パンダを見せ物にして金もうけに利用することは、本物と言えるのか?
莫大なレンタル料金と引き換えに、絶滅危惧種を貸し出すという行為は、ニセモノの自然保護ではあるまいか。
その金は、本当にパンダのために使われるのか。
借り物のパンダは、本物のパンダと言えるのかどうか。
違法コピーして海賊版ばかり作り、繁栄の影で貧富の格差が広がる国家も、絵空事の共産主義も、ニセモノではないのか。
少なくとも、パンダを生で見ることができれば何でもいいというバカ女は、はっきりとニセモノだ。

もちろん、お年寄りが細々と経営している土産物屋とか、上野動物園の飼育員さんの高い技術力とか、軍事以外には本気で予算を回しそうもない国だからこそパンダの費用を支援するという考えや、逆に言うと、あのくらい恐怖政治で押さえなければ各民族が内戦を始めかねないという事実や、どんな形であれパンダを見て素直に喜ぶ人々の気持ちも、一理ある。

わが城は、残念ながら、すでに薄汚れてしまった大人が運営しているので、何が本物なのか、答えを見出しかねる。

ただ、確実に言えることは、ジャイアントパンダの施設にジャイアントパンダ以外のバカ野郎が居座っていたら、それはニセモノだということ。
なに様であろうと侵すべきでない領域、その人の居場所、それが秘密基地ということであり、それを守るためにこそ、濠を掘って石垣を築くのである。 以上

     平成22年7月7日          ぱんだ城広報部

 

 

本来「パンダ」「熊猫」はレッサーパンダのことだったのに、ジャイアントパンダは後から登場して名称を奪った、とする根拠不明の誹謗中傷に対するぱんだ城の公式見解

日本語に限らず、全宇宙どこでも、ただ単に「パンダ」と言えば、世界三大珍獣のひとつジャイアントパンダのことであって、レッサーパンダ(レッドパンダ)のことではない。

「パンダ」という言葉が本当に普及するのは、20世紀に入ってから、それも1936年以降アメリカでジャイアントパンダのブームが起きて以降であるように見受けられる。
あきらかに、レッドパンダの対義語はパンダであり、前者には亜流の意味がこもっており、後者はジャイアントパンダのことである。

レッサーパンダは、1821年に英国人によって発見されたことになっているが、これはヒマラヤだったのであるから、このとき発見されたのはネパールレッサーパンダ(ニシレッサーパンダ)ということになる。
そして、この発見者は、レッサーパンダをヒマラヤギツネなどと呼んでいた。

レッサーパンダのもともとの名前はパンダではなく、「ネガリャー・ポンガ」(他にも異説多数)であり、「竹を食べる者」という意味だと言われているが、だとすれば、ネガリャーが食べる者なのか、ポンガがバンブーなのか、その逆なのか、ポンガだけで「竹を食べる者」なのか、不明瞭であるばかりでなく、この言葉がヨーロッパに伝わったのは1821年ではなく、1869年らしい。

「パンダ」は、西洋人がつけた名前である。
現地語を聞き間違えたか訛ったかして、現地語を元にして西洋人が造り出した、新しい言葉だということを忘れてはならない。

『もともとパンダという言葉はレッサーパンダをさしていたのに、ジャイアントパンダが有名になったので、しかたなくレッサーとつけて区別した』というような珍説があるが、なにを証拠にそう言えるのか。
レッサーパンダが、「(ただ単に)パンダ」と呼ばれるのが一般的だったという証拠がもしもあるのならば、その地域、期間、統計的な普及率を数値で、ぜひ御教示いただきたい。

レッサーパンダが発見されて48年後、ロンドン動物園ではレッサーパンダを初めて入手し、園長が肉を与えてみたら草食だったので、大変びっくりしたという。
ほかでもないレッサーパンダを最初に発見した英国の、首都ロンドンの動物園の園長でさえ、発見から半世紀もたっても、まだレッサーパンダをよく知らなかった。
こんなことで、一体どれくらいの人々が、どのような権限で、レッサーパンダをパンダと呼んでいたというのか。

レッサーパンダは、アライグマとかキツネとかネコとか、いろいろに見なされ、学者の間でも長いあいだ意見がまとまらず、「キャット・ベア」「ワー」などと、さまざまな呼び方があり、現在でさえ「ファイア・フォックス」などという呼び方が使われ続けている。
もし、レッサーパンダのことをただ単にパンダと呼ぶ風習があったとして、なおかつ、それが少なくとも動物学者たちの間だけでも普及定着していたとするならば、レッサーパンダの別名は、ジャイアントパンダ発見以前に駆逐されていなければおかしい。

ジャイアントパンダが発見されるまでは、パンダとは、レッサーパンダのたくさんあった名前候補のうちのひとつにすぎず、レッサーパンダをパンダと呼ぶかどうかは確定していなかったのである。

竹を食べる動物がたまたま1種類だけの珍しい特例ではないことがわかったのも、食肉目なのに竹食というジャンルを設置しようという動きになったのも、パンダという分野ができたのも、すべて、ジャイアントパンダが発見されたおかげである。
ジャイアントパンダが発見されたおかげで、レッサーパンダもキツネやアライグマではなくパンダということになり、いろいろな名前があった中から「レッサーパンダ」または「レッドパンダ」に落ち着いたに違いないのである。

ジャイアントパンダのほうも、「バンブー・ベア」、「マトルド・ベア」「パーティカラード・ベア」「花熊貘」などと、さまざまに呼ばれていた。
「レッサーパンダの大きいヴァージョンだからジャイアントパンダ」ではなく、「竹を食べる動物のうち、大きいほうをジャイアントパンダ、小さいほうをレッサーパンダ」と、大小セットで考えて、同時に(おそらく1901年に)名付けた可能性がある。

また、歴史的経緯はともかく理屈からいっても、ジャイアントパンダこそがパンダである。
語源がポンガだろうとポンヤだろうと、「パンダ」という言葉に「竹」または「竹を食べる者」という意味をこめてあるとすれば、それは竹をバキバキと主食にしているジャイアントパンダのことでなければならない。
レッサーパンダはより雑食性であり、竹も葉っぱならば食うことは食うが、ジャイアントパンダほどは竹を食べることに専念しない。

1869年3月11日にジャイアントパンダが発見され、同4月6日にシセンレッサーパンダが発見される。
大熊猫・小熊猫という呼称を考察する場合においては、ジャイアントパンダよりもシセンレッサーパンダのほうが後から発見されたという事実に留意しなければならない。

日本で飼育されているレッサーパンダのほとんどは、この四川型であり、当方が大いに迷惑と不愉快を被っている元凶も、この輩である。

中国のレッサーパンダは、シセンレッサーパンダであり、もともと中国語では「シャンムンタル」「フオフー」「チンコウ」などと呼ばれていた。
中国語にレッサーパンダをあらわす単語がすでにあったにもかかわらず、本来の呼び方を捨てて、「小熊猫」と呼ぶようになったのは、西洋の科学的な動物学の影響を受けて以降であることは間違いなく、1901年をさかのぼることはあるまい。

1940年代なかばの重慶で、ジャイアントパンダの標本を展示したが、この時、ジャイアントパンダのことを「猫熊(大をつけたかどうかは不明)」と表記していた。
しかも、猫熊ではなく「熊猫」という言葉は、この時に偶然生まれたのであるから、大をつけてもつけなくても、熊猫はジャイアントパンダだけをさす言葉である。
レッサーパンダは、熊猫(ジャイアントパンダ)の小さいやつだから「小熊猫」なのである。

ジャイアントとは、「非凡な、偉大な、巨大な」という意味である。
レッサーとは、「劣った、矮小な、軽薄短小な、些末な、あまり重要でない、身分の低い」という意味である。

体が小さいことを理由に蔑称で呼ばれているのは不憫、大きい者が小さい者を攻撃したとあっては聞こえが悪いから、わが城としては、人様の御屋敷を横取りするような阿漕な真似さえしなければ、レッサーパンダのことをレッドパンダと呼ぶ用意がある。 以上

     平成21年4月30日          ぱんだ城広報部

 

 

日本語に於けるジャイアントパンダの鳴き声の表現に関するぱんだ城の公式見解

日本語上での動物の擬声語として犬の「ワン」猫の「ニャ−」牛の「モ−」豚の「ブ−」等に相当するものが、ジャイアントパンダに対しては、その生態の発見以来上野動物園設立以前は勿論のこと、国内飼育3世代、ブーム第3期を迎えた現在に至っても猶一般的な表現が確立しないことは甚だ遺憾の極みであって、深刻に叫ばれて久しい青少年の国語能力の低下、特に語彙の貧弱化を指摘する前に、そもそも世界的に見ても多彩な表現力を特長としてきたはずの日本語に初めて発見された限界若しくは欠陥として、けだし天之瓊矛以来の民族存亡に関わる国家の大事であり、早急な解決つまりはジャイアントパンダの鳴き声の制定が全国民の切実な願いであることは論を待たない。よしんばジャイアントパンダの鳴き声が一般に知られていない、あるいは実際には鳴かないのではないかということをその原因としても、狸の「ポンポコ」狐の「コンコン」等の前例は既に成功しており、まして魚類が驚いた時に発するという「ギョ」を聞くに至っては、もはや泣きの涙に捨て所なく、現在のジャイアントパンダの国民的認知度並びに人気度の高さに鑑みて、極めて焦躁と悲愁の念を禁じ得ない。パンダの常套的日本語発言としてはアランジ・アロンゾ両氏が提唱した「やっちゅう♪」が恐らく最初にして唯一の試みであるが、惜しむらくは種に固有の鳴き声というより個体としての挨拶乃至口癖であるという印象を拭えなかった。文部省国語審議委員会の対応を待つ間の暫定措置として、ぱんだ城では本日付を以てジャイアントパンダの鳴き声に「んがっ」または「あう…(涙)」、同じく口調の語尾として「アルヨ」または「ぱんぱん」を採用、その普及と定着に邁進することをここに宣言し、擬人化の有無と程度に拘らず、日本語でのジャイアントパンダの音声描写に於いては今後これらを使用することを各方面に強く要請する。 以上

     平成12年2月25日          ぱんだ城広報部

 後日談
家族計画の再放送を観たら、動物の鳴き声をおぼえるという宿題をやってました。
パンダは箏をかき鳴らしたような声。
コアラやワニの声も聞いたけど、やっぱパンダのほうがかわいかった(笑)

地球ふしぎ大自然を観たら、赤ちゃんの鳴き声はケーッという感じで鳥に近い。
求愛OKのメスは羊みたいな声を出してました。

 

 

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