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科目標目の分類定義と、
その表記 10

 

 武家文化

武士は元はといえばほとんどが皇族であり、戦乱の時代なら野盗まがいのバカでもいいのですが、泰平の世には政治家や官僚でもあるので、「たしなみ」のようなものが要求され、歌や書や茶、人によっては楽器や舞踊、どうかすると囲碁将棋や蹴鞠など、まるっきり武芸ではないものが武士の必修科目のような雰囲気になっていたのは事実です。

茶道や、手紙の書式のように、武家だけの独自のやり方があるものは、たしかに武家文化に含めていいと思います。
また、歌の古典を知ってたおかげで、敵の意図を見抜いたとか、殺されるはずのところ許されたなんて話がたくさんあるから、世間でみんながやってるものでも、武家がやったのなら、広い意味ではそれも武家文化なのかもしれませんが、キリがない。

戦闘技術ではないから、有識故実や礼法以外、ここではあんまり扱っておりません。武術以外の流派のリストは、作りかけですが出してあります。

 

 同性愛

弓馬の師範家の小笠原流ではなく、礼儀作法の小笠原流(大名家の小笠原流)は、一説には同性愛の流派でもあるというんですが、同性愛に流派があるでしょうか?

小笠原流礼法は現在、若くて綺麗な女性宗家が継いでいるくらいです。
大名の小笠原家が日本一その分野に熱心だったという話は、井原西鶴『男色大鑑』あたりが出どころらしい。

男女の場合ならば、たとえばティッシュの使い方や、どちらが先に布団に入るかというようなノウハウは、礼法にもあります。
技法や文化があるからには、指南、伝授ということは当然あると思いますが、流派なのかどうか。

同性愛ができないと出世できない社会ということであれば、これも武家文化かっていうと、どうにも納得できません。
同性愛やってる人を否定するわけじゃありませんが、人様の趣味嗜好は尊重はしますが、俺は絶対したくないので、理屈で納得できても生理的に受け付けない。
うちのサイトでは、この分野はまったく無視させていただいてます。

こんなこと言うと怒られそうだけど、武術やってる人の中には、そのケのある人って、意外に多いんです。御専門ではなくて、いわゆる両刀使いの方をよく見かける。

 

 

 史書、軍記、随筆、日記

07年の改正で、これも追加することにしました。

当時、実際にどうやっていたかがわかる数少ない資料であり、もちろん脚色や誤謬も少なくないですが、それを差し引いても考古学的に一級の情報の宝庫で、しかも『太平記』あたりは軍学の教科書にもなる。

しかし、これは文人の領域です。
呪術ならば、まだ戦闘の実技(攻撃や防御の「手段」)ですが、日本史とか国文学は、俺もさしあたり武術史にすぐ必要な分くらいしか手をつけていません。
時間も予算も置き場所も、こんな分野にまで使えないし、そんな余裕があるなら技法書や理論書を優先したい。

これも本格的にやろうとすれば、流派や伝系みたいなものがあります。
いつどこの誰が口述して、誰が執筆したか、その原本を、いつどこの誰が写本にして、以来どこの家の蔵書として伝わって、そういう底本は他に何系統くらい伝わっていて、いつどこの版元から復刻出版されて、今はどこの図書館に所蔵されていて、それを、いつどこの誰が校訂して、どの全集に収録して、どの出版社から出して、いつ絶版になったか、というのをやらなければならない。

『朝倉始末記』『越州朝倉記』『朝倉記』『越前軍記』『越州軍記』『越州兵乱記』 『賀越闘争記』『賀越闘諍記』『義景記』、これ全部同じものをさしている場合と、だいたいは同じだが細部があっちこっち違う別の本のことだったりする場合がある。
名前が違ってくれればまだいいほうで、『平家物語』なんて、一体どんだけ異本があるんだか。

『江州余吾庄合戦覚書』と『余吾庄合戦覚書』は別のもので、前者は『賎嶽合戦記』、後者は『余吾物語』のことである。こんなのばっかし。

こうした例が、たいていの文献にあって、さらに、そのダイジェストや、一部分だけ抜き出して独立させたものや、仮名交じり読み下しにしたものや、解説がついたものがある。

そういうことは、技法書や理論書だったら、いくらでも追いかけます。流派と武芸者の、系譜や見解、技法の変遷などに、直接関係してるからです。
しかし武術のために史書を読むのであれば、そこまで一字一句やる必要をあんまり感じません。
歴史上どういうことがあって、考古学ではどういう定説になっている、ということさえわかりゃいいんで、あんまり原文で全文を持っていません。
これはどこか文系の人のサイトに行ってください。

 

 

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