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1967年(推定)
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まだ毛沢東がのさばっていた時代なので、何の罪もない人々が絵空事の共産主義を押し付けられ、パンダよりも先に檻に入れられたり、飢え死にしたりしていた。 ソ連ではキチガ○の独裁者がやっと死んで、良識フルシチョフさんが活躍し、50年代後半からソ連はずいぶんまともになった(このあとふたたび、ブレジネフの、バカ丸出し路線に逆戻りする)。 毛沢東は小粒のスターリンなので、独裁者が国民を弾圧したり、肖像画や銅像を作って崇拝させたり、それを批判する人(つまり優秀な人)を抹殺したり、ヘタクソな農政で何千万人も餓死者を出したりって、それ全部てめえのことだから、スターリンを悪く言われると自分がヤバいもんだから、改善したソ連とはどんどん仲が悪くなり、60年代の中ソは明確に敵だった。 敵の敵は味方なので、中国はアメリカに急接近する。 アメリカは穏便ニクソン政権になっていて、ヴェトナムで恥をかくのをいいかげんにやめて、北ヴェトナムの黒幕である中ソとは仲良くする方向。 西側自由主義陣営から見れば、中国の正当な政府は台湾の国民政府だが、政治は現実であるから、中国本土を取り戻すことは金輪際なさそうな台湾を見捨てて、嫌いでも共産中国とつきあっていかなきゃならない。 そして角栄さんこそは、巨大な政治家である。 簡単に言えば、岸、福田、森、小泉、安倍という清和会系の流れは、エリートおぼっちゃま、勝ち組優先、何でもアメリカの言いなり、経済効果が薄い。 もうひとつの大きな流れが角栄さんの方向、のちの経世会系で、庶民的、誰もが得する社会、基本親米でも日本独自の外交、特にアジア地域の連係、金には汚くてバブリー、土建屋的。 もう一点、誰も指摘しないから俺が言うが、日本にパンダが来たのは、あきらかに、日本側の国家的な意思が働いている。 71年の秋、本物のわが両陛下(つまり、日本国の両陛下)が、50年ぶりに欧州7か国を訪問なさって、10月7日ロンドン動物園でチチ(♀)を御見学、もともとが生物学者であらせられる昭和天皇は大変なお喜びようだったという。 なぜなら4年後の75年のアメリカ訪問では、10月9日たった5時間しか滞在時間がなかったサンディエゴで、両陛下は動物園見学を強行、コアラをナデナデなさったところ、親日のオーストラリアがたちまち輸出規制を法改正し、84年にはコアラ来日が実現しているのである。 天皇は決しておねだりはなさらないが、臣下たるもの、そこは察して気を利かせなければなるまいて。
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68年11月(推定)
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70年11月(推定)
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72年(推定) 72年9月29日 72年10月28日 72年11月4日 72年11月5日
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73年 73年5月10日
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75年
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77年
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78年
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79年8月10日頃 79年8月31日 79年9月4日
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第一次ブームと第二次ブームの境目は諸説あり、ゆるやかに連続もしている。
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