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流派の科目標目 2

 

 わからない流派(って、全部がそうだが)

これは伝書についてのページですから、何の流派かということだけではなく、何の伝書かということで、くくる場合があります。

棒術の伝書があれば、その流派は棒術を伝承していたことだけはわかるのですが、それが棒術だけの流派か、棒術以外にもいろいろ伝承している流派の棒術伝書なのかは、わかりにくい。

各種専門書、図書館の蔵書目録などから、その流派が棒術以外にもいろいろ扱っていたということがわかりきっていても、その流派の棒術部門だけを習った人が独立して同名の棒術流派を立てていたか、手に入れた伝書が本流のものか分流のものか、本流と分流では内容に違いがあるか、そこまで厳密にわからないことも多いので。

 

 妖術の扱い

西野ダンスが気で人を吹っ飛ばすからといって、古神道や密教のヨーガ的なものが何でもかんでも全部武術というのは違うと思います。

いわゆるオーラが先行するから剣線が読めるというのは、満州で弾道を読むのに植芝先生がおやりになってますが、菩薩眼や旭光剣が武術ならば、呪いによる不可能犯罪は銃刀法で規制しなければならなくなる。

錫杖や三鈷剣など物理的に凶器ならいいのかというと、金剛杖をついて山で心身を鍛えていれば武術か?、日本刀と同じ鍛え方をした包丁でマグロを解体していれば武術か?ってなことになってしまう。

しかし香取様鹿島様や修験道や禅の影響を受けていたのは事実であり、古流にはたしかにこれが付属してるのだから、しょうがない。

そこで、歴史または内容の上で武術に関係していたら、特に武術側に伝承されたのなら、気休め程度の護身法のたぐいでも必ず収録する。
そして、オカルト側でも寺領を守るために僧兵化したとか、一向宗のように武力を持っていて実戦もやっていて事実強くてシロートでないとか、シロートでも信玄公あたりの焼き討ちから伽藍を守ろうとして法具を実戦に使ったというようなことであれば、純粋な武術でなくとも一応収録する。
という方針です。

難しいのは、武士が出陣前に寺社で祈祷を受けていたとか、参禅して悟りを開いたというような、武芸者自身は宗教家ではなくて、専門家にアドバイスを受けていた場合ですが、「その他」の中に宗教のページを作ってありますので、このくらいで充分だと考えています。

このへんは、二之丸とのかねあいで今後改編するかもしれません。わかりやすく誤解や危険がなく読んでいただける構成であるよう、随時工夫を加えます。

 

 実戦と競技の違い

道場や馬場でやってるのは形式重視の形骸化した競技であるとして、もっと実戦を想定または実戦の経験を重視するものは、要箭、要馬、軍馬、軍用槍などと言いますが、あんまり分けておりません。
竹刀と防具で試合稽古重視であれば現代剣道だというなら、すでに幕末には始まっているわけです。

 

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