ウソつきは町奉行の始まり

時代劇は嘘でいいんです、面白ければ。『大岡越前』や『江戸を斬る』には、俺自身どれだけ感動したことか。

ちゃんとした時代劇は、時代劇という形を借りて、男の生きざまとか、悪に流される人の弱さとか、人が人を殺す苦悩とか、世の中の流れと自分の誇りとの折り合いとか、さまざまなことを表現してます。中身がある。生きた人間を描いている。
だから、設定の間違いなんか気になりません。なんなら時代不明の無国籍でやったって全然かまわない。

絵の具や楽器が安物でも、技術がつたなくても、こういうことを伝えたい、表現したい、という「中身」があれば、ちゃんと伝わるし、感動するもんです。

ところが、最近の時代劇は、何億円かけてロケしましただの、こんなにCGがリアルですスゴイでしょうだの、キャストや衣装が豪華だの、舞台ばかり凝っていて、じゃあ、それを使って何を表現するか、何が伝えたいのかというと、中身は空っぽ、安易で幼稚で観念的で、名作のレプリカでしかないものが多すぎる。
そんな作品こそ、丸ごと大きなウソの固まりみたいなもんでしょう。
舞台装置だけしか売りがないんだったら、こっちだってそればかり見て容赦なくアラを探しますよ。それで間違いだらけなんだから、何も見るべきものがない駄作じゃないか。

また最近は時代劇まで秋葉原っぽくなってきた。衣裳がコスプレ風になり、セリフが説明的になり、女戦士の言葉使いがみんなクシャナ殿下のパクリになり、普通の日本語のイントネイションもデタラメで(音だけ聞くと、検校が兼業、亨保が競歩、参議が算木、両刀が両党、二刀が仁藤、上段がJordan、石高が濃くだか?だったり、もうヘンテコなのばっかし。これはまあ局アナもみんなそうだが)、話に必然がなく、「芝居になってないお子ちゃま御遊技」が多い。
考証がデタラメでもいいから、せめて、その人物が実際に取るであろう態度を取ってくれい。身内を殺されたり、初めて人を斬った場面で、なーんの演技もしないなんて、それで役者を名乗って恥ずかしくないのか? 台本に何も書いてなくても、そこは、アゴをさわってみたり、目が泳いだり、何度も振り返ったり、なにかギャランティに見合うだけの仕事が要求されているのだぞ。行間を読め。

杉様のように、正しい考証をしつつ、それが面白さを減らさないばかりか、珍しい小道具や殺陣を見せて、かえって面白さを広げ、しかも人の心をきっちり描いて感動させる作り方もあるわけです。杉様の場合、ちょっと御涙頂戴が臭すぎるくらいだが…。

 登城はどうした
町奉行は1か月交代で当番があり、その月は毎日、
午前中は江戸城にいます。『暴れん坊将軍』の大岡様が史実に近い。
遊び人や浪人に変装して、みずから捜査するヒマなんかないない。
吉宗公の時代までは、非番の奉行も登城しなければならなかったらしい。町奉行が2人とも城にいては仕事がはかどらないから、1人は勘弁してもらえないだろうか、その日の仕事を夜までに終わらせたいから、という嘆願書のようなものを、大岡様と、もう一人の町奉行が、吉宗公に提出した記録があります。

 全部自分でやりすぎ
テレビの大岡様は同心を直接指揮しちゃってますが、
奉行の下には与力という役職があり、実際にはこの人たちがほとんど全部やっていました。同心を指揮して捜査を進め、犯人を逮捕し、調書を作成し、法律や判例にてらして量刑を決める。
奉行は、その書類を読んで決裁するだけ。
そもそも、地裁の裁判長と検察長をたった一人でやりながら、警視総監と都知事と東京駅長をやるなんて、いくらノンビリした時代でも、世界一の人口密度を誇った江戸の町で、そりゃ無理でしょ。
白州でも、縁側近くに吟味方与力2名、縁側に与力見習2名が座る決まりでした。

 大岡様の配下に、違法な奴がいる
町奉行所が博徒に頼って、十手まで持たせて捜査を手伝ってもらっているのは天下の恥である、調子に乗った博徒が権力をかさにきて悪さをする弊害のほうが大きい、ということで、何度も禁止令が出ました。
何度も出るってことは効き目がないってことで、実際、禁止されても十手持ちの親分がいたんです。それは間違ってない。
しかし吉宗公だけは厳しく、十数人の親分を処刑するなど、断固として改革につとめました。
その改革の右腕である肝心の大岡様が、辰三親分と寛太親分と一緒に事件を解決し、居酒屋「たぬき」で仲良く祝杯なんかあげちゃって、下手するとお忍びの吉宗公まで同席だったりする(笑) いや、吉宗公と辰三親分は確かに面識があったはずだ。

 存在しない役職を使っている
しかし裏世界に詳しい博徒は即戦力だから、目明(めあかし)が禁止されると岡引、岡引が禁止されると案内など、呼び方を変えてごまかしながら、制度そのものは続きました。
俺もついつい、岡引(オカッピキ)と総称してしまいますが、時代によって呼び方は違ったわけです。
たとえば、半七親分は幕末だから、「御用聞(ごようきき)」と呼ばなければいけない。

 犯人をソープに招待しちゃってる
町奉行は浪人以外の武士を裁けないけれど、小伝馬町の牢屋敷には、武士も拘留しました。
お目見え以上の旗本や、諸大名の家臣を入れる、15ないし18畳の比較的豪華な座敷牢があって、これを「揚屋(あがりや)」といいます。座敷に上がるからです。
これのことを間違えて、逮捕した犯人を「揚屋(あげや)にぶち込んでおけ」などと、よく言う。
文字は同じだけど、アゲヤというのは、芸者を上げるからアゲヤで、酒を飲んでバカ騒ぎして売春婦を買う施設のことです。

 本日の業務は終了しちゃってる
月番奉行所の門は、夜でも開けっ放しでした。

 看板を出しちゃってる
奉行所に限らず、武士は表札をほとんど出しません。特に大きな建物は、何様の下屋敷は何町とかいうのがわかりきってるし、身分ごとに門の豪華さが厳密に決まっているから、見ればわかるからです。
あれは大覚寺の明智門といって、ちょっと時代劇に詳しい人ならウンザリするほど見ている建物で、門前のドブや植木も含めて、たいていの時代劇に出てくる。

 

 今月いっぱいで捜査を交代しちゃってる
もうすぐ月番が変わる、早く犯人を挙げなければ、とあせるシーンをときどき見かけますが、月番といっても、取りかかっている仕事は月が変わってもその奉行所がそのまま続けてやりました。月番というのは、新しい事件や訴訟を受け付ける窓口が交代するだけ。
総掛(そうがかり)といって、大きな事件には南北両方が動員されたこともあるし、奉行が病気などの理由で2か月続けて非番なんてこともありました。

 南町なのに、すぐ廻船問屋が抜荷
月番に関係なく、酒、畳、材木、出版、廻船に関する問題はいつでも北町、木綿と薬種については南町というふうに、管轄してる分野がありました。

 なぜか長袴
あれは江戸城で、しかも式典の時に着る格好のはず。

 登城太鼓みたいなものを鳴らしちゃってる
時間を告げる太鼓でしょうか。登場に鳴らすのであれば、なんとなくヘン。

 いつも遅刻してる
白州というのは、引き出されるもの。
被疑者がビビってるうちに、一気に質問したり叱ったりします。
だから、奉行は被疑者より先に着席します。
奉行が遅刻したんじゃ、被疑者が場慣れしてしまう。動揺を落ち着かせる時間を与えてしまう。

 白州に階段をつけちゃってる
実際には、あんなものはありませんでした。
あれは歌舞伎の舞台装置です。

 いつでも晴れてる
史実では、お白州には屋根があったらしいんです。当時の文献の中に、建築設計に言及したものがあり、白州の屋根が間に合わないので仮の屋根を設置したとかなんとか書いてあるという。でなけりゃ、雨の日には開廷しにくいわな。

 勝手に裁判しちゃってる
白州には、幕府から派遣された監察官(御小人目付、徒目付、少なくとも1名ずつ)が、必ず同席します。
監察官が立ち会っていない裁判は、無効です(笑)
普通、奉行の斜め前に書役同心が1名座り、書記をつとめます。同心としてはかなり下っぱ。時代劇ではこれが後方に2人いるように見えるから、もしかしたら、片方は監察官なのかもしれないですね。

 つくばい同心が座ってる
被疑者が暴れた時に取り押さえる係の同心は、片膝をついてひざまづき、はいつくばって控えていました。
テレビでは、将几なんか用意して腰掛けちゃってる。仕事する気なさそう。

 前科者が奉行をやっている
「彫物(ほりもの)」は趣味で入れる粋なもの。
「刺青(いれずみ)」は刑罰として入れられる前科者のあかし。
たいていの人は、これをごっちゃにしてます。

 しかも絵柄が違う
実際は、金さんの彫物は桜吹雪ではなく女の生首、しかも全身に彫っており、正装の時は腕や首に布を巻いて隠していたそうです。
でも、女の生首の絵柄で撮影された時代劇もあるそうです。

 正式な家紋ではない
公式の場で金さんが使うべき家紋は、定紋の「丸に六本格子」のはずです。テレビでは裏紋の「丸に引両」を使っちゃってる。

 しかも絵柄が違う
金さんの引両は、二つ引のはずです。三つ引になっちゃってる。

 判決理由がデタラメ
不埒千万につき私財没収とか、不届至極につき獄門とか、そのへんは区別があります。
「不埒(ふらち)」は、島流し以下の量刑。
「不届(ふとどき)」は、死刑や切腹になります。
ふたつ不埒な悪行三昧をしたからといって、桃太郎侍が勝手に殺していい理由にはなりません。

 市中を引き回しちゃってる
女性犯罪者の市中引き回しは、見物客が多いために、沿道の野次馬整理が大変で、特に、美貌で男をたらしこんだ悪女とかいうと、単身赴任や出稼ぎで男性が多い江戸ではみんなが見物したがるので、大岡様ほか当時の幕閣が話し合って、1742年11月から廃止になりました。
ところが幕末の記録を見ると、女性でも引き回しという判例があるので、宣告はするけど実際は行わなかったのか、あるいは、幕末には復活していたのかもしれないです。
このへんは俺も勉強不足でイマイチわからないけど、とりあえず、大岡様の晩年の頃には引き回ししていなかったはず。

 十両ぬすんだ人を死刑にしちゃってる
『十両盗めば首が飛ぶ』、この言葉は時代劇でよく出てきます。たしかに、盗んだ金額(品物の場合、その相当額)が10両を超えると死刑になりますが、これは夜中に刃物をつきつけて強盗したような場合。
江戸時代の刑法では、盗まれるのは油断してたほうも悪い、くだらないことでオカミの手をわずらわせるな、金持ちなんだから犯罪にあうことは予測できたことであり、盗まれないように自分で注意するのが義務、という考えがありました。
白昼堂々と置き引きとかなら、10両を越えていても、初犯なら処払い(追放)、悪質でもせいぜい島流しです。
ローマの十二表法でも、夜の泥棒は見つけ次第に殺してかまわないが、昼間の泥棒は凶器を使って抵抗する場合以外は殺しちゃいけないことになってます。

 勝手に死刑を宣告している
死刑は、将軍や老中の許可が必要です。
大岡様は「入牢申し付け、余罪ことごとく吟味の上、きっと極刑申し付く」、という言い方ですね。黄門様でさえ、「藩主なになに殿より厳しき御沙汰があるものと覚悟いたせ」としか言わない。決める権限がないからです。

 死刑を言い間違えてる?
下手人(げしゅにん)という言葉は、時代劇では「犯人」という意味で使われるけど、刑罰の名前でもあり、軽い死刑のことです。刑場で殺されます。斬首。
もっと重いのが「死罪」で、財産没収されたうえに死体は刀の試し斬りに使われる。さらに重い
のが「獄門」で、生首をさらしものにされます。
「打首獄門」なんてのは、首が2つなければ不可能。「打首…じゃなかった訂正訂正、獄門!」という意味?

 

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