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 人殺しの血筋

 『イングランドを含めたヨーロッパのノルマン系の貴族の家系を歴史家が調査した結果、ほとんど全部が一○五○年ごろまでさかのぼるが、それ以前はわからないということだった。これらの家柄は、イギリスを、シチリアを、さらにイタリアの大部分を征服した、さまざまの侵攻軍団に属するノルマン人であった。その多くは、元をただせばつまらない山賊であり、たまたま侵略軍に参加したのだった。
 ウィリアム庶子王(と、正直に呼ばれている)は、一○六六にイングランド侵攻に当って、武装集団に対して無差別の参加を呼びかけ、征服の戦利品の分け前を与えることを約束した。そして、無事イングランドを征服した暁に、これらの武装兵員の多くは、土地を与えられ、定着して貴族や紳士になった。
 しかし、これらの兵士たちの血(遺伝子と呼ぶべきであろう)は、戦争用に選ばれたものであった。弱者は滅び、子孫を残さなかった。当時の平均寿命は約二十年であった。』(トレバー・レゲット先生『紳士道と武士道』)

どこの国でも支配者階級は、殺人と略奪を職業にする家柄、戦争屋です。
先祖が武士や軍人だということは、それだけでは偉いことにならない。

もっとも、日本では農民も雑用係として何万人も戦争に参加させられたんですが、それで、優しい人や忠義の人はみんな死んでしまい、野蛮な人、卑怯な人、ズル賢い人ばかりが遺伝子を残したとしたら…。

商人や職人をやってた家柄は、経営や芸術にすぐれた人の遺伝子を受け継いでいるとも言えなくもない?

 

 家柄は混ざる

自分には男女2人の親がいて、親は4人の祖父母から生まれている。祖父母は8人の曾祖父母から生まれていて、それは16人の曾々祖父母から生まれている。
2倍2倍ですから、20代後半で産むとして、たかが2世紀前でも128人とか256人の御先祖の血が混ざってることになる。
3世紀前なら2千人、4世紀前なら3万人くらい。
3万人って、ほとんどひとつの街の人口ですよね。
今は無関係のように思える人、そのへん歩いてる赤の他人も、未来には親戚になってるわけだ。

告白したがふられた、結婚を許されなかった、結婚したが別れた、赤ちゃんができなかった、というカップルも、生まれ変わってーめぐりあーうよー、です。

江戸時代初期にあった3万種類の家柄が、今の自分の体内に集中しているっていうと、源氏も平家もねえもんだ。
さらに、養子とか連れ子とか継母とか浮気とか、いくらでも他の血筋が入る
有名人の子孫とか、被差別部落とかが、どれだけいいかげんか、わかるでしょう。

 

 

 

 大后制

この話はタブーなんですけど、かつての皇室には近親結婚がありました。
親戚から嫁を迎えている。叔母や姪と結婚した例まであるという。

大后制というのもありました。異母妹を正妻にする制度です。
一夫多妻制で、皇后(正妻)と、妃(みめ。2号さん)がいて、皇后は男の子を産み、妃は女の子を産み、そして男の子は次の天皇になり、女の子はその皇后になる。

25代目の天皇、武烈天皇には嫡子がなかったので、曾々祖父の弟の曾々孫が北陸にいたのがお出ましになって継ぎ、これが継体天皇です。
紀伊家から入った吉宗公が、御三卿を作り将軍家を直系で独占しようとしたことと、しばしば比較されるんですが、大后制が始まったのが、この継体天皇の頃なんです。

天皇は前の天皇と4分の3以上同じ血であり、皇后は前の天皇と半分は同じ血であるから、これをかけあわせても、やっぱり半分以上は前の天皇と同じ血になる。他の遺伝子があんまり入ってこない。

世界一長く続いてきた皇室であるだけでなく、血が薄まっていないということがすごいわけです。
それがいいか悪いかではなく、そうやってきたのが我々の国の元首であり、この壮大な歴史の前では、我々庶民が家柄を自慢したり部落差別を気にしたりしてるのはバカらしくなってくる。

 

 天皇家にも姓がある

もともとたくさんあった古代の有力豪族の中から、勝ち抜いて日本を統一したのが今の皇室だから、それ以前には、やはり家族名がないわけはないでしょう。

日本の王であると同時に、中国の王の臣下として、中国の東方を守る将軍の位を中国の王からもらうときに、素性の正統性がないとマズイわけです。

『隋書』倭国伝の中に、「倭王あり、姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)、阿輩鶏弥(オホキミ。大王)と号す」とあります(大王おおきみかどうかは異説もあり)。

天(アメ)は古くは「アマ」と発音していました。
天と海と両方、つまり中国から見て海のむこうの天孫一族ということらしいけれど、よくわかっていません。

あるいは、「ワ」ではないかという説もありますが、倭はチビという意味であり、中国人の得意な中華思想で、辺境の連中は野蛮で未開だという呼び方。
それがみっともないので和と書き換えたのではないかとか。
もともと自分のことをワ(我)と言っていたのではないかとか、諸説あります。

 

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