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科目標目の分類定義と、
その表記 5

 

 棒、棍、杖

ただの棒を、技術によって千変万化させる発想のものは、その寸法、断面形、素材、先細や表面加工の有無にかかわらず、たいてい(棒)でくくっています。
日本でもと呼ぶ流派がありますが、棒に含めさせてください。

槍や薙刀が折れた場合を想定したものが神武不殺へ昇華したものもあり(棒のことを、槍折れ、鉾折れなどと呼ぶ流派もある)、身分の低い警察関係ばかりではなく帯刀で使う場合もあり、形ではどんな武器を仮想敵にしているかも違い、技法によって、大きくしなる木だったり、ごく細く軽くしたり、三分持ちだったり、しごいたり、突き多用だったりします。
俺もどちらかといえば知ってる分野なので、こまかい話は西之丸にコンテンツを出していたのですが、今後は各Gで扱います。

棒術は、柔術と兼修することが多いですが、柔術流派に棒術がある場合、柔術流派の棒術部門なのか、「棒術もやる柔術流派」と「棒術専門流派」の師範を同じ人が兼任なのか、よくわからない場合があります。ほかの武器にもそういうことはあるのですが。
剣術流派の棒術が、どう見てもその流派の理論や技法とは違う、これは別の棒術流派を併伝ではないのか?というような話も見かける。

(杖)は、いちじるしく技法が異なる場合があるうえに、杖道という一分野になっている流派もあるので、杖とおっしゃっているものはなるべく別にします。鞭も同様です。
寸法が杖でも、半棒とかステッキと呼ばれていれば分けます。もちろん、仕込も別。

なお、杖術がどういうものか知りたい方は、上野におこしの際に、京成上野駅の少し先へ行ってください。警視庁上野警察署「公園前交番」というのがあります。そこの前に立ってる警官は、しょっちゅう杖を振り回してます。神道夢想流とは寸法が違いますが。警棒を持った警官を相手に、対練をやってることもよくある。

 

 仕掛棒、兵杖、三道具

突起や鉤や鎖などをつけた棒、熊手や狼牙棒のたぐい、仕込棒・振杖・乳切木などは、ほとんど流派ごとに違うものがあるというくらいに、構造も寸法も名前も違うことが多いですが、幸い、(柔)(剣)(船)などに付属していることが多いので、分ける必要を感じた箇所だけ分けます。

流派によっては、(兵杖)と称していることがあります。
これ専用の流派ならば分けます。

今のところ、(三道具)は分けてます。
これは鼻捻子・十手・万力鎖ではなく、刺叉・突棒・袖搦です。

 

 十手、半棒、その他

鼻捻子、警棒、鉄扇、鉄刀、兜割、仕込杖、手ノ内など、さらに琉球には各種節棍、拐、釵などもありますが、これまた、単体でひとつの流派になっている例は少なく、手刀や小太刀の応用だったり、関節技の補助器具だったりするので、ほとんど表示してません。

これを中心にしてる流派ならば分けます。
今のところ、
(十手)(ステッキ)は分けている箇所があります。

十手は、鎖や目つぶしが飛び出すくらいならまだマシで、槍穂がついていたり十文字だったり、櫛刃でソードブレイカーだったり、もはや警棒の範疇でないものもあるので、十手としか言いようがありません。

厳密には、十手は「ジッテイ」ですが(実挺などと書くことがある)、先生方によってまちまちでもあり、このコンテンツではジッテで統一させてください。
ジッテという言葉に「習い」という意味があり、入身など体術や、あらゆる短い武器の基本を、この道具で習うという意識はあるものと思われます。

 

日本の警察の警棒は、ちょっと前まで木製でしたが、あれは寸法や紐の付け方まで、まったく鼻捻を踏襲していた。
十手から警棒へ連続する流れがあったと思います。
1869年9月4日(旧暦7月28日)、英国王子エディンバラ公アルフレッド殿下が参内する時の、警護の記録が残っており、行列の最前列に使丁(明治政府の雑役夫)2名ずつを並立させて「十手持参」とある。
これ明治2年です。明治時代に公式に官憲に使われた十手、というのもあったわけです。

ステッキは、刀を差して出歩けない時代の新しい武術なので、別ジャンルとみます。廃刀令以降もしばらく、士族がレプリカの脇差を差すようなことはあったのですが、ステッキの場合、実戦を想定してるので。

 

 手裏剣、打物

手裏剣は(手裏剣)としています。
形状や投擲法による定義の範囲の問題、特にシロートの忍者オタクでも刺さる車剣は追手をまけばいいだけなので手裏剣「術」でもなんでもない、どうせ時代劇のウソなら、あんな重心の悪い小柄(小がたな)をいつも命中させてるほうがよっぽど技術だ、という意見も多いですが、車剣は新陰流系などにもあることだから、尖った物を手投げで刺すのであれば、たいてい手裏剣に含めています。

ただし、ある程度は専用の道具を使うものだけに限っています(打物は含めます。後述)。
たとえば、創始者が五寸釘や畳針や短刀を飛ばすことから始めたならば、それは再加工がされてなくても、その流派では手裏剣として使うわけだし、手裏剣の本の中に投石の技術が記述されていたりするので、これらは手裏剣に含めます。
代用武器のページにも後述します。

カードやブーメランや円盤やハンマーや斧などの投擲は、流派になっているものもありますが、日本の古流武術の範囲には入らないように見受けられるので、戦後編や外国編で扱います。
日本で古くから工夫されたものだとしてもです。

じつは大工道具を投げるというのが京都と長野に実在するのですが、歴史的にどうなのか、まだ確信が持てない。
そうおっしゃっていれば尊重しますが、御本人たちも、これが戦前からの伝承だとは明確におっしゃらないので。

また、彫刻刀を投げるというのは、教育的にももちろんですが、宗教上の理由でとても問題があって、公開したくない様子(彫刻刀を投げて蛇を殺した人が失明?した実例を、東国原知事が、蛇の呪いのように言っている。そのたぐい)。

矢羽や手繰紐がついたものは(弓)(縄)に含めることがあります。
槍でも鉄笠でも十手でも鉄扇でも投げる時は投げるんですが、たまには投げるという程度はキリがないので。

シュリケンという言葉は、剣術において視線や注意の配りまたはグリップ、あるいは、仏教の護法神が持つ剣のことを言っている場合があるのですが、それがすなわち刃物の投擲、つまり敵の視覚をまず奪うとか反らすとか、わからないように武器を持つとか、悪用を慎むというようなことに、いちいち直結している。
このへんは流派の機密事項にかかわるので、あまり言ってはいけないようなものであれば、(剣)に分類してしまうことがあります。

手裏剣術において言うところの「打物」とは、手裏剣専用の道具ではなく、脇差を投げつけるようなことです。
成瀬先生が陸軍戸山学校で手裏剣を指導なさった時に配布したテキストでは、『手裏劍術は打ち物を父とし打根を母として生まれたるものなれば、構へは弓、氣合は劍なり』とある。
手裏剣は投げるではなく打つと言い、技法的にも感覚的にも刀で切ることに近いのですが(武徳会では剣術に分類している)、打物と言った場合は、半棒のたぐいや、大刀をさしている場合もあるので、まぎらわしいから、うちのサイトではあまり打物という言葉は使っておりません。

 

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