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伝書以外の内部文書、その重要性
すなわち収録する理由

 

 起請文

入門した人が書いて、師に提出する誓約書です。
団体によって多少違うけれども、基本的な内容はだいたい同じで、ものを教わるということに関して、その姿勢、効率、トラブル防止などです。

熱心に練習する、師には無条件で従う、教わったことに自己流や他流を混ぜて改変しない、教わったことを見せびらかしたり言いふらしたりしない、ましてや、勝手に他流試合をして技を使ってみたりしない、自分の流派を自慢したり他の流派の悪口を言ったりしない、などなど。

これ、師に誓うんじゃなくて神仏に誓うんです。
日本全国の天地大小さまざまな神様、仏教の仏様や護法神、そして、それらの神仏が率いている鬼神や羅漢や神将、いわゆる天界の軍隊に対して約束し、もし破ったら、たちまち、きつ〜い罰をくらわしてくださいとお願いする。

これらの神仏には選別と序列があり、時代によっても多少違う。
起請文には絶対に名前が出てこない神様とか、この神様から書き始めるとかいうのがあるわけです。
佐藤弘夫教授『起請文の精神史 中世世界の神と仏』講談社2006に詳しい。

誓う内容部分を前書とか前文といい、もし破ったらどうなるかを神仏に誓う部分を神文とか罰文といいます。
熊野午王という専用用紙を使い、署名血判します。

 

 英名録(道場)

門人名簿です。入門時に本人が住所氏名を書くノート。起請文の束を保管しておくことで代用することもある。
有名人がたくさん入ってくると道場の宝物になる。
継承者の御子孫(具体的には、死蔵されてる未発見の資料)を探す手がかりリストになるから、
研究者にとっても宝物です。

 

 道場訓

教室の決まり事です。
熱心に練習する、私語はつつしむ、整理整頓掃除する、持ち物は自己管理、遅刻しない、チャラチャラした格好で来ない、道場の御近所に迷惑かけない、帰りに買い食い(酒、女性も含む)しない、などなど、言い出せばキリがないけれども、まともな人なら言われるまでもないことばかり、何のジャンルでも同じことです。

しかし、たまに意味不明な珍しいルールがあったり、珍しくない内容でも何を何より優先していたかがわかったりして、流派の特色が出ていることもあります。

毎日道場を開けて毎日が稽古日、他流試合を断らない、農民にも教える、生業をおろそかにする者は去れ、政治に関与せず、訴訟を扱わず、なんていうのを、ことさら条項の最初のほうにかかげていたり。

酒気帯びで道場に入らない、ではなく、酔っていてもいいが泥酔はいけない、なんていう場合は、道場主が無類の酒好きだったり。

歴史の原則として、「禁止命令が出る(しかも、何度も出る)」というのは、そういうことする人が多かったから規制を作らなければならなかったということを意味するので、「ほとんどの人がルールを守っていなかった」ということである場合も多い。

でも最近は、ピアスと付け爪禁止とか、道具にシールやマスコットをつけるなとか(それがパンダグッズだったりして、情において察せられるのだが)、呼ばれたら大きな声で返事とか、ゲーム機を持ってくるなとか、親は何やってんだ?というようなことまでいちいちやらざるをえなくて、それは指導者が力量不足でなめられている雰囲気だからですが、それにしても、いくらなんでも、ここから説明しなきゃいけないのか?とうんざりすることが多い。

 

 記念本

その流派や市町村の、何周年記念とかで出される文集、資料集です。現代は、こういうことがよくおこなわれている。非売品か限定頒布の場合もある。
極意の核心に触れた体験談や、師弟関係、古老の聞書、貴重な写真、継承者名簿などを載せているから、これを手に入れると
調査が一気に進む

 由緒、家系図

開祖以来歴代宗家と高弟の、本名・別名・生年・没年・出身地・仕官先・役職・経歴、流派誕生の経緯と組織の沿革、名門だったり世襲だったりすれば家系図など、プロフィールです。

これは伝書にも書いてあったりするけれども、これはこれで別に、入門して早い段階でもらうこともあり、現代だと、今後のおおまかな学習内容の説明が付属することもある。

これがまたクセモノで、同じ流派でもこまかい部分がちょっと違うことがよくあるんです。
我々だって社史や家系図を書いてみろと言われたら、わかってることでさえ全然ダメですよね。
昔の人は「家」という意識が強いかわりに、名前がコロコロ変わったり、イトコを弟ということにしたり、他人を実子ということにしたり、不吉な年に生まれたから翌年生まれということにしたり、なんかゴチャゴチャと事情があって、しかもコレ、当事者が自分で書くものだから、
粉飾美化まで入ってることがある

 

 覚書

修行ノートです。
武術に限らず、まじめに習い事やってる人は必ず、こういうのつけてます。
今日は誰とやった、これがうまくいかなかった、これをこんなふうにかわされた、こんなアドバイスをいただいた、これをうっかりしてて失礼した、あの人がこうやっていたのはうまいやり方だと思った、というようなこと。

持ち歩く人もいますが、それはみっともないとされている。
自宅に置いて、風呂上がりや就寝前に思い出しながら書きとめ(この、「その日の終わりに頭の中で繰り返す」という行為が、暗記には大切なので)、次回はそれを読み返してから、今日はこれを課題にして重点的に練習しようと決めて家を出る。

またこれか! これがいつまでたってもできない…という、見るのもイヤなくらい落ち込むばかりの記録になりがちですが、それだけに自分のことが冷静に客観的によくわかる。

これやっていくと、ある程度は理論化されてきて、自分なりの鉄則や教訓ができてきます。

偉い先生が亡くなると、御遺族や高弟たちが、これを本や小冊子にすることがあって、非売品だったり、自分の直接の師とは考えが違う所もあったりして、扱いが難しい文書ではあるのですが、危険なくらい具体的、安易なくらいカユイ所に気持ち良く手が届く、貴重な資料です。

 

 英名録(個人)

芳名帳です。
幕末、武士が主君から休みをもらって武者修行の旅に出て、全国の道場を回るということがあったんですが、このとき、ノートを持っていって道場主に提出すると、
試合した相手全員の名前を書いてくださるので、記念になるというもの。

俺の世代だと、小さなアドレス帳を持ち歩いていて、道場に来た他団体の人や、試合や審査や合宿で一緒になった人と、住所・電話番号を交換し、あとで年賀状を送り合うという感じでした。
これを和帳と呼ぶ人もいる(和式の製本でなくても)。たしかに和ですね。

人数が多かったり時間がない時は、みなさんのみょう字だけでも、自分で何かに書きとめておいて、あとで道場宛に全員分の枚数の年賀状を出し、それで返事が来て、やっとフルネームと連絡先がわかるという具合。

最近はみんな携帯電話でやってるようです。赤外線か何かで転送できるらしくて。

 

 

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