←戻る 本当の「飛天之術」
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坐禅の状態から空中浮遊するとか、本気で言ってるカルト宗教が多いけど、重力を遮断して人体が浮かぶわけないでしょう。小学校を卒業したのかね。 この話題は秘伝の極意に関することなので、今まで隠しページにしてましたが、この情報を隠しておくと魔道に落ちる人が増えるばかりなので、少し加筆と削除をして、「禅堂」に付属させておきます。 と言ってから、二之丸の編制変えでふたたび隠しページになりましたが、もう一度復活させました。 気功の人が手を触れずに500円玉やライターを動かしたのを目の前で見たことがありますが、それでも俺は信じてません。同じ現象は手品でも可能だからです。 武術にだって、知らない人から見れば超能力みたいなものはいくらでもあり、窓ガラスを割らずに窓ガラスのむこうにいる人物に分銅を当てるとか、切先が届いてないのに斬れるとか、タネやシカケを知ってしまえば何でもないものばかりです。 宗教として信じるならいいんです。思想や信仰は人権として自由だから。しかし、科学として信じ、物理的に現実だと言うなら聞き捨てならん。 たしかに、ヨーガにああいう修行がありますが、浮かぶのは一瞬だけです。しかも自分の筋肉の力で(ただし、自分の意思とは関係なく)反射のようにジャンプして、地球の引力で落ちるだけ。 ところが、ある種の姿勢や呼吸によって、この一瞬のジャンプが、まるで1時間も2時間も飛んだと感じるようにしていくんです。 つまり、感覚を鋭くして、実際より時間の流れを長く感じる訓練としてやるものなんです、本当は。 その修行の過程で、現象として、ああいうケイレンがおきるというだけのこと。 時間の流れは一定でも、自分のほうがたくさん動けば、1日で2日分の仕事が片付く。 これが何の役にたつかというと、敵の攻撃がゆっくりに見えるということです。野球では、「ボールが止まって見える」と言います。
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密教では17のポーズと3つの呼吸法からなる5段階のヨーガです。 オカルトで言う空中浮遊というのは、想念(意識)を派遣して走査するもので、いわゆる幽体離脱とか生霊です。 清水圭さんが子どもの頃、どうしても見たいテレビ番組を見ている途中で、どうしてもトイレに行きたくなったが、我慢して見ていて、やっとCMになったので急いでトイレに行き、勢いよくドアを開けたら、そこにもう一人の自分がいたので驚いた、たぶん気持ちだけが飛んでしまっていたのだろう、という恐るべき実話があります。 孫悟空が雲に乗って移動するというのも、俺から見れば、これのたぐいです。 そういう意味の移動や飛行なのであって、オカルトの人たち(ただし、本物をやってる人たち)は必ずしも人体が浮かぶなんて信じていないばかりか、人体が浮かぶ必要もないし、人体が浮かぶよりもはるかに使い道がある術だからやってるわけです。 人体が浮くと信じたほうが、イメージしやすいということはあるかもしれませんが、あたかも物理的に浮くかのようなことを言って勧誘するのは卑怯でしょう。 これは初歩的な段階でやらされる修行のひとつにすぎないんだけど、やっていると必ず、世界がすべて自分のもののように感じるという副作用があって、孫悟空も、どこかの教祖も、失敗しています。やるんだったら絶対に、まともな(社会人として常識的な)師について、監督指導の元でやってください。 武道家が千里眼や予知能力を使った例は多く、熊笹の上に座っても熊笹がへコまなかったなんて話もあります。 俺の仲間うちでは「ア○○○リ」という足さばきを通称「飛天」と言っており、間合を一気に詰めるダッシュです。この種の技術がないと、中年以降、若い人の一撃離脱に勝てない。
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