コレがわかっていないと、絶対に挫折する

三日坊主にならないコツ

 

偉そうなことを書いてますが、わが城の水軍は、いずれ、必ず、また始まりますから(笑)

 

 まず環境から

苦しいのも自分、サボるのも自分、しかし、がんばるのも自分、みんな同じ人。だから、そりゃうまくいくわけがない。水が低い方へ流れるように、ラクなほうへ行きますよ普通は。

だから、習慣になるまでは、やりやすい環境を整える。環境が整ってないから、という言い訳するんだったら、じゃあ自然に環境が整うまで一生そのまま? いつか誰かが環境を整えてくれるのを待っていて、その誰かのせいでやらないワケ?

ジムにかようなら自宅から近い所を選ぶ。会社帰りに寄るというような不確定なことはしないで、専用の時間を確保し、何曜日は用事があると周囲によく言い聞かせる。

できれば知人のいる教室に入るか、そこで知り合った仲間といつも一緒に行くとかする。部活は、毎日練習するつらさより、サボったあと顔を出す気まずさのほうがつらいでしょう。現場に一歩入ってしまえば、誰でもやらざるをえなくて、やるもんです。
たとえば犬を飼い、タバコを買いだめしないだけでも、ジョギングに出る機会ができる。

ただし、自分を追い込むというのは少し違う。機会を作るだけです。

 

 意気込まない

自分の感情を強制してはいけない

ライバルの写真とか負けた試合の写真を貼って、ハングリー精神を鼓舞するという手もあるけれども、これは試合前の短期追い込みとかならともかく、日々の練習が習慣になってないうちは逆効果。練習が暗いイメージになって、ますます嫌いになり、考えるのもイヤで遠ざかり、たとえ逃げられない環境を作ったとしても、逃げられないだけに心だけが現実逃避する。

それに、武道は人柄も重要なので、あまりネガティヴなことでは、ギスギス、ガツガツした感じになってしまう。学生のうちはそれでよくても、後で必ず苦労します。

理想に近づいていることが嬉しくて、練習が楽しくてしょうがないっていうのはうまい状態だけど、これはこれで暴走しやすい。調子に乗って練習しすぎると故障する。勉強や仕事がつらいときに道場が逃げ場所になりやすい

練習は苦痛、それでいいんです。苦痛を我慢するから心が鍛えられる。苦痛なのに、楽しい楽しいと自分に嘘をつくと、なんか脳内麻薬が出て苦痛が喜びとか、それもまたヘン。やる気が出なくて当たり前、でもやる。「楽しい」も「苦しい」もそれはそれ、それ以上でも以下でもなく、他人事のように、まあそういうものなんだというくらいの認識で、淡々とコツコツ課題をこなす。練習を高尚で特別なことだとは思わないこと。祭り上げると遠くなってとっつきにくい。

ただし、惰性でやるということとも少し違う。

 

 毎日確認する

積み重ねるのは少しずつしか積み重ならないけれど、ちょっと休むと身についたものがすぐ消えてしまう。身につけてはパー、身につけてはパーで、ぜんぜん前に進まない。まだ体内に入っていないからです。定着させるために繰り返すことが大切です。
特に、技の上達に関してはコツコツやるのが一番です。週1回9時間やるより、毎日30分ずつやったほうが、はるかに上達します。武術だと、それは逆だとおっしゃる先生が多いですが、それはたぶん達人になったほどの特別な人だからです。俺みたいな凡人だと、声楽でもデッサンでも、毎日やって感覚というか手ごたえを忘れないようにしていなければ、全然前に進みませんでした。
俺がクラシックをバキバキ弾いてた頃は、1曲を1日70回というのがノルマでした。100回とは言わないが70回が私の経験から見て最低ライン、というのが師の教えだった。ソナタの長いのだと、もう一日中ピアノにかじりついていなければならなかったです。
たしかに合宿や夏期講習で集中的にやって劇的に進歩するとか、たった1回の練習試合で何かが大きく変わるということはありますが、それは日頃の積み重ねがあるかないかでは進み具合が全然違います。
気分が乗らない日も当然ある。慣れないうちは、やるのを忘れていることもあったりして、それは脳がブレイカーを落として、都合悪いことをわざと忘れさせていたりする。だから目標を毎日再確認しましょう。決意を新たにするとか言うと肩に力が入るから、やることがあるんだっけな、という程度。

まだできないことばかり考えていると落ち込むから、この課題はクリアしたというのを確認する。大きな問題を細分化し、さしあたって今日はこれとこれを重点的にやろうとか、練習前に目的意識を持つことが大切です。

人体の大部分は6か月で入れ代わります。この半年なにをやっていたかが、その人の姿をかたちづくっている。結果がすぐ出なくても焦らず続けてください。

 

 完璧はありえない

完璧主義は絶対に続かない。完璧な人間は一人もいないからです。すでに完璧だったら武道やる必要はない。ましてや才能のない凡人で、しかも初心者なんだから、今は理想から遠くて当たり前。へんなプライドは捨てる。自分を過大評価せず、未熟者であることをいさぎよく認める。さもないと、言い訳がましいのに自己嫌悪という、一番まずい状態になり、見た目にもみっともなくて、自分も苦しくて、ますます行動力が減ってしまう。

三日坊主で終わる人は、たいてい最初からたくさんやりすぎです。疲れすぎ。今回疲れるまでやると、次回はもっとツライ。慣れるまでは、どのくらい疲れるか読めないから、まだがんばれるというくらいで切り上げることです(あくまでも、慣れるまでは)。
練習には、だれもがここで止まるという線、そこからもう一歩進んだ人だけが勝てるという線があります。それはいずれ越えなければならない時が来るけれど、慣れないうちに極限までやると挫折する。

行動おこさない奴に限って完璧主義、しかも自分を美化してる傾向が強い。ただでさえ続かない人が、わざわざ難しくするこたあないでしょう。まずは少しでいいから、やりきって、小さな自信と実績を積み重ねていく。目標は短期にして中間目標があるといいです。

あえて言ってしまえば、全くやらない奴に比べたら、3日坊主でもまだいい。やってはサボり、後ろめたくなっては再開し、それでも本当にそれが好きなら、結局は続けていくはずです。そのうち、3日坊主では全然上達しないと気付き、自然に続けるようになる。動き出したばかりは、ヨチヨチ歩きの助走でいいんです。いちいち自己嫌悪になってたら、離陸どころか助走にもならん。
動き出してしまえばこっちのものです。今までの積み重ねがパーになるのがもったいなくて、トレーニングを休むわけにいかなくなる(笑)

日常の中で思い付いたらとにかくやる、少しでもやることです。やる気がおきたチャンスをのがしてはならない。「やるからには、その時はトコトンやるつもりだから、まだ今日は…」とか言い訳して、やる気を自分で消してしまわないこと。疲れていたら、疲れていない筋肉だけでも動かせばいいんで。

切り捨てることも重要です。気合を入れすぎて、重要でもない英単語まで全部おぼえようとかすると、空回りして自滅します。

 

三日坊主は、なおります。大丈夫。
俺も以前は、日記といえば毎年1月中旬で挫折、稽古も極端にやったりやらなかったり波がありました。

これは9割がた白紙の日記を補填するため、いつ何をしたか、マメな人に1年分を書き出してもらったもの。これ便利でいいや、またこういうの定期的にちょうだいと言ったら、ふざけんなと、二度とくれませんでした。俺の日記が食べ物の話に終始するのも、文体が支離滅裂なのも、この人の日記スタイルから影響を受けてます。

これは25年くらい前。初めての子分や彼女ができて毎日忙しく、稽古をサボっていたら、友達が大真面目に叱ってくれた手紙。額に入れて飾り、毎日ながめてます! この人はコツコツと努力を重ね、のちに部長になった。
自分の強さだけならどうにでもなるが、面倒見の良さ、人を育てるということを、初段どころか三級すら取らないうちから到達している、こういうすごい人もいるわけです。
普通は、自分以外は全部ライバル、蹴落としてでも人に勝とうとするでしょう? 一緒にがんばろうって、これこそ武の究極、自他共栄の人間形成ですよ。
俺もその後、オッサンという理由だけで学生さんの指導を少しは手伝わせてもらうようになったけれども、当時のこの人の偉大さに、今でもかなうかどうか。この筋トレのコーナーは、この人にささげます。

 

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