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人名の定義と、その表記

 

 誰の文書か

このコンテンツでは、伝書をもらった人ではなく、書いた人、それも最終発行者を掲載しています。
必ずしも著者ではありません。

最終というのは、流祖以来の内容や書式があって、自分がもらったものと同じ内容を同じ書き方で(少しは違ったりもする。そこがまた興味深かったりもするのだが)、次の人に渡していくということを代々やってきた、その時点での最後の先生です。

起請文、書簡、賞詞などは、発行者側に置いたり、受け取った側に置いたり、現在いろいろに分類してます。今後整理します。

 

 最終発行者

伝書の発行者は、自分の道場を構えていて伝書を発行する資格も持っていても、大師匠(師の師)がまだまだ御健勝だった場合、一応、大師匠が発行したという形にしたり、連名にする場合があります。
たまには自分の弟子を大師匠の元へ行かせて、じきじきに稽古つけて頂いたり、お話を聞かせて頂くことがあったり、あるいはそういうのが一切なかったとしても、自分は指導者としてまだまだですという遠慮があるんで。

また、師が大師匠からもらった伝書の現物に、師が自分の名前を入れて、後継者に譲る場合もあります。伝書を書いた人は大師匠で、師はサインを入れただけ。

…というような場合は、できるだけ、大師匠ではなくのほうを最終発行者とみなして掲載しています。

連名の誰が一番偉いかは、筆頭だったり、末筆でも宛名に近いほうだったり、日付の真下だったり、それらの例外的な書式や、作法を知らずに書いたのではないかと思われるものもあったりして、誰が直接の師にあたるのか微妙なことがあります。
師弟関係は、虚偽も俗説もあって、目を疑うようなデタラメや、意外な真実もあるから、油断がなりません。

 

 写本の著者

理論書などの場合、写本であることが多く、この場合、できるだけ著者ではなく筆記者の名前を掲載しています。

これは誰々先生が秘蔵してたのをお借りしてきて書き写した、何年何月なんのなにがしこれをしるす、などと書いてあるからわかるわけです。

それが書いてない場合、空欄あるいは、どこどこ伝来本などと書いてます。

江戸時代といえど印刷出版されたものもあり、これは普通に著者の名を掲載してます。
版元出版時期はあんまり書いてませんが、複数あって書かなければ区別できないようだったら書きます。

 

 無い人名

その人の署名はないが、その人が書いたことはほぼ確実、あるいは、署名はある(らしい)のだが原本のその部分を俺は見たことがない、または、活字になおすときに旧字を略字に改めたりフルネームじゃないのにフルネームにしてしまっている(ように見受けられる)など、本当にその文字でそう書いてあるわけではない(らしい)(と思った)ものは、人名を「()」に入れています。

はなはだしく身分の高い人から低い人への手紙だから慣例として差出人の名がなく、しかし、たしかにその人の筆跡で花押もあるから、その人だということは間違いないとか、そのたぐい。

カッコを付け忘れていることもあるかもしれません…。他も同様です。すみません。

 

違うような筆者

「義経公がこの書物を書いただと? んなわきゃあねえだろう」というのがあるのですが、それはそれです。
「そういうことになっている」ということを収録しています。

楠木正成公の軍学に、当時なかった砲術の運用が書いてあるのはおかしいとかいう話も、まるごと全部が偽書なのか、たしかに伝承があったところへ後から誰かが砲術を追加したのかは、よくわからないことです。

この手の問題は無数にある。
ひたすら原文の表記を優先しますが、こうした場合も人名を「()に入れることがあります。

聞いていただければ、知ってる範囲と言える範囲で、御紹介できる裏話もあります。

 

 わからない人名

誰が書いたのかよくわからなかったり、名前がよくわからなかったり、たしかに名前は書いてあるが著者名なのか蔵書印なのか監修者や推薦者なのかわからない、本当はわかりきっていることなのかもしれないが俺にはわからない、よく読めば誰にでもすぐわかるのだが、このリストを作る時によく見ないで書いてしまった、と後で気付いたが現物は実家に置いてきてしまった、あるいは「■」で表示するほど読めないわけでもないが再考を要するというような、とにかくハッキリしない場合は人名の一部に「をつけさせていただいてます。
これは「()」よりもさらにハッキリしないということです。
まったくわからないものは空欄、調査中だったりして後日追加できそうなものは「」だけ書いてあります。
なになに図書館
などと書くこともあります。

 

 わざとやってるフシもある

似たような名前の達人が、多い場合で10人以上、しかもほぼ同時代同地方にいて、詐称か親族か襲名か、変名改名か誤字当字か、サッパリわからない。

また、上泉一族、武蔵先生、大阪府、高知県、山陰地方など、ある特定の範囲にそういうことがとても多いというのが、なにか事情でもあったのか、不思議なことではあるんですが。

幕末以降の例を見ても、潜伏しながら倒幕を狙うとか、維新時にいろいろやりすぎたことを隠すために改名したとか、道場破りが来たから本人は留守だ俺は弟だと言って立ち会ったとか、養子に行ったが生家が絶えたのでふたたび生家に戻って継いだとか、師の娘と結婚したが戸籍上は養子でないから苗字は変わっていなくて武術の席でだけ師の苗字を名乗っているとか、そんなのばっかりです。
俺でさえ苗字は6つ持ってます。

ひたすら、表記に従います。
これも、俺にわかる範囲のことは言いますから、個人的にお問い合わせください。このコンテンツにはあんまり書きたくない。

 

 人名の範囲

武士は、氏、名、受領、姓、字を持ってます。
これは基本的に全部
収録します、書いてあれば

平八郎信盛とか源七郎昌為という時に、へいはちろう、げんしちろうではなく、たいらのはちろう、みなもとのしちろうである場合がたまーにある。このへんは状況を見て判断します。

 

 肩書の省略

昔の人は署名する時に、何位、勲何等、功何級、何軍何、何爵、何の守、何議員、何学博士、何士何段、何流何世何代、何館館長とかズラズラ書いてます。
これはギャグでやってるんじゃなくて、官・姓名をセットで名乗る時代だったので。
また、大御所の先生はひとりで複数の組織の役員になってるから、何県何顧問、何協会何理事、何連盟何委員、何県警何掛、何道場何支部長、何学校何部嘱託とか、2つ3つくらいは並べて書くことがある。

我々ですら、たいして興味ないが子ども会でやって初段だけもらってそれっきりになってる分野とか、部活のOB会や、所属団体の主任やら会計やらまで含めたら、書こうと思えば肩書の10や20は書けるものですが、偉い先生方の場合、業界を背負ってますから、肩書を名乗らないわけにもいかなかったり、ひとつ名乗るなら全部名乗らないとまずいこともある。

てなわけで、肩書がくっついてる署名というのがあります。

これは、そう書いてらっしゃるのだから、それはそれで意味がある。高野先生が一刀流でも明信本館主でも大日本武徳会審判員でも大日本武術研究所長でもなく、埼玉県剣士総代高野佐三郎とお書きになる時は、その時期にその場面でどういうおつもりだったか、たとえば流派に誇りを持っていたか、郷土愛をやっていたか、日本国全体の剣道を考えていたか、剣道に限らず武術全部を振興させたかったか、ということが少なからず関係している。

だから決して無視できない部分ではあるのですが、このコンテンツは主に文献リストであって、偉人リストではなく、書くスペースもあんまりないので、必ずしも全部は書いておりません。

 

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