当サイトは、国、都、天皇家、恩賜上野動物園、(財)東京動物園協会などとは、一切関係ありません。
あくまでも一個人のホームページ上の仮想世界における、創作表現としての設定です。
空港からパトカーの先導で運び込まれ、お姿を一目見ようと人間たちが行列を作り、御成婚やお世継ぎ誕生が大々的に報道される、という状況を、社会学として風刺しているわけです。
すべての人が平等に幸せになれると言いつつ、党幹部だけ儲かるのが共産主義の常であり、人口の0.4%が国民所得の7割を独占している中国の格差社会は、王族貴族に似ていると思うわけです。
政治、宗教、民族、国家、パンダなどに対して、本当にアレな方、シャレがわからない方は、御注意ねがいます。
日付、名前、動物学などの数値と定義は、伝聞と個人的解釈ですので、誤謬と誤字のおそれがあります。
学術的な詳細は各動物園の公式サイトを御覧ください。
東京上野 大日本大熊猫皇室
前皇太后 1 皇祖 2 4 皇太后 3 先々帝
ランラン ━┳━ カンカン ━━ ホァンホァン ━┳━ フェイフェイ
┃ ┃
┃ ┃ ┌───中国王室───┐
┃ ┃ │ │
名誉内親王 ┏━━━━━╋━━━━━━━━━┓ │
(妊娠中毒、母子共に死亡) ┃ ┃ │ ┃ │
廃太子 長男 ┃ │ 廃太子 次男 │
チュチュ ┃ │ ユウユウ │
┃ │ │
┌───メキシコ王室───┐ ┃ │ │
│ │ ┃ │ │
│ 7 今上 │ 6 先帝 5 前女帝 │ │
│ シュアンシュアン ━━━━━━ リンリン ━━ トントン │ │
│ │┏━━ │ │
│ 後宮 │┃┏━ │ │
│ シンシン ━━━━━━━┛┃ │ │
│ │ ┃ │ │
│ 後宮 │ ┃ │ │
│ シーファ ━━━━━━━━┛ │ │
│ │ │ │
└────────────┘ │ │
摂政? 摂政妃? ←←←←← │
比力 ━┳━ 仙女 │ │
(力力) ┃ (真真) └──────────┘
┃
(男児、肺炎)
敬称略。 数字は即位順。 薄い文字は御隠れ。
72年、カンカン・ランラン両陛下が帰化して征服王朝を樹立。
少なくとも雑貨やぬいぐるみの市場と、国民の心は、完全に征服でございました。
ランラン陛下はカンカン陛下よりも年長ではあらせられますが、昭和という時代の社会性に従い、女帝様ではなく皇后様であらせられたと解釈しております。
カンカン陛下は大いに活発であらせられ、11月4日の式典でも、会場に先に姿をあらわしたのはカンカン様だったそうです。
ランラン陛下は大変におしとやかであらせられ、行儀が行き届き、眠る時しかダラケることがなく、チャラチャラしたバカ女どものハイヒールの音が大嫌いであらせられたと伝えられております。
79年、ランラン皇后が御隠れ、ホァンホァン皇后が後添に入る。
ランラン陛下の御遺体からは胎児が発見されたとの報道がありましたが、この御子様は出生しておられませんので、わが城では御一族にはカウントしておりませんでした。
西洋占星術においては受胎ではなく最初の呼吸をもって生誕とすること、これと同じ理屈であります。
しかし、歴代みな天界へ移動なさったうえは、この小さな御命も御家族の一員ではないか、水子供養をおろそかにしてはならぬ、との意見が理沙吉から出まして、もっともな理屈だと思いましたので、わが城からは名誉内親王位なるものをでっちあげてお贈りいたしました。
なお、この胎児がメスであったとする根拠は、オカルトです。わが城が誇る超一流の僧侶や神主の人脈を総動員しまして、それぞれの様式でおうかがいを立てたり占ったりしたところ、「非常に明解な手ごたえでメス」との回答で全員一致したため、これに従っております。実際には、解剖学的にはオスだったのかもしれませんので御注意ください。これは単なる信仰であります。
カンカン・ランラン両陛下を第一世代、フェイフェイ・ホァンホァン両陛下を第二世代と見る方もおられるようですが、御生誕もほぼ同時期、それが半分ずつ段階的な交代ですから、わが城では、この方々をすべて第一世代と解釈しております。
80年、カンカン帝が崩御、ホァンホァン皇后が立帝。
女性天皇は認めても女系天皇を認めない日本の歴史と伝統と風習の中にあっても、この場合は御嫡子がいらっしゃらない「つなぎ女帝」であらせられること、また、この王朝は外来異民族であることと、たとえ欧州型王室制度だったとしても「特殊な一族の血統」という要件を自前で満たしていらっしゃることなどから、配偶者に継承権があると解釈せざるをえません。
わが城は源氏の様式で統一しているため御成敗式目が失効しておらず、未亡人が御家を継承することができます。
82年、フェイフェイ殿下が御養子に入り、御即位。
ホァンホァン陛下からフェイフェイ陛下への禅譲があったと俺は解釈しているのであります。
対外的には夫を立てて妻は一歩引くことによって、夫は矢面に立って妻をかばい、妻はつつましく家庭にこもって留守を守ると見せかけてグータラし放題、裏では夫を尻にしいてタジタジにさせているという、「亭主関白の皮をかぶった嬶ァ天下」こそが、夫婦円満の極意、仰々しくない真のレディファースト、お互いに恥をかかせることもなく、お互いに無理も我慢もなく、最も見た目に美しく、最もわが国の実情にふさわしいものであるというのが、わが王朝の基本的な方針であります。
男に愛され大切にされている女は、トゲトゲしたジェンダー論者になる必要がないのであります。
てめえが行かず後家なものだから、女の権利の自立のとギャーギャー騒ぎ、ますます男が寄り付かなくなる、そういうギスギスした女性(?)もそれはそれでよい、そういう頭のいい人もいていいし必要かもしれないから、そのかわり、専業主婦で幸せ、家事と育児は有意義で偉大な仕事、今のままで充実していて幸せという女性は、それはそれでよい、どちらでもよいが、わが王朝においては、こちら側を好まれて選択なさったということであります。
下世話にも仮腹、産む機械などという、ふざけた言葉がございますが、仮種、種付けというのも失礼な話で、子どもを産むための道具として男をくわえこんだとか、しかも二夫にまみえるとあっては、皇譜に傷がつきます。
ホァンホァン陛下は、退位をもって倫理の筋を通されたのでございます。
おふたりとも中国生まれであらせられますから、いまだ朝廷はオランダ型の「世襲している総督」に近い状態であり、フェイフェイ陛下は年上であらせられ、御血筋に於かれましても皇配様ではございません。
なおかつ、王朝は交代しておらず、ホァンホァン陛下を橋渡しにフェイフェイ陛下はカンカン朝を継いでおられます。
85年、チュチュ殿下が御早逝。
立太子なさったかどうかにつきましては、第一子で男子というと、普通は産まれた瞬間に次期玉座が実質的に約束されているものでございます。
わが城からは名誉皇太子位を御霊前に御献上いたしました。立太子即日廃嫡という格好であります。
92年、ユウユウ殿下が皇籍を捨て、中国へ。
姉思いのユウユウ殿下は、御自分の身と引き換えに、リンリン殿下を来日させたのであります。
厳密には、立太子なさらなかったということになるのですが、わが城からは元皇太子という肩書をお贈りしました。
皇統の万世繁栄のため、日本の動物園の繁殖技術向上のため、みずから野に下りあそばしたと解釈しているのであります。
弟に嫁を迎えるために姉を国外へ追い出すのは末代までしのびないというのが、ユウユウ殿下の御心であったこと、間違いございません。
また、このころになりますと、性別よりも生まれ順によって継承とするのが世界各国王室の主流となってまいります。
92年、内親王トントン殿下が内親王配リンリン殿下と御成婚。
これは降嫁ではございません。
将来、女帝におなりあそばすことが確定しているからであります。
恐れ多くも、姑ホァンホァン陛下と婿リンリン殿下との間には男女の関係があったのではないかとの風評が一部にあるようですが、わが城の築城前のことでございますから、これに関しましては、わが城はわかりかねます。
若貴の本当の父親は誰か?という話は、兄弟そろって横綱にまで登り詰めたからこそ、下品な週刊誌の売り上げ増にもなるのでしょうが、ホァンホァン陛下にはその後、新たな御懐妊があったわけでもなし、今さら何を言っても詮無きことでございます。
そうなりうる可能性はあったかもしれないし、なかったかもしれないが、結果的にはそうならなかった、「繁殖に至らなかった」ということが、唯一はっきりしている真実でございます。
日本のパンダが全滅した今となっては、浮気でも三角関係でも庶流でも、とにかく御生誕があったほうが、よっぽど天下万民の為になったと思えてなりません。
94年、フェイフェイ帝が崩御、ホァンホァン皇后が重祚。
フェイフェイ陛下は御在位が最も長くあらせられ、ホァンホァン陛下は暫定的な「つなぎ」の女帝であらせられたかのように見えますが、じつはフェイフェイ陛下のほうがつなぎであらせられ、ホァンホァン陛下のもとに政権が戻った、これがカンカン朝の正統性の根拠でもあります。
なぜ、ここでトントン殿下が御即位なさらないかというと、家長であらせられるホァンホァン陛下が公務をお続けになっていらっしゃるからであります。
なりたくてもなれないが、なりたくなくてもなる時はなる、やめたくてもやめることができないというのが、封建制のおつらいところであります。
いくら税金でタダ飯を食ってきたからといって、死ぬまで働けというのは、危機管理としても心情としても、もう少し検討の余地があるのではないかとの思いを禁じ得ません。
ブータンなどでは、早め早めに禅譲し、いつも少年王の即位になっても、すばらしい善政をしいておられます。
97年、ホァンホァン女帝が崩御、トントン女帝が継承。
トントン陛下こそ、日本でお生まれになって日本でお育ちになった最初の皇帝であらせられ、ここで日本のパンダ皇室が本当に始まりました。
ですから、生涯、鉄の女として君臨なさったと俺は見てます。
ぱんだ城も、このお方を主君として築城いたしました。
新たな御家ですから、これ以降はカンカントントン朝と申し上げてもよく、リンリン陛下は厳密には皇配殿下でございました。
しかし、リンリン陛下のほうが御年長でもあらせられ、形の上では皇帝様と皇后様として、わが城でも両陛下とお呼びして、早くから大奥を二之丸へ移し、共同統治の変型とみなしておりました。
「女親分がふんぞり返っていて何もせず、実質的な業務は夫にやらせている」という、女神--男性神官型の形態であります。
一番強い者は、番長ではなく、裏番になるものでございます。
最も偉い人はあまり表に出ることがなく、実質的リーダーを誰かほかの者にやらせて、失敗してもいいから存分にやれ、失敗したらその責任は俺が取る、という形にして若手を育て、危険を分散し、余力を温存するのであります。
トントン陛下は、威張り散らす必要がないから威張らない、偉そうにしなくても偉いから偉そうにしない、それよりは、男に恥をかかせないでやろう、くだらないメンツでも大切だと言うなら大切にしてやろう、という余裕と優しさでやっておられたのでございます。
00年、トントン女帝が崩御、リンリン帝が継承。
ここで、リンリン陛下は名実ともに帝位であらせられます。
こう申し上げてはナンですが、リンリン陛下は気のお優しい繊細な方であらせられましたので、この時点まで、すべてトントン陛下を優先して、遠慮なさっていたのであります。
帝国主義の戦闘国家の皇室制度という、男尊女卑の元祖総本店のような所で、これほど女性を大切になさる方がおられる、これを国民はよく考えねばならぬところであります。
男女は決して平等ではなく、それは、どちらかがどちらかを虐げて支配するということではなく、自分が損をしてでも相手を大切にするという意味において不平等で大いによろしいのであり、それをお互いにおこなうことによって初めて、全体では結果的に平等になるのであります。
福沢諭吉的に権利権利と自分ばかり欲をかくのではなく、譲り合ってお互い様という美しい平等をめざすものであります。
飲み物や食べ物を2人で分ける時に、何ミリリットルの何グラムのときっちり等分にするのは、愚か者のやり方であります。
わが王朝においては、まず一方が等分だと思うところまで取り、残りをもう一方が取るのでありまして、当然、前者は遠慮して少なめに取り、後者はもっと取っていいよと微笑む、こういう状態をよしとするのであり、現状では無理でもきっといつかはそういう社会にしたいと願って王朝を立てているのであります(というか、かつてはそういう社会だったのであります)。
01年、リンリン帝がメキシコ3姫を御召し上げ。
この時点では、3姫とも御側室です。
メキシコ王朝では鼎立アイドルユニット型統治のようで、どなた様が代表というものでもないようです。
「この国には女しかいなくて子孫が残せません。ぜひ私たちの王になって、好きな女を選んでもらえませんか」という、ウハウハ(死語)なことになっていたようです。
古くはスペイン王の、さらに古くはアステカ王やマヤ王の土地であり、あまり知られていませんが現在は複数の準国家の集合体であり、キャラの位置付けが(わが城にとって)難しいということが原因ではないかと思われます。
なお、側室制度につきましても、現代の皇室のあり方としては抵抗を感じるところが少なくないのは勿論でございますが、一夫多妻は現代的でないとしながら、その一方で、御世継の御生誕しかも男児を要求される、…そもそも現代的でないものを現代的に改めることなく現代に於いて現代の価値観で運用しようとするところに根本的な無理があるのでございます。
保険をかけるもかけないも、博打を打つも打たないも、選択の余地はあったものを、保険をかけずに博打を打てと嫁に要求しておいて、不首尾とあらば何もかも嫁のせいというのは、努力でどうにかできるものでもなし、あまりにも御気の毒なことでございます。
わが王朝では、わたくしども国民が無理難題を強いるからには、使える手段はすべて使っていただき、可能性を広げるのは大いに結構という、至極合理的な道を選択したのでございます。
03年、シュアンシュアン姫がメキシコ国籍のまま、皇后になる。
これは継室、御成婚、「家に入った」ということでございます。
古くは通い婚の風習が日本にもあり、また、動物園内外の表記でも「お嫁さん」「お嫁入り」「結婚」などとポスター等に書かれ、わが報道部の確認でもあきらかに上野動物園の身内扱いでございました。
つまり、リンリン陛下は側室制度に一応のけじめをおつけになったということでございます。
なお、選考理由につきましては、シーファ姫は御高齢であらせられること、シンシン姫は神経質な御気性であらせられることが勘案されたとの宮内省発表がございました。
08年、リンリン帝が崩御、シュアンシュアン姫が立帝して兼任。
「日本のパンダ」は滅亡。カンカン朝はメキシコ王室の所有となりました。
シュアンシュアン陛下がメキシコ王女と日本女帝を兼ねる同君連合でございますが、なにぶん地球の裏側では…。
中国から新たな御夫婦を迎え、代行していただく方向で検討中。
11年、摂政比力殿下、摂政妃仙女殿下が御来日。
この方々の扱いについては、わが城も思案に苦慮している次第であります。
12年、摂政夫妻殿下に、男児の御生誕と早世。
お子さんの扱いもまた、思案に苦慮する次第であります。
とにかく御冥福をお祈りいたします。
天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は早く掃い除くべし。
「日本のパンダ」は滅亡しましたが、わが城は中国の城にはなりません。
その前に筋を通すべきことがある。
まず、すでに夫婦であらせられますから、シュアンシュアン陛下を女帝として、2008年4月30日付で承認、その居城であるチャプルテペック動物園を主城としました。
さらにシュアンシュアン陛下が亡くなっても、3姫の残りシンシン姫とシーファ姫は御側室ですから、この2姫に皇位を継いでいただきます。
この3姫が子を残さずに亡くなった場合こそ、日本のパンダ皇室は絶えます。
世界三大珍獣
世界中の動物の中で、最も希少な血統は、パンダ一族のほかに、オカピ様と、コビトカバ様の御一族がいらっしゃいます。
上野動物園は、この三大王家が揃っていることも、世界的にすごいことです。
上野動物園の年間パスポートの入手方法
パンダも来たことだし、年間パスポートを手に入れようかと思っている、そこのあなた。
そのほうがいいです。高いもんじゃないし、すぐに元が取れる。
わかりにくい、公式サイトを見てもわからない、との御質問を頂いたので、説明もうしあげます。
1
自動券売機ではなく、窓口に行く。
表門(正面玄関)に向かって左に、「団体客の受付窓口」というのがあるので、そこへ。
2
色白で、ほほの赤い、いかにも純朴そうな女性係員さんがいらっしゃるので、その人に、「年間パスポートくださいっ」と言う。
大人だと2400円です。品物自体は、厚紙のカード。
買った日付が、かなり大きな文字でスタンプされている。
その日はもう、それで入園できます。
3
ただし、買ったら、ただちに名前を記入しなければならない。
ボールペンが、そのへんに置いてあります。
上野動物園さんは、年間パスポートを貸し借りして使い廻しされることを危惧してらっしゃる。
4
そして、次回までに、顔写真を貼り付けておかなければならない。
プリクラでも切り抜きでも何でもいいから、所有者の顔を貼り付けて、限定しなければならないわけです。
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