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なんのために伝書を読むか

 

技を盗むのは恐れ多いにしても、使わないまでも、自分が売りにしている得意技にどういう応用展開があるか、どういう返し技があるか研究工夫しないのは不勉強です。
ブルースリーの蔵書2千冊というのは、彼が天賦の才能にアグラをかいてなかったことの証明です。

むこう側の地図も頂上をめざすことにかわりはないから、むこう側だと区別できるのなら、大いに参考になります。違った視点、別の方法論を知ると、ずっと壁で進めなかったところが、あっけなく進めることがある。同じことを言っていても、よりわかりやすい言い方をしてくれていることがある。
それはもちろん、普段のたゆまぬ練習、バネをちぢめる作業があることが前提で、だからこそヒントを見てそれをヒントと気付くこともできて、上の段階にジャンプできるわけです。
上達は坂ではなく階段であり、歩いても歩いても平らな場合がよくある。そして、ヒントはどこにあるかわからない。絵画が専門の人も立体をやり、歌が専門の人もダンスをやるように、自分の方向、1本筋の通ったテーマがあるという前提で、アンテナは広げたほうがいいです。

それに、どういう歴史があったか、他にどんな団体があって自分たちは何が特徴かということくらいは、部外者に質問されて知らないではすまされない。その返答が業界を代表するからです。

後輩の指導をやるようになったら、よその教室ではどういう練習法をやっているか、昔の人はどうやっていたかを貪欲に学ぶべきです。これでベストと思っていても、改善の余地はいくらでもある。より良い指導法を試行錯誤することは、自分の上達にも直結します。

実技を重視するあまり、理論を無視してもいけない。試験の時だけあわてて模範回答集みたいなものを丸写し、そのアンチョコ自体も人から借りてるなんていう、全然身についていないんだから、それで恥ずかしいとも思わない神経もどうかしている。

武道をやらない人にとっても価値はあります。勝ち負けのある世界、あらゆるスポーツ、伝統を学ぶ世界、あらゆる芸事。経営や教育をやる人には特におすすめ。

逆に言うと、我々も武道至上主義におちいらず、他ジャンルの教本もたまには読むべきです。
どの世界にも達人がいる。こんなに恐ろしいことはありません。それぞれの道で人間形成は可能です。

 

カールフレッシュの『ヴァイオリン奏法』は、欠陥を客観分析して原因を細分化し、単純な練習で各個解決していくという、ものを学ぶことに関して古今東西最高の論理的教本とされています。

俺にとっては、この本↓を好んでます。
『 勿論、筆者は音楽の素晴らしさを言葉で説明できるなどとは思っていません。こと芸術に関して「何が正しいか」を言うことは困難でしょう。ともすると閉鎖的な師弟関係の中で指導者の一言が金科玉条になり、それが流儀となり、ひいては権威として硬直化する傾向なしとしません。生徒の立場に立ってみれば、あの先生はああ言っていた、この先生はこう言っていたということに振り回されかねない実情があるわけです。
 ただ人の意見を鵜呑みにするのではなく、どのようにすると如何なる結果が生じるのかという因果関係を自分で考え、さらに実践し、その中から自分の音楽を表現するために必要なものを見つけていくことが大切でしょう。
 したがって、ここでは「何が正しいか」よりも「何が間違っているか」を明らかにすることに主眼を置きました。明らかな間違いを避けることができるならば、あとは個々の才能に任せるべき問題だと思うからです。』

(雁部一浩先生『ピアノの知識と演奏 音楽的な表現のために』)

理論的なんです。本当の真理というものは、必然があってムダがなく、理路整然としていて、静かなものなんです。情緒とか雰囲気で派手にやってるものは、良くて無意味、悪くて逆効果であることが多い。
うちの城が悪口に終始しているのも、まさにここです。このポイントさえ外さなければよいという、そこさえしっかりしているなら、どうでもいいことは、どうでもいいことです。流派の違いに意味があるのではなく、その道を極めていけるかどうか、自分を向上させていけるかどうかが問題なんです。

『部屋に書物がないのは、身体に精神がないにも等しい。』(キケロ)
スポーツとか体育で記録や上位を狙うとか、興行の格闘技にさえ、理屈はあるのだから、ましてや、伝統文化を筋肉バカでやれると思ったら大間違い。

 

 

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