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伝書の話をしてはいけない流派が
あるかもしれない、という問題

 

 鞍馬流は伝書が嫌い?

鞍馬流が、新陰流の掲示板を荒らしたことがありました。

新陰流をやってらっしゃる方が、新陰流を紹介するサイトを作り、掲示板で文献資料の情報交換がおこなわれていて、そこへ、鞍馬流の人が、いやがらせに来ていたわけです。

小天狗とかなんとか名乗って、所属する鞍馬流道場を自慢し、現代剣道を絶賛し、それと比較して、新陰流の悪口を書き並べ、伝書を研究すること自体を否定していた。

サイトの管理人さんは、おだやかに大人の対応をなさっていました。
別の場所で管理人さんにおたずねしたら、かなり以前から、しつこくかよいつめているとのことで、迷惑しているようでした。

俺が見かけた2002年5月23日時点では、「>」という記号で文献の記述を引用することにイライラし、>をつけなくていい所まで全部つけたり、この記号だけをむやみにたくさん
















などと書き込んでいた。

 

 荒らしは、ただのいやがらせ

好き嫌いは自由ですから、ただ単純に新陰流が嫌いだという人があってもいいし、自分の意見や感想を発表することも誰かに規制される筋合はない。
しかし、新陰流をがんばっている人のサイトに、わざわざ出かけていって何度も書くのは、場違いですね。

伝書を研究するということ自体を否定する人が世の中にいてもいい。
しかし、文献資料を持ち寄って研究しあっている掲示板に、かよいつめて批判するこたあない。
子どもの頃、みんなで砂場で山を作っていると、わざと壊す奴がいませんでした? 人々が楽しんでいるとイライラして邪魔をするのが喜びという、さみしい奴。
武門にある人は、そういう悪意に満ちた人ではなく、そういう暴力から人々を守る人でなければならない。
武術をやっていれば自然に、謙虚で礼儀正しい人物になっていきます。ならないとすれば、ろくに修行していないか、指導者がヘボか、その武術の教程や理論が根本的に間違っている。

 

 考古学的な視点

誹謗と中傷は違います。誹謗は悪口、中傷は事実無根のいいがかり。
歴史を研究することは、事実無根をとりのぞいていく作業ですが、それが結果的に、悪気はなくても悪口になることはある。

たとえば、厳長先生の『正伝新陰流』の記述は史実と違うという意見は多いです。
今村教授の『柳生一族』では、慶安4年の天覧試合に関して疑問点をあげ、「こうした伝説の強調は、技法にとらわれた尾張柳生の次元の低さを証するようなものである」とまでおっしゃってます。

新陰流ほどの名門は、武術に興味ない人まで知っていますから、時代劇でデタラメに描写されたり、御子孫の御苦労ははかりしれません。
先祖や家族が、歴史上の著名人として、ほとんど公人になってしまっている。イヤな言葉ですが、有名税というやつです。

 

 「真実」とは何か

伝統を学ぶ者にとって、伝承は絶対ですから、「そういうことになっている」のであれば、その組織の中では、それは真実です。
有名な人に師事したとか、刀で岩をまっぷたつに斬ったとか、
年代的または科学的に眉唾でも、そういう言い伝えがあるということも文化ですから、それはそれで尊重されなければならない。
それを信奉する人にとって、心の支え、信仰だからです。

これは武術に限らず、天皇家が本当に万世一系かとか、キリがない。聖徳太子、豊臣秀吉、大岡越前、有名人の逸話や業績として伝わっているものの大部分が、別人のものだったり、中国古典の丸写しだったり、考古学では片っ端からバレています。ヤマハの社史が事実と違うというのも、よく言われていることです。

夢は夢、イメージはイメージ、伝説は伝説でいいが、しかし歴史的事実も一応知りたい。ましてや、自分が所属する団体のことは、がっかりしてもいいから本当のことが知りたい。

 

 「真実」の追求

自分たちの歴史を自分たちで書けば、美化や脚色があったり、都合の悪いことはわざと載せなかったりすることは、珍しくない。
その流派の門人でもない者にどうこう言われる筋合はない、と言って逃げても、事実からは逃げられないから、
義理もしがらみもない部外者や第三者が遠慮なく書いたもののほうが、かえって真実に近いということはあります。これは学者さんの役目。

だから、なにが真実かを考古学的に調査すること自体は、うちのサイトでは否定しておりませんが、夢が壊れるから、心情としてははばかられるので、あまりハッキリ言えないことも多いです。
相手を選んで、内輪の会話でなら、いくらでも手加減せずにお話しします。

 

 鞍馬流は悪くない

鞍馬流の名誉のために言いますが、鞍馬流を名乗る人物が本当に鞍馬流とは限らない。インターネットは匿名の世界だからです。
もし鞍馬流だったとしても、人を選ぶ目や人を育てる能力が鞍馬流には欠けているということではなく、個人の人間性の問題と思いたいです。
こんな基本的な部分のしつけは親の役目だし、どこの流派でも下っぱの中には1人くらいバカな人もいるかもしれないし、道場の外で何をやってるかまではいちいち流派の管轄ではないから。
わざとダメな人ばかりを集めて立派な人に育てているならば、かえって優秀な指導者と言える。

それに、鞍馬流の演武は俺も直接拝見したことがあるから断言しときますが、鞍馬流は現代剣道の手本と称するほどの、大きくまっすぐ堂々とした面打ちをなさいます。コセコセしたところが全くない、すっきりとすがすがしい、ごく正統派の剣です。
間違っても、しつこく掲示板を荒らすような、ゆがんだ流派ではありません。

 

 鞍馬流だからなのか

なぜ、流派名を出してまで、こんな話をしたかというと、鞍馬流には事情があるからです。
鞍馬流は、
戦災で秘伝書を全て焼失した、かえすがえすも惜しいことをした、と公称しています。
その無念のほどは、いかばかりか。

豊富な伝書を有する新陰流が文献学をやっているのは、伝書を失って悲しんでいる人たちから見れば、うらやましいことでしょうし、まるで傷口に塩をぬられるように悲しみを思い出さずにいられないでしょう。

だからといって、ねたんで、いやがらせをしてもいいということにはならないですが。

 

『本朝武芸小伝』の大野将監先生の部分には、『古流はあしきとて自流を建て其師をかくし、其法を偸て妄偽をなし、愚成人をあざむき、我自得は飯篠富田も不可及とのゝしり、邪智高慢胸中に充たるぞ、實に天狗流といふべし』とある。

もう一度言いますが、天狗に習った剣術だとかなんとかは、科学的にどうこうではなくて、文化です。その神秘的なところ、夢やロマンのあるところこそが、古流の大きな魅力のひとつだから。
鞍馬流の人があんまり文献資料や考古学的調査に好感を持たなかったとしても、心情は察せられる。

「伝書の話にふれるのはタブーという流派」もあるかもしれない、もしあったら、うちのコンテンツも、その流派を扱うのは遠慮すべきか、また、伝書を研究することは無意味なのか、ということについて、1ページ追加して、方針を御説明する次第です。
もっとレベルの高いみなさんは、こんな話題自体がそもそも失礼で無意味であるとして一切扱わないでしょうから、これは俺みたいな下っぱが言う役割だと思うので。

 

 伝書を否定する考え

秘伝は不特定多数に配付するものではないから、達人が書いた本に書かれているからといって、継承者が本気でそういう見解だとは限らない。
実際に入門してみると、誰もこんなやり方をしていない、これは
技を隠すために、わざと違うことを書いたんだなということが、わかる人にはちゃんとわかる仕組になっているわけです。中国拳法は特にそう。

禅の話は、二之丸に書いたとおりです。不立文字、以心伝心、拈華微笑。しかし、道元禅師もすぐれた著書が多いですけどね。

秘伝書を開けてみたら全部白紙だった、という時代小説があるそうです。これはめちゃくちゃ意味深長です。

『西遊記』も、天竺に到着して経典をもらったが全部白紙だったので、もらいなおす話になってます。
白紙と気付いた三蔵一行が引き返すと、おまえたちは手土産を持ってこなかったから白紙を渡したのだ、
無字の真経だって価値があるんだぞ、中国人は愚かで悟りが悪いから白紙を与えたのだ、と言われる。御釈迦様に言われるんです。

書物をたくさん背負って歩いていたら、隠者に出逢い、すべては人が臨機応変にやることであるから書物に執着してもしょうがない、マニュアル主義ではダメだ、というようなことを言われたので、瞬間的に悟りを開いて、一切の書物を焼き捨てて身軽になって大喜びで踊り出した、という話が『韓非子』にあります。『韓非子』だって書物ですけどね。

燕の国の宰相に送る手紙を書いていたら、手元が暗かったので、召し使いに「照明を高くかかげろ」と命じたとき、うっかり、手紙にも「挙燭」と書いてしまった。その手紙を受け取った人は、なんのこっちゃと思い、頭脳明晰な賢人を抜擢しろという意味かな?と、こじつけたので、結果的に燕はよく治まって国が栄えたという。これも『韓非子』にある話です。一字一句に執着して、あれこれこじつけても、筆者の真意とはズレているかもしれないぞという故事。

戸隠流は、伝書を後生大事にしても強くなれぬ、書いてあることより書いてないことのほうが大切、形より全身感覚が大切、という立場をとっておられます。形式にとらわれず形骸化せず、高い実用性や、対応の柔軟性を追求する戸隠流は、諸外国から絶賛され、多くの軍人や警官が学んでいます。

古流とは何か?という定義のひとつに「伝書の授受がなければ古流の継承ではない」という意見があり、大東流や空手諸団体は古流に含めないという人は多いです。
しかし、
伝書があってもなくても、豊富で強力な技術がたしかにそこにあるのだから、それを一所懸命やって上達し、後進を指導すればいいだけのことです。

 

 人様の命より優先か

浄土真宗の本部が火災のとき、開祖直筆の文献を持ち出して一同避難したが、蓮如様が居間で読みかけだった1巻だけは、忘れてきてしまった。
読みかけだったんだから、蔵の奥にある物よりも簡単に持ち出せそうなものだが、わが身かわいさに自分だけ逃げて、ウッカリのせいで灰にさせてしまうのは、申し訳が立たないことであると、蓮如様は御自分を責めて、とても残念がった。
その苦悩を見かねた若い僧侶が、ただちに猛火の中へ引き返して取りに行ったが、火の手が回って脱出できなくなったので、
切腹して体内に文献を収納し、おのれの体で文献を炎から守りぬいた、という話があります。

文献を見つけて、まさに引き返そうとした瞬間、焼けた建物が崩れ落ちてきて、ゆく手をふさいだ、もとより一命を捨てる覚悟で飛び込んだからには死を恐れるものではない、自分が今日あるのは浄土真宗と先生先輩のみなさんのおかげ、人は一代だが文献があれば後世の人々を多く幸せにできる、南無阿弥陀仏、机上にあった短刀をつかみ、迷うことなく腹に突き立て、十文字にかっさばき…、とかなんとか、この僧侶が炎の中でやってた状況と、言ったセリフまで、見てきたように伝えられている。
しかも、翌朝に消火して、黒焦げの姿で発見された時、まだ息があり、最後の力をふりしぼって目くばせして腹を示し、涙ながらに感謝する連如様にみとられながら、満足そうに安らかに亡くなったとかいう話までくっついてることがある。

俺のオカルトの師の師、つまりMの師は、この話を「阿呆の極み」と酷評しております。
写本で充分だ、人命より尊いなんていう迷惑なものは燃えて滅びてくれたほうがのちのちのためである、宗教のために人が死んではならない、1人すら救えないものが衆生を救いますとはおこがましい、百歩譲って自己犠牲とか殉教ということがあるとしても、弟子はわが子も同然、死ぬのは歳の順であり、取りに行くならヘマをやった自分が取りに行くべきである、どうにもならないことはキッパリあきらめて気持ちを切り替えるのが仏教である、未練がましい泣きごとを言わずに黙って恥と批判を受け入れるべきであった、物ほしそうなことを言えば若い下っぱが直情的に気を利かせて暴走するのはわかりきっていることであり、これがわからないようでは人の上に立つ器ではない、死に向かう弟子を制止できなかった指導力不足と監督不行届は殺人である、しかも、落ち度を美談にしている感覚は危険な思想であり、自分の命を簡単に差し出せる人は、他人の命を簡単に奪う人になれる、そんなことだから一向一揆やって人を殺しまくったのだ、そうでなくても真宗は敬虔で信仰心が堅固、やっていることは浄土信仰、シャレにならない、というようなことです。

俺もおおむね同意見ですが、しかし、だからこそ、文献は大切にしなければならない。
なぜなら、昔の人が一途な気持ちで命をかけて守ってきた文化遺産は、これからも大切に守り続けていかなければ、これのせいで死んだ人がムダ死にになる。
そういう人がいたということを語り継いでいかなければ、その人の人生がもったいない。

その僧侶だって、死ななくてすむなら生還するつもりだったはずで、ところが、どうしても死ぬと確定したものだから、それならば、ひと思いに楽な死に方を選んで、ムダな苦しみを省き、タダで死ぬよりは、死体を有効活用したということでしょう。同じ立場だったら、誰でもそうするのでは?

飢えた旅人を救うため、キツネやクマは知恵や技能を駆使して、果物や魚をとってきて与えたが、ウサギは何も用意できなかったため、たき火の中に身を投げて自分の体を提供した、という話が仏教にあります。
たぶんそのへんが下敷になってるということも考慮しないと、真宗が気の毒です。

 

 文献資料は宝

鞍馬流は、幕末の金子助三郎先生以前の系譜が、よくわかっていません。伝書が燃えたくらいで諸先輩の名前を忘れるものではないから、意図的に公開を控えているのでなければ、もともと不明だったんでしょう。
もし、どこかの土蔵から、未発見の鞍馬流の伝書が出てきたりすれば、せめて手紙か何かでも出てくれば、将監先生や林崎先生から誰を経由して伝わったのかがわかり、歴史の闇に埋もれてしまった鞍馬流の歴代師範の名がわかる。
伝書に否定的な人が鞍馬流にいたとしても、御自分の流派の伝系は知りたいでしょう。

文献の研究が進んで、先人の偉大な業績が顕彰されることは、その流派にとって有益なことだし、武術界全体にとっても、日本人ひとりひとりにとっても、貴重な財産です。

 

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