利家よりも年上だった? 前田慶次の軟弱ぶり
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男の格好良さというものは、いちいち語ること自体が格好悪いことでもあり、自分の手の内だから、男と見込んだ人以外には教えたくない気持ちもあり、教わったからといって身に付くものとも限らないんだけど、服装の話をする時はこういう問題にも触れないと、10代20代の方が誤解して道を外したら困るので、念のため常設しておきます。 コンプレックスを虚飾でごまかした奴 前田慶次郎は、勇将滝川家の子として生まれながら家を継ぐことができず、嫡子がなかった前田利久公の養子に出され、その前田家も継ぐこともできず、グズグズと屈折して酒と女におぼれ、上杉家の一家臣で終わった落ちこぼれです。 江戸時代の旗本が愚連隊を作り、離婚や幼児虐待などの家庭から少年犯罪が生まれるように、なにかコンプレックスがあると、それを補填するために、かまってもらえない子どもがことさら大声で泣き騒いだり、いたずらして親の注目を引こうとするように、自分の存在を認めてもらいたくて、自分を飾って目立ちたがる。心理学では補償といいます。いつの世にもこういう手合いが必ずいる。ただの敗北主義。 かぶき者は精神的に幼稚 慶次郎は自他共に認めるかぶき者でした。 かぶき者というのは… 本当の武士とは トラブルを鎮め、おのれの武勇を社会や国家の役に立ててこそ武士であり、さらに進んで、戦わずして勝つ、無刀、巌之身、活人剣、独妙剣、相抜け、自他共栄、たとえ笑われても恥をかいても、それで争いが収まるならば韓信公の股くぐり、逃げるが勝ちの無手勝流です。 武家の決まり事が嫌いで、それにこだわりたくないって、武家社会の悪口言うのはかまわないけれど、だったら武士をやめるなり、武家社会を改革するなりすりゃあいいものを、自分が都合いい所だけ「武士のならいでござる」とか持ち出すのは卑怯。 じつは年寄り じつは慶次郎は利家公より9歳年下、または4歳年上なんです。今では研究が進んでいて、いろいろ証拠が見つかってるらしいので、どこか専門サイトで見てください。 ところが、ジャンプか何かでマンガになったらしくて、これが、かなり美化しすぎなんですね。 他人のマネ、目標が低い その慶次郎マンガとドラゴンボールが好きだから、息子2人に慶次郎と龍之助と名付けたと悦に入ってる母親をテレビで見たことがあります。ジロウとスケじゃ、あんたそれ両方とも次男につける名前じゃないか。親が恥をかくのはいい気味だけど、息子さんは自分の存在意義がマンガだと知ったらどう思うかね。
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信長も利家も見離した 信長公は革新的な人だから、偏見にとらわれず、たぶん個人的には嫌いだったであろう明智光秀公のような人でも、実力次第で重用しました。役にたたない人はどんどん切り捨てることにも容赦なかった。血がつながってなかろうと、利家公が旧知の仲だろうと、慶次郎が本当に優秀なら前田家を継がせたはず。なのに信長公の命令で、利家公が前田家を継ぎました。 利家公も若い頃はかぶき者で、派手な槍で人目を引き、短気で喧嘩ばかりしていました。戦場での手柄も数知れない。小姓に笄を盗まれたときは、それが信長公寵愛の小姓であっても斬り捨てた。だから理解があり、利家公はかぶき者を優遇しました。 そんな人たちからも鼻つまみだった慶次郎というのは、かぶき者以前におかしな所があったとしか考えられない。 俺も暴力団や暴走族の人とつきあいがありますが、そういう人たちは男気を売りにしているから、たとえ法律は敵に回しても、友情とか信義とか礼節とか、男として絶対譲らない部分があり、信念を持っている。 利家のほうが真の男 利家公は義に厚い名君です。策略を使ってライバルを蹴落とす天下取りの時代に、蒲生家の病死と幼い遺児の後見、浅野家の嫌疑や加藤家の失脚のとりなし、諸大名に貸した借金を反古にする遺言など、ほかの武将が困っていれば自分のことのように助け、誰からも信頼されました。それでいて戦場では鬼神の働き。強さは優しさがあってこそ光る。 だから前田家は、領地の位置でしかたなく柴田側について羽柴軍と戦うはめになった賎ヶ岳の敗戦後も、まったく罪に問われなかったし、あれだけ大藩や豊臣恩顧をとりつぶしまくった徳川幕府のもとでも100万石を許され続けました。 慶次郎は、そのマンガでは、秀吉公に切腹させられる幼い大名を見殺しにして、気取った言い訳してたそうです。かわいそうと思うなら、天下を覆してでも中止させるよう口添してやるのが男ってもんだろうし、それができる実力があるかのようなそぶりを見せていて、やらないのは、自分だけかわいがっててズルイ。こんな野郎に名門前田を名乗らせるのもおこがましい。戦場ではたしかにバカな無法者っていうのは使い道があるけれど、将として国を治める器ではない。できないくせに、できるフリして、自由でいたいからやらないと言って逃げてるのは、滑稽ですらある。 珍奇異端を好むのも幼稚 男なら、同じ土俵で勝負すべき。何でも一芸をやった人ならわかると思うけれど、初心者のうちは、正統派は普通でつまらなくて、奇抜なものがかっこいい気がする。そんなことでしか自分の個性や価値が作れないようでも浅い。正統派なものは、それが選ばれただけの理由があり、つまりベストでムダがなく応用が広く、じつは奥が深いということが、やればやるほどわかってきて、結局はオーソドックスに戻る。 不良はボンタンとかは、それも結局、誰かに植え付けられた既成の価値観でしかない。俺が仕えたスケ番は、長いスカートは喧嘩に不利、学校から目をつけられるのも損との理由で、普通の服装でした。それでいて、その人が出てくると、どんな争いもピタリと収まった。 見せびらかすのは業界内だけ 暴走族のB(Rと並んで全国的な組織)の大親分さんは、全国のヘッドさんを束ねる総元締で、部下数千人だけど、温和で紳士的で、見た目もまったく普通の人です。○○君もう一杯いかがですかとか、やたら腰が低くて、10も年下の俺に、下の名前で呼び捨てにしていいですよとまで言ってくださいます。部下のみなさんからは、てめえ、このお方とサシで飲むのは100万年早えんだよとか言われるんですけど。 本当に強い人というのは、ことさら意気がって強そうに見せなくても、強いことは事実としてそこにあるから、他人の評価はどうでもいいわけです。むしろ、面倒を避けるために爪を隠す。その奥ゆかしさが、ますますかっこいい。 大会の帰りに、いかにも武道やってますって紋付のまま居酒屋なんか行って、酔っぱらい相手に一所懸命に武勇伝を説明してる人。道具をむき出しにして持ち歩く人。そんな場違いな所で他人に認めてもらわんでも…。
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