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切実な、お願い

 

この話は、武術に興味ある方は、お読みにならなくて結構です。わかってらっしゃるから。

武術には興味ないが、文献学的なことで検索なさっているうちに偶然このコンテンツを見つけ、「なんだこりゃ、世の中にはこまかい人もいるのだなあ、よっぽどヒマ人なのか?」と思いながら、なんとなく、このページを開いたという、そこのあなた! あなたに申し上げる。

ひき逃げ事件があったとして、警官が現場に到着し、目撃者はいなかったかと、近隣のみなさんに聞き込みをやる。
すると、悪い事ってのはできないもので、案の定、見ていた人がちゃーんといるものなんですね。

ところが、その目撃者が、あたしんち的なオバサンだったりすると、うちの伯父(交通課)なんかは、「あー…」と苦笑いして、ちょっとガッカリするんです。

これが若い大人の男性だったら、「R34GT-Rのパールホワイトでした。インチアップして、リアウイングを高いものに替えてあって、後ろはスモーク貼って永ちゃんのロゴをカッティングしてありました。ナンバーは赤外線カバーをかけて倒してあったので読めなかったっす」、てなところまで見てるんです。

ところがオバサンときた日にゃ、「白かった! 白いクルマ!白いクルマ! そうよ絶対に間違いないわ、白いクルマ!」と、こうなんですね。
もちろん、鑑識が動けばいつかは絶対わかるし、市民として警察に協力してくださる御厚意は大変ありがたいことなんですけど、白いクルマじゃあ、どんなに大声で連呼してくださっても、あんまり役に立たないわけです、日本を走ってる乗用車はだいたいどれも白いから。

あなたが武術に興味ないんだったら、なになに神道流とか、関口なになに流とかの、「なになに派」の部分を、絶対に、略さないでいただきたい。
なに兵衛なになに、なに右衛門なになにっていうのもそうです。

武術にかかわってらっしゃる方が書けば、略すにしても、わかるように書いてある。
「持田先生と小川先生が京都からの帰り道に…」くらいの言い方でも、いつの時代の誰のことだか特定できる。

しかし、郷土史の人! 教育史の人! 村起こしの人! 自宅の家系図を作成中の人! 石碑の文章を考えてる人! お寺のホームページの由来縁起を書いてる人!
あなたは、武術の本に絶対に載っていない貴重な情報を扱ってらっしゃるかもしれないのですよ。

「山田浅右衛門に依頼したとの言い伝えが…」とか、山田浅右衛門が何人いたと思ってんの? あの御宅は200年間、全員が山田浅右衛門だよ。

「この村に吉田出雲守が来た時に…」とか、それだけでは、どの吉田出雲守だか、わかんないよ!

宮本武蔵政名とか、宮本武蔵守とか、岡山県から来た宮本武蔵とか、親子連れの宮本武蔵とか、なんかちょっと情報がくっついてるでしょう、そこを絶対に切り取らないでいただきたい。

興味ない方にとっては、たいして違わないと思うのかもしれませんが、調べているこっちとしては、そこが重要なんです。
情報を減らしてどうする!

 

溝口派一刀流と溝口派一刀流会津伝では、ベートーヴェンとシューベルトくらいに違う!
中西派一刀流と北辰一刀流では、チキンラーメンとカップヌードルくらいにぜんっぜん違う!

というより、違いが多いか少ないかが問題なのではなく、ただただ伝統を忠実に次の時代に伝えていこうとする継承者のみなさんの純真な誠意が、とても神聖だ、ということです。

倫理的にも宗教的にも、「命名」というのは、命がけで命を吹き込んでいる行為です。
人様が誇り高くかかげている御名前です。
原文では「なになに一刀流」と書いてあったものを、ちょっと一覧表のスペースが足りなかったからといって、「馬廻役、二百石、一刀流」などと略さないでもらいたい。

そして、無い情報を付け足すのも、よしてもらいたい。
なになに流って書いてある人のすぐとなりに、似た名前の、弟さんか息子さんらしき名前が書いてあっても、その人まで同じ流派とは限らないのですよ。
それはたぶん、なにか意味があって、その人には流派名を書かなかったのかもしれないのだ。
書式が統一されなくて不格好なようでも、わかんないところは空欄のままにしておいてくださったほうが、どんだけありがたいことか!

ちょっと時代劇で聞きかじって知ってるからといって、心陰流や新影流を、「柳生新陰流」などと勝手に書き換えないでいただきたい。
メーカーがせっかくこだわりぬいて生産した食品を、小売店が偽装表示してるようなもんだ。

先祖が夢想流で、子孫が無双流だからといって、どちらかが誤字とは限らないのです。
その当時はそういう武術で、時代と共に内容が変化して、わざと違う文字を使ってらっしゃるかもしれないんです。

あと、文才とか作家性を発揮する人!
「天下無双のこの男、剣は天流、悪を討ち、ヤワラは荒木、弱気を救う、宝蔵院の鎌槍で、取った手柄は5万首…」とかなんとか、気取った節回しを付けなくていいから、そんなことより、どの天流なのか、天道流って書いてなかったか、本当に柔術とか拳法ではなくてヤワラと表記してあったのか、宝蔵院じゃなくて鎌宝蔵院って書いてなかったか、法蔵院って書いてあったのに誤字かと思って勝手に書き変えちゃったんじゃないだろうな、っていう部分をちゃんと伝えていただきたい、歴史資料なんだから。

謙虚さとか、注意力なんです。
あの先生はどうも親指をそらして握ってらっしゃるが、なにか理由があるのかなとか、あいつは前回の試合よりも歩幅が狭くて頭を振るようになったとか、そーゆーこまかいことは気にしなーいっていう人は、なにをやっても詰めが甘い。

あなたが、お年寄りからの聞き書きとか、田舎の小さな村の言い伝えを書く時に、ほんのひと手間、気を利かせてくだされば、たくさんの人が救われるわけです。
少なくとも、俺は救われる! ものすごく感謝しますから。どうか頼みます。

なんでこんな話を書いたかというと、作業しててちょっとムカついたもので。
あまりにもアバウトな情報が多すぎる。
自治体の観光パンフの偉人伝とか! もうちょっと厳密に書いてくだされば、こっちはムダ足しないですんだのだ。

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