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武術の教程と、伝書の順番 1

 

 順番

流派ごとに指導要領があり、習う内容の順番が決まっているから、その修了証である伝書も、その順番でもらうことになります。
段階の数と、その呼び方は、団体によっていろいろです。

示現流や武徳会や伝統空手などの例もあることはありますが、普通は、八段とか範士とかいう言い方は、古流にはほとんどない。
それより、もらった伝書が段位になるのが一般的です。
伝書に題名があれば、その名前が段位になることも多い。
宗家や師範はいいとして、それ以下の人は、目録のだれだれとか、切紙のだれだれとか、これが肩書になるわけです。
これもやっぱり仏教から来てる気がします。今どのへん?バイエルの黄色〜みたいに、仏教では『碧巌録』を何巻までやったというような言い方があるんです。
で、最終的に灌頂して法灯と衣鉢を継承するわけで、「師家」とか「道場」も仏教用語です。

 

 初伝

まず基礎。
なんの習い事でもそうですが、一番最初に習うことが、じつは一番重要な事だったりして、スランプの時はもちろん、全部マスターしたあと結局またここに帰ってきたりするんで恐ろしい。

この段階では、教わる内容はそんなに多くないけれども、これがダメだと、このあと何をやっても全部ダメなので、まじめな団体ほど、これをコツコツやる時期が長いです。3年くらいでも早いと言われることがある。

ほかに、ひたすら掃除をやらされる(と言うと怒られる。やらせていただく)。昔は住み込みで炊事洗濯や水汲み薪割りなんかもやったといいます。
現代でも、着替えの手伝い、風呂で背中流し、おでかけのお供、先触や伝令(武術の世界では、手紙や電話ではなく人間が派遣されて口上を伝える。最近は自転車使用が許されてますが)、煙草を買ってくるなどのパシリ、というようなことはあります。
それがすべて、基礎体力と根性の修行や、何事にも油断やスキがなく先に察して気配りができるという、護身と読心と人徳の修行にもなってます。

そのかわり、すでに一芸を極めてる人なら、ここはあっさり通過することもあります。
ひとりで複数の流派の免許皆伝をもらう人がいたりするのは、生クリーム部分が違うだけで、パン生地とかカステラ部分はそんなに違わないからです。
なんの道でも、本当に大切な基礎っていうのは、それほど大きくは違わないもので、視点は全然違うんだけれども、見てる対象物は同じです。

これの修了証は、初伝目録とか初段目録とか表(おもて)とか言ったりもしますが、だいたい切紙形式だから、題名も切紙であることが多い。

あらかじめ何枚も書きためてあって、名前と日付だけ入れて乱発しちゃう先生もいます。
初めて会ったその日にくれたり、自費出版の本を買うともれなくついてくることもある。

 

 中伝

次に中級段階。さまざまな技と、その応用展開。

流派によっては、基本の技だけで100種類を超えます。応用も含めると3000手なんて流派もある。
カクテルと同じで、基本や定番のパターンがあってのヴァリエイションですが、たいして違わないのがたくさんあるっていうのは、それはそれでまぎらわしく、いろんなのがたくさんあるっていうのは、それはそれで覚えるのが大変なわけで、かなり偉い先生でも大きな演武会で形を間違えることがある(偉い先生の場合、わざと違うやり方にすることもある。相手も、打ち合わせなしでもちゃんと応じたりする。これこそが形骸化していない生きた形だとかいう。でも、単純に間違えちゃったという大先生も確かにいる)。

 

しかも、技にはとかというのがあります。
その技を自分がくらった場合の外し方とカウンターになる技、敵が受けたりかわしたり耐えたりして技が不発だった時にただちに連続技としてかけると効果的な技なんてのがある。
面を打つ人の小手は取りやすいし、投げはそり返したり横へズレたりして封じ、払ってきたらスカして燕返しなんてことで、チャンスと手段はいくらでもあるもので、そうやって、それぞれの技の特徴と相互関係を学ぶ。

しかも、ヴァリエイションは無限にあり、その中から、お前はこれが得意だが上達のさまたげになるから禁止、かわりに今はこれだけやりなさい、ここを伸ばしてここを補強しなさいと、微調整しながら教えてもらえる。

さらに各種武器、急所や接骨などの医術の基礎など、専科特科も平行したりするから、修了するまでに時間がかかる。
しかし、やってて一番楽しい時期。
早紀様は「宝石箱の中身が増えていく」、理沙之助は「色鉛筆のピンクと水色だけ早く減る」と言ってますが、この言い方、感じがよく出てると思います。

だいたい、このへんの修了証が、狭義の目録です。
目録にはあんまり、目録という題名はつけないことになっている。箇条書きしたリストは、何だって目録だからです。我々デザイン屋の間には「ノートブックだね」という言い方があって、大学ノートの表紙にいちいちノートブックと印刷されているのは、そんなの言うまでもないことであるから、デザインということがわかっていない奴が作った最低のデザインである、と教え込まれるわけです。

薙刀の目録、棒の目録、十手の目録など、種目別にいろいろあったり、実技に直接関係ないものは別巻というか、ちょっと別系統だったりします。
この段階か、これのひとつ上くらいを、中段中位中許などと言います。
これが終わった人は、子どもさんや初心者の指導くらいは、まかせられる。準指導員といったところ。

 

 上伝

そして上級段階。
今まで習った基本や原則とは少しかけ離れていたりする高級技法で、もはや極意と呼んでさしつかえない。
練習時間も初心者とは別になり、たまたま見たとしても何をやってるのか初心者には全然わからないし、情報化社会の現代でも、この部分は隠しまくってます。

今まではキッチリ律儀な、大きくてゆっくりな、バカ正直なやり方だったが、それは鍛練や勉強のためで、実際に使う時はもっと実用的な、効率のいい簡単なやり方があるのだ、しかし基礎もできてないうちからやったのでは安直で浅くなってしまうから今まで教えなかったのだ、というようなことを言われる。

早ければこれが終わったあたりで、一応の免許がもらえます。準免許
流派によっては、なに免許、なに免許と、いくつもあったりもする。

昔の武士が18歳くらいで免許皆伝とか言ってるのは、いくらなんでもこのへんのはずで、ここから上は駆け足ですませちゃっているか、あとは各自工夫して一生勉強ということにしちゃってるはず。
スポーツ化しまくった団体は、このへんまでしかないこともある。

流派によっては、そろそろ他流試合や武者修行も許されたりして、提携してる他の団体に行ったり来たりする。
もう、指導者です。師範代とか指導代理とか、ちょっとした若先生。品格とか人徳もハイレベルなことを問われる。
幹部会の一員になり、団体のことに発言権が得られる。武術では、会議というと、結論は出ていても一応全員が順番に発言したりします。
現代の場合、ここまで出世しても、父兄(保護者会、後援会)と同格に扱われちゃうってのがすごいことですが。

また、道場の運営にたずさわり始める。行事や広報のさまざまな手配、会計など。役付きになります。
そのかわり、ってわけでもないですが、現代だと、この段階からは月謝が免除になる団体も
ある。
そのかわり、御中元御歳暮とか、引っ越しや大掃除の手伝いとか、いわゆる「只より高いものはない」状態になることも多い。

 

 →つづき 

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