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科目標目の分類定義と、
その表記 2

 

 弓術、馬術、
 有識故実、礼法、諸礼

馬上弓術は(騎)としています。(故)(有識故実)を含みます。半弓やダーツや吹針など隠し武器を含むことがあります。
ほとんど
(弓)だけ、(馬)だけ、(故)だけであれば、別にしてます。

弓をはじいて鳴らして魔物を追い払うことは、中世たしかに戦闘だったし、弓術の極意伝授の儀式としてやることもあるので、ここに含めます。

弓は大陸や南方の影響が大きいですが、日本で独自に高度な発展を遂げたので、半弓で朝鮮の影響を強く残すものや、中国武術の弓などは、日本に伝わっていても外国武術として扱います。
石弓、弩器のたぐい、特に機械式や化学的なものは、発想が違うので(砲)に入れます。

中世の戦闘における弓術は、馬を駐めるか馬から降りて、または歩兵がおこなっていることが意外に多くあり(近代軍隊においても龍騎兵は馬から降りて射撃する)、馬上では刃物を使って打撃戦になっていることも多く、また、騎射はスポーツか宗教行為に類する物が多い。

「甲冑もつけずに、動かない的を、直線的に駆けながら射ること」は実戦から乖離しており、しかも今日伝わっているものは一度すたれて復元したものもかなり多い。

だから、本当にこれが昔の合戦の技術を伝えるものかどうかは疑問視する意見もあるのですが、これぐらいしか残っていない、つまり、「現在うかがい知りうる最も状態の良いもの」という理由で、古流武術に含めております。
流派という概念が整う室町末期に、すでに槍と鉄砲の時代になっていた、それはそうですが、騎射は、あきらかに平安時代から、それを得意とする家とその家伝の技術というものが始まっているからです。

じつは雅楽も、いったん誰もやらなくなったのを、江戸時代に再興したという点では流鏑馬と同じですが、文献や関係者を集めて復元したので、できる限りのことはしたのだからマシだろう、もう手遅れと思わず江戸時代でもやっといてよかった、ということです。
今やれることをやらないと将来もっとヤバいというのは、古流の重要なところです。

馬術は、馬も、調教も、馬具も、操縦方法も、朝鮮からの渡来人や帰化人からかなり指導を受け、吉宗公なども外来種を入れて品種改良をしてたらしいですが、日本独自の部分が多いので、日本の流派になっているものは日本の武術として扱います。

有識故実(現代では有職故実と書くほうが一般的ですが正しくは有識、イフショク)は、作法・行事・諸道具などの古来からの正式なしきたりと、その故事や歴史です。
厳密に言えば、朝廷に関するものが有識、武家に関するものが故実。
ほとんど礼法と同義、またはここに礼法が含まれますが、前例を尊重はしつつも臨機応変の真心を重視する小笠原流などは特に
(礼)としてある箇所もあります。

料理とか、まったく御座敷作法でも、公家作法でも、武家が使うものまたは関連がありそうなものは収録します。
ただし、厳密に言うと、礼法(礼儀作法)と諸礼(種々雑多な教養、社交、接待のたぐい)は、少し範囲が違うようで。

『日本教育史』に、『当時、小笠原流と称する者は、其学ぶ所、起居、進退より始め、歌、鞠、書牘、割烹、放鷹、聞香、喫茶の末に及び、是を諸礼と称す』とある。
サラリーマンの麻雀やゴルフまで、含めていたということです(これも仕事上、必要なので)。

有識故実で軍学の流派をなしているものは(軍)で扱います。
たとえば『葉隠』は見聞きした感想の羅列なので(故)、『武道初心集』は士道論ではありますが、甲州・北条・山鹿などの流れをくむ軍学流派の主張なので(軍)、『甲陽軍鑑』はそれ自体は故事でも軍学流派の教科書になったので(軍)、東軍流は鷹から和算まで含みますが朝倉家の故事が剣術に付属してる格好だと思うので剣術流派とみなして(剣)に分類してます。

 

 

 

 剣術、野太刀

剣術は総合流派であることが多いですが、世間一般に剣の流派と言われていると見受けられるものは(剣)にさせていただいてます。

念阿弥先生、玄信斎先生など、中国の技術を入れたという話もないこともないのですが、反りのある片刃の鋭利な刀を両手持ちして、鞘は用いるが盾を用いない発想は、世界的にも独自のものです。ここからあまりにも逸脱するものは、別扱いにします。

兜の上から打って脳震盪を狙うことと、装甲のない所を狙って斬ったり刺していくことは、技法も道具も違う(源平時代の星兜と当世具足の薄金の兜、太刀と打刀、蛤刃と薄刃化粧研)、別の武術だという話もあるのですが、剣術はおおむね剣術で一括します。
(野太刀)は取り廻しから技法が全然違うことがあるので、なるべく分けます。

純粋な剣(両刃の直剣)は、流派をなしているものは見かけませんが資料はあり、手首の使い方など参考になるところが多いので、さしさわりのない範囲で掲載していきます。さしさわりとは、たいてい法具や神器だからです。

ただし、直刀、無反りは、片刃か切先両刃であれば、斬撃用の刀に含めます。手元まで焼きが入っているからです。純粋な刺突用であれば、たとえば鉾などは、先端しか焼きを入れていないことがよくある。

 

 小太刀

小刀、脇差、馬手差、腰刀、鞘巻といった名称の違い、鍔や反りや鎬の有無、大刀と共拵にする意識の有無では分けません。寸法と用途で分けます。

いわゆる一尺二寸と、中条・富田系などがありますが、前者は腰廻小具足なので(柔)、後者は(剣)としています。
特に、相手の首を掻くことを最終目的とするものは、剣術というより組討です。

九寸五分とか短剣術(懐剣、陰剣)みたいなものは、たいてい何かの科目に付属してることが多いので、独立した項目は立てておりません。

小太刀だけしかやらない古流もあるらしいのですが、うちの蔵書にはありません。もし表示しなければならないようだったら、小太刀という項目も立てます。
小太刀護身道(スポチャンの)は、戦後編で扱います。

 

 二刀

源行家とか、油小路事件とか、二刀にならざるをえなくて二刀になったようなものではなく、二刀を積極的に使う意識がある流派のことですが。

このコンテンツでは、ほとんど(剣)(居)に含めております。

長い柄を両手で操作することが日本の剣技の長所であるから、二刀は異質ではあるのですが、一刀の剣術でも片手になることはいくらでもあり、あいた手で鞘や柄当や手裏剣や布などを使うこともあり、ことさら二刀を売りにしていない(剣)(居)でも、(柔)(合気)にさえも二刀があり、二刀の流派にも一刀はあるからです。
それに、常に片手持ちするとしても、大刀の柄は両手持ちできるだけの長さが絶対に必要です。理由は山ほどある。

そもそも二刀は正しくおこなっている限り、根本的なところは一刀と違わない(違ってはならない)ということが、安易な邪道になるかどうかの重要な境目なので、あまり特別扱いするのは失礼にあたる。

片手のほうが便利な場合が多いから片手斬りを練習しているだけであり、片腕と脇差を余らせておくのはもったいないから一応抜いているが、脇差にはたいして意味はない、面を打つなら両刀とも同時に面を打つ、ザコ多数を斬ったり飛び道具を叩き落とすには二刀が便利だから、たしなみとして一応やっておく、上段も二刀もできないよりはできたほうがいいが常にそれでなくてもよい、二刀は実の道ではない、実戦はほとんど一刀を両手でやる、…というような見解は、武蔵先生の流れをくむ先生方の間でもおっしゃる方は少なくないです。
武蔵先生も、状況によっては両手で大刀を握れとおっしゃっている。

 

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