「いざよい」「いざり」

 

俺が子どもの頃、「いざよいさん」というのがいました。
膝より少し上くらいで足が切断されていて、キャスターのついた板の上に座って、手や棒で地面を押して移動する人で、戦争で負傷した元軍人さんらしくて、軍の略帽をかぶって道ばたに座り、経歴だかポエムだかを紙に書いて展示してあって、通行人から小銭をもらっていた。
俺が小銭をあげようとすると、ああいう人たちは国から相応の金額をもらっているからいいのだ、と親に怒られました。

うちの父だって戦争に行ってるから、父の元部下さんが全国からたずねてきて、片腕や片目のない元軍人さんもいたし、決して障害者に理解がないほうではありませんでした。
だからこそ、障害を売り物にして同情を引こうとするような「いざよいさん」は嫌われ者で、障害者を差別しない人から見ても鼻つまみだったようです。
障害がどうこう以前の、人間性の部分がダメだからです。

そのくらい障害はつらいことであり、気持ちがネガティブになってしまうのは、しかたない一面もあるかもしれません。
俺も一時期はボランティアをさんざんやっていたから、そういう施設や学校も見て回ったし、少しは理解できているつもりです。
それだけに、障害者なのに芸術やスポーツをやって輝いてる人の強さというのは、恐ろしく強いわけですが。

 

武術では、「いざよいやさあ」という掛け声があります。
たとえば面を打つ時に、「めーんいざよいやさぁーシャシャシャシャシャー」(実際はものすごい早口)などと言う。
この掛け声自体は、使う人は多いです。大学生などによくいる。例の卓球の、「ター」みたいな「サー」に近いです。
問題なのは、これが相手を侮辱したニュアンスがあるということです。武術では、ガッツポーズみたいなことははばかられます。
牽制してる時に言えば、「さあさあ」「それっ」というようなことですが、攻撃の瞬間に言うと、「お前はいざよい(ボンヤリつっ立っている)だから1本頂きだ〜〜!」という、勝ち誇ってバカにした意味がある。

理屈が先行して、精神的に弱く、動作が居着いていることを「いざよい」と言うからです。

たとえば、面を打とうとしたら相手が胴を打ってきたので、ビクッとしてしまい、打ちかけた面をやめて、手元を下げて竹刀を打ち落とそうかと思い、思ったのならそうするかというと、でもせっかく面があいてるから、やっぱり面を打とうか、などと、煮え切らずグズグズしているうちに、結局、胴を打たれてしまうというような状態です。迷いがある。

だいたい2段までは一方的に攻める積極性を重視しますが、3段くらいからは敵の出方に応じたり返したりということも重要になってきます。
初心者は無知だけに、かえって思い切りがよくて、がむしゃらによく動く人もいる。
そこそこ慣れ始めたくらいの人こそ、ズルをおぼえて手ぬきをし、練習もサボり、「下手な考え休むに似たり」で、あれこれ考えすぎて、体が動かなかったりする。また、足さばきに根本的な欠陥がある人が、このころから
上達も停滞しはじめます。

 

いざよいは、漢字で書けば十六夜です。
十五夜(満月)を過ぎて、ためらうように地平線から出て来る月のことです。
武術では円満の真円こそが理想であり、ゆがんだ円を嫌います。
オカルトのほうでも、これから満ちていく月は好みますが、欠け始めた月というのは没落、不幸へ向かうものと考えます。

つまり、初心者だから動かないのではなくて、動きそうに見えて動かない、というニュアンスがあります。
口先ばかり達者で、いかにも勝ちそうでいて、全く勝てない。期待させておいて、一歩も動けずに秒殺されちゃう。そういう、
中途半端な初心者をさして、いざよいと言うわけです。

それはいいんだけど、この言葉が障害者差別から来ているとすれば、聞き捨てなりません。

 

これの語源らしきものを俺は知ってるので、御紹介します。
こういうことをネットで扱っていいのか迷いますが、障害者を差別した歌に、
「ドレミっちゃん…」というのがありました。

いくつかヴァリエイションがあるのですが、「耳○れ(カリフラワーイヤー)」「や○目(視覚障害)」「ハゲ」「お○ち○ん(知的障害)」、「カ○チ○(視覚障害)」などと、差別用語が歌い込まれているもので、その中に、「十六夜いざりもアチャ転げ」という歌詞があったわけです。

足や尻をひきずるようにして、にじり詰める移動のしかたを「いざり」と言います。「膝行」とも書く。しっこうと読めば、これは柔術で誰もがやらされる正座歩きです。
しかし、俺がお年寄りから見聞きした限りでは、いざりとは
足が不自由な人をさす用語として使われており、特に切断された「いざよいさん」のような状態をさしていました。こういうことは国語辞典でもあいまいな書き方をしているようです。

70年代くらいの時代劇の、「おめえさんツ○ボかね、あの音が聞こえねえのかい」というような言い回しは、再放送では消されてしまいます。根本である心のほうを教育しないで、表現ばかり対症療法的に規制する言葉狩りが、いいか悪いかはともかく、ここでは障害者を悪いたとえに使うこと自体に話をしぼれば、やはり許されることではない。ましてや、武は人を育てる道であり、人格とか徳とか、心も育てていかなければなりません。

障害を持っていてもスポーツをがんばっておられる人は多いのに、五体満足でありながらロクなことできないというのは、自分に対しても、障害者に対しても失礼です。今の自分にできる精一杯のことをしているかどうかという点で、障害がどうこう関係なく、人として劣っている。

百歩譲って障害者を比較対象に出すなら、「お前の足さばきはいざよいだ」ではなく、「いざよい以下だ」と言ってもらいたい。

 

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