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一般的な表記の原則

 

 原文表記最優先主義

題名と人名に関する限り、旧字や当字を使ってあるとわかるものは、できるだけその文字掲載しています。

索引は、この限りではありません。
古い文書でも流名に旧字を使っていないことがあったり、その団体の正式な流名があっても伝書では必ず違う表記になっていたり、かつてはたしかに旧字だった流派が現在の継承者はその字を使っていないというようなことがあります。

表面的なこまかい事なんかどうでも…と思ってしまうのはまだ初心者で、知れば知るほど、その文字と読み方にも極意が込められていて、しかも理屈でなく実技に直接関係する内容で、しかもひとつでなく、いろいろな意味をかけ合わせていたり、ただのゴロ合わせではなく他の要素との相互関連で総合的に決まるべくして決まっていたりします。
劉が「卯金の刀」とか、是が「日の下で一番の達人」とか、こういうことも文化なので。

 

 無い字

変換できない難字は、「と表記して、「(くさかんむりになになに)」などと書き添えています。
マヌケですが、ほかに方法もないのでお許しください。
無理にやろうと思えば、そういうソフトもあるのかもしれませんが、俺が持っていたとしても見てくださる方が文字化けしたのを見たんじゃ意味ないし、かといって、先人がその文字を使ったということは尊重したいので、勝手に略字で代用したくありません。

 

 むやみに無い字

戦前は、青の月部分が円だったり、采とかの爪部分が下すぼみではなく末広がりだったり、程の王部分が壬だったり、勺の点が一だったり、神のネが示だったり、しんにょうが2点だったり、羽の点がンではなく//だったり、どうでもいいような違いの旧字が多い。
これらは、流派や技や人の名前だったら尊重しますが、行事の題名くらいだったら、
あまり気にしておりません
変換できればなるべくしますが、できなかったものは新字にすることもあり、いちいちお断りもしません。

 

 略したかどうかわからない字

全文が草書で署名が万五郎になっているなんていう場合、戸籍上は萬になっているが略して書いてるから万なのか、もともと万が正式だから楷書だったとしても常に万なのか、よくわからないです。
この手の話は姓名判断のページでさんざん御紹介してありますが、卍ならマンジ、満字ならマンスというような使い分けを、極意に関係するこだわりがあってやっているかどうかは、わからないか、わかっていても扱いにくい場合があります。
このあたりは、
かなりテキトーにやっております。申し訳ありません。

 

 読めない字

虫害や破断などで欠落していて読めない字も、「」で代用しています。
達筆または悪筆すぎる場合も同様です。文脈から推定して強引に読むことが可能でも、念のため、うちの母など書道のわかる人に見せて順次解決していく予定です。
俺だって少しは草書の読み書きやるんですけど、「筆が止まっているだけで、ここにあるで候」とか「ただのヽでもへ」とか独自のルールが多く、まして古文ですから、念には念を入れて、できるだけ書道の高段者を通しておこうと思います。

 

 

 可及的

さっきから「できるだけ」と言ってるのは、活字になったときに読みやすいように直してあったり、実技内容の部分だけ載せて「以下、伝系あるが紙面の都合で省略」なんてことで、よくわからないものも多いからです。他も同様です。

 

 誤字

まず、俺自身が誤字をやっちゃってることがあることをおわびします。
見るたびに見つかるので、自分でも頭に来るやら恥ずかしいやら申し訳ないのですが、10年前のパソコンしかも接触の悪いキーボードとマウスでやっていて、最近は遠視がついに2.5近いんじゃないかというくらい遠くはよく見えるのですが近くはどうもボンヤリしてきて、気力や注意力だけでカバーしきれない部分もあり、時間も全然ないなんてことで、あんまり言い訳になりませんが、とにかく見つけ次第なんとかします。すみません(08年の改正により、パソコンの問題はすべて解決しました)。

原文のほうの誤字は、あきらかに誤字とわかるものもありますが、案外、誤字じゃないこともあります。
この流派が、この人が、本当にこんな表記をするかな?というのが、それはそれで後世の加筆や写しや偽書の手がかりになったり、その流派ではつねにこういう表記にするという通説をくつがえす新発見だったり。
いずれにしても俺ごときが浅い知識で判断して勝手にいじっていいものでもないので、そのまま、原文の表記のとおりにしてます。
俺の誤字とゴッチャになると、俺ではなくその流派と著者が迷惑するので、
原文そのままという意味で「(ママ)」と添えたりすることもありますが、基本的にそのままにしてます。

 

 タブー

ある種の言葉は、流派の方針、儀礼上または信仰上の理由、慣例などで、少し特殊なルールがあったりします。
深遠な意味だから文字であらわしてはいけないとか、恐れ多いから別の字に替えなければいけないとか、わざと書かないでおいて読むときにだけその文字があるとみなして読むとか、書いてあってもその文字は存在しないとみなして読まないとか。
これは、俺にたまたま理由や資格があったり、しがらみがなかったり、迷信とわかりきっていたりして、書けるものなら書き、ダメなものは伏せ字にしたり、そもそも掲載しなかったり、いろいろですが、できるだけ
原本の表記を優先しています。

伝鬼坊先生は傅輝坊先生、無人斎先生は夢仁斎先生というようなおめでたい文字の使い方も、敬意だから、やるべきだとは思うのですが、このコンテンツに関する限り、文献学だからというだけの理由で、原本の表記を優先しております。

そのほか、俺だけが知らないだけで、なにか慣例になっている決まり事(故実読、呉音唐音宋音、庵点、ツマミ、チギリギとか)があるかもしれません。申し訳ありません。まったく不勉強でお恥ずかしいのですが、知ったものから書き直していく所存です。

 

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