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登場したら、あとは退場

出演者の笑顔と退場

 

顔の話じゃないんです。その人の生き方考え方、それが表情にも、もちろん演奏にも出てしまう。

落語家で、落ちたのにいつまでもステージで愛想をふりまいてる人がいますよね。古今亭志ん朝さんとか(笑) いや、年寄りの観客にとっては、そういうのがとても暖かく、親しみやすく感じたりするんだけど、やっぱり芸ってのは、パッとやって、それが受けたか受けなかったか、いちいち確認してないで、さっとソデに下がるのがかっこいいんですよ。

普段はトロい感じで、いつもヘラヘラしてるあの笑福亭鶴瓶さんが、ひとたび高座に上がったらまさにそのタイプで、毅然とした、ちょっと怒ってるくらいの顔で、プイッと引っ込むんです。もしかしたら「受けてよかった」と顔がニヤけてしまうのを我慢するために、わざと気難しい顔をしてるのかもしれませんが。

こういう人に花束を渡してみなさい。どんな笑顔を見せてくれると思います? ちょっと困ったような、照れたような、しかも一瞬だけの、いい笑顔ですよ。それで静かにこっちの目を見て「ありがとう…」なんて言って、でも決して遠慮はしない。当然のように花束受け取りますよ。く〜、かっこよすぎ(笑)

だから、曲にもよるんだろうけど、演奏中にニコニコ観客のほうを見たり、あんまりアンコールやるのも、なめられるってことです。さみしい余韻も、その人の奥深さも、手の届かない距離もまた、感動のうち。

志ん朝さん、その後お亡くなりになりました。御冥福を祈ります。

 

この人は、普段は大病院で血圧係(ひたすら計る人)をやってるんですが、いっつもつまんなそ〜な顔をしてて、ものすごく美人かというとそうでもないんだけど、俺は大いに気に入ってるんですよ。
どうせ、写真はダメ〜ッと言われるだろうから絵で。

 

超初級カラオケ講座 下手でもイモと呼ばれない歌い方

俺は声楽は専門外だけど、それでも合唱や弾き語りを少しやっていたし、歌心というかメロディラインのメリハリがつかないヤツに楽器はできないです。

最近どうしても言いたいのは語尾上げのカッコ悪さ。

音をとりあえずアヤフヤに低めに出して、すり上げるように高くしていって正しい音程をさぐる、ということがクセになってしまっている人が非常に多い。特に1フレーズの最初や最後の音を。

いわば楽屋裏を見せるようなマネ。吹奏楽ではこういうのを「イモ吹き」と言います。田舎臭いからです。

ポルタメントとかピッチベンドといって、そういうこともたしかに技法のひとつとしてはあるけれども、年がら年中そればっかりやってるんじゃ、だらしがないです。わざとやるのと、これしかできないのとは違う。

わかりやすい例でいうと(決して、この曲が悪いって言うんじゃないですよ)

>あれか「ら」僕達「は」

これはたしかにすり上げるんだけど、ほかの曲まで全部こうしなくても…。俺がヨーヨーマみたいな臭いのを大嫌いということで特にそう言ってしまうんだけど、俺だってプログレだから、ねばねばした弾き方することももちろんある。

しかし、少し短かめに切って、次の休符を余韻、余白として空けるほうがいい場合だってあると思うのだ。

>あれから(クッ)僕達は(クッ・クッ)

クッっていうのは休符にして、黙ってうなづいているとでも思ってください。大貫妙子さんみたいに。
音を出していないっていうことも音のうち
です。

歌なんて自分の好きなように歌えばいいんだから余計なお世話なんだけど、引き出しはたくさんあったほうがいいでしょう。
息で散らしてすり上げるのがセクシーなバラードだという考え方が、もうすでに安直すぎ。

黒人さんのマネして、用もないのに裏声ばっかりやってると、バカっぽく見える。
裏声は、そうしなければならない場面で、目的があってやるもので、Dewの『Thank you』という曲をぜひ聴いて涙ながして勉強してもらいたい。

 

悲しい曲や静かな曲こそ、わざとらしく臭くせずに、淡々とポップに演奏したほうがいい場合もあるわけです。

俺が世界一きれいな声だと思う人、姉と呼んで尊敬している声楽家が、結婚直前で婚約解消した。結局あとで同じ人と結婚したんだけど、当時心配して電話したら、悲しいのヨうえーん、なんて言いませんよ。「うーんダイジョブダイジョブ。はは…」なんて言ってる。こっちのほうが痛々しくて悲しみが伝わる。本当に悲しい時っていうのは大泣きしないで、無表情で小声で鼻歌歌っていたりする人もいますね。そっちのほうが深刻そう。

これこそがハードボイルドであって、スティングとかくま井ゆう子さんなんかは非常にうまい。城之内ミサさんの『家路』という曲を一度聴いてみて。

音というものは「どこで出すか」も大切だけど、出したからにはちゃんと責任とって「どこで切るか」が大切なんです。ピアノは勝手に減衰するから、我々ピアノからシンセに入った者は、この認識の甘さをたえず痛感させられる。

たぶん、世の中の風潮として「俺は男です」とちゃんと断言できないヤツが多くて、「男?っていうか?そういう感じで…」って、自分にもよくわかっていないことを、ビクビク相手の顔色見て、あいづちをもらって安心しながらしゃべるような、「よろしくお願いします、ってことで」なんて間がもたない空気に耐えられないような、モジモジした人ばっかりになってしまったせい。

イモならまだ役にたつけれども、これじゃただのではないか。

デーモン閣下は、練習のときは世界一下手と思え、ステージに上がったら世界一うまい人としてふるまえ、という意味のことをおっしゃる。
ビクビクやってるのは本人も楽しくないし、聴く人も困っちゃうんで、がんばって勇気出して、キッパリやるところはキッパリやりましょう。
プロじゃないんだから、音程外したって恥にはならない。下手でも堂々とノリノリでバカやりまくるほうが笑えるし、みんなが楽しめます。

 

下ネタでゴメン 映画と恋愛と武道と気功に学ぶ終わり方

ラストは、ものすごく大切ですよ。最後でヘマをやると、今までやってきたことが全部パー。

たいていラスト直前は盛り上げていって、押して押して前に出る。プログレでは「変調子を好みフェイドアウトを嫌う押しの一手攻め」と言います。

フェイドアウト(だんだん音量を小さくしていく終わり方。たいてい繰り返しながら)は、俺は絶対しない。おさまりがつかないからです。余韻を残すっていうのは、そういうことではないです。アルバム全体を通しての物語性があるとか、バラードでエンドレスとか、輪唱とかにしても、じゃあそれを現場で、ライヴでどうすんのかというと、結局はどこかで切るか、適当な和音をならべてお茶を濁すしかない。本当にフェイドアウトでなければならない曲なら、演奏中に幕を下ろして、演奏しながら楽屋に戻ってみせろ。ぜひ誰かやってみて(笑)

起承転結というくらいで、盛り上げたら結びがないとおさまらない。

押したら引く。かっこいいラストとは、一歩引くということです。

『七人の侍』のラストでは、勝ったのは俺たちではない、農民たちだ、というようなセリフがあるんだけど、これは本来はもっと長かったのだそうです。農民は地に根を下ろして、たくましく生活していく、時には嵐もあるが、風は通り過ぎていくだけだ、武士は戦乱の世を駆け抜けていく風だ、というような、気取った説明的なセリフを、くどくなるから省略したのだそうです。翻案した西部劇『荒野の七人』では、それをいちいち言っているけれども、欧米人の文化はハッキリ言わないとダメなのか、ほのめかしたり察したりできないのか。

わかりやすい例では、昔の無国籍拳銃アクション物とかで、お前はイヤな奴かと思っていたが見なおしたぜ、お前は犠牲を増やすまいとわざと辛く厳しく接していたのだ、本当は優しい奴だったんだな、なんていう、説明的なセリフがあったりする。それを言っちゃあオシマイだ。別の意味で終わりです(笑) それは鑑賞者に自分で考えさせ、ハッ!と気付かせる部分であり、それをさせないのは、おまえらどうせ理解できないだろ、と言ってるような失礼でもあり、表現力がなくてダメな演出ですと自分で言ってるでもある。宮下あきらさんなんかは、読者が子どもだからしかたないのかもしれないけど、それは言い訳にならない場合もある。

たとえば『となりのトトロ』の飽きさせないエンディングロール。母が帰ってきて心のスキマは埋まり、少女たちはそれなりに自分たちの生活があって、姉はたくさんの友達に囲まれ、妹は母性に目覚めて先輩らしくなり、いずれは成長して大人になって、いつしかトトロのことは、忘れないにしても思い出しもしなくなっていき、おそらくもう二度とトトロに会うことは一生なかったのだろうということが、わかる人にはわかる。子どもさんはわからなくても、いずれわかる。少し悲しいほどに明るい音楽がまたいい。

音楽の話に戻れば、冒頭だけは誰でも知ってる『トッカータ&フーガ』。あれのラストはどう弾いてますか、エレクトーンやるみなさん。俺がドレミを言うと全部ハ調で申し訳ないんですが、ララソミファミドレレレの、その最後から2番目のレから最後のレへ、どう行くか。俺はトのマイナー1245レソシレから、人差指と薬指だけ動かして、間をあけずに、すべるようにニのマイナー1235レファラレへ持っていきます。親指と小指、レのオクターブは、押さえっぱなしで離さない。ああっ!!ではなくて、あ…という程度に、スッと悲しく終わる。

これは俺の師匠のそのまた師匠がやってた弾き方で、お会いしたのもお聴きしたのもただ1回だけ、小学5年の時だったけれども、この弾き方を聴いて愕然としましたよ。この曲は有名だし、バッハは強弱やテンポの解釈の幅が広いから、いろんな人がいろんな演奏をやっていて、何十枚も聴いたけれども、こういう弾き方する人はほとんどいない。手を全部離してから、最後の和音をとってつけたように強くジャーンと弾く人ばっかり。

音楽とは性欲です。昇華された疑似性行為だと言ってもいい。和音が解決しなければおさまらないが、トニックだけではつまらんから、場所も服装も趣向も体勢も変化させ、くすぐったりじらしたりするわけです。本当のSMというのは、最後はきちんとナデナデヨシヨシしてやるんだそうです。

最後の最後までガシガシ動いて、これでもか、これでもか、で終わるのは動物的で品がない。こんな話題で今さら上品も下品もないですが。最後は抱き締めるなり、接吻するなり、大好きだよとか言うなり、もう動かずに、気持ちの高ぶりにまかせて自動的に、子どもの頃おもらしした時のように、じわっと終わるほうが、センチメンタルで余韻があるわけです。

すいませんね、こんな話で。うちの城はこういう話は禁止なんだけど、このページだけは勘弁して。

 

ジャジャーン!どうだ!決まったぜ!と終わるのは、あんたええわ最高や〜!こんなの初めて〜!もうダメ〜!と叫んで終わるわけで、それはいいんだけど、そのあと、急に真顔に戻って後片付けしたり、むなしいでしょう。

そういう曲もあってもいいんだけど、それにしてもその最後のキメの音は、長くのばすならビブラートかけて減衰させるとか、ジャン!と強いヒットで終わるならば、ごくごく短く切ってリバーブをきかせて、いつまでもポーズ決めてないですぐ視線はずしてしまうとか、押したまま引かずに終わりということは絶対ありえない。

最後は押すのをやめると、相手は、ええっ、もう押してこないの!?と、少しあっけなく、もの足りなく感じる

満腹で終わるのもいいけれど、そう満足させてしまうと飽きてしまう。さあやって、と言われると萎える。ダメッ恥ずかしい!と言われたほうが燃えるでしょう。食べ放題ではありがたみがない。もう1杯おかわりしたいというところで、予算オーバーだからもう終わりって言われたほうが、高級なものを食べたなあと思うわけです。

あのスナフキンも、ギターだかブルースハープだかやるだけあって、ちゃんとわかってる。彼の博学ぶりを尊敬しているキツネだかカワウソだかが、僕に名前をつけてくれと頼んだとき、ティーティーウーと名付けた。その根拠というか、どういう意味を込めたかというのが、どんなウンチクを言い出すかと思えば、なんのことはない、明るく始まって少し悲しく終わる(言葉の響きが)とか言うんですね。なーんじゃそら、と子どもの頃は思ったけど、今なら俺にもわかる。

武道では「崩し」といって、極意のひとつです。

柔術で、敵を押すと、敵はそのまま押されていたら倒れるから、倒れまいと必ず押し返してくる。これは本能、反射だから、無意識に押し返してしまう。そこでこっちが押すのをパッとやめると、敵は、急に押されていた力がなくなったことにより、押し返す力だけが暴走して、体が前に出てズッコケてしまう。敵の体がわざわざ前につんのめってくれるから、そしたらそこをさらに引っ張ってやれば、背負い投げでも何でも、面白いように決まる。

安定しているところを引っ張ったって、慣性もあれば敵も抵抗するから引くことは難しいけれども、いったん押してから引けば、いくらでも引けるわけです。

あおむけに倒すなら、引いてから押す。あんまりそっけなくて、嫌われてるのかなあと思っていたら、じつはずっと好きだった、意識してしまって話しにくくて、つい避けていた、などと、いきなり告白されたりとか。

恋愛も真剣勝負、命がけ、心技体、自他共栄、自己鍛練、人間形成、一生勉強ですよ。なんら武道と変わらん。

あるいは剣術で、鍔ぜり合い(手元で押し合いになること。技が決まらず間合が詰まって停滞した状態)のとき、敵の手元を下に押す、すると敵は上に押し返す、そこで押すのを急にやめて間合を切る(敵から離れる)と、敵は上に押し返す力が暴走して手元が上がる、そしたら胴があくから胴を打てるわけです(実際は反動つけるように瞬間的にやるんだけど)。上下逆にやれば手元が下がるから面が打てる。

相撲だけは、引きがありません。引かば押せ、押さば押せといって、前に出るだけ。それは土俵と体重という特殊な限定でやってるからだけど、じゃあ大きくて突き押しの人が絶対いつも勝つかといえば、土俵際で回りこんで送り出しとか、押すという前提があるからこそ、たまに押さないことが意外だったりする。はたき込みも腰が安定していれば通用しないと言いながら、プロでも結構くらってますよね。

気功で言うと、気が外に向かって放出しすぎだと、ものを引き寄せるということができない、周りのものすべて吹き飛ばしてしまう、ということです。

簡単な例で言うと、店の前に店員が目をキラキラさせて立ちはだかっていて、いらっしゃいませ! 何をお探しですか!?、って、こう来られてしまうと、なんかウザくて近寄りがたいでしょう。声を枯らして客寄せしていたり、そこまで気合入れなければ売れないほどダメな店か?って。店内狭すぎてマンツーマンだと、何も買わずに出にくかったり。

入ろうかな、どうしようかなと思って、店の外からのぞいていたら、上品な店員さんがニッコリ笑顔で、心のこもった声で、いらっしゃいませ、とは言ってくれるけれども、それっきり、ほっといてくれて、自由に店内を軽く見て回れるような、そういう店のほうが入りやすい。いい商品を並べる、いい店員を揃える、値段もがんばる、掃除もする、そういう所は徹底して押しまくるけれども、引く所は引くわけです。お店がラストじゃ、つぶれてしまうけれど(笑)

兵法もそう。よく波にたとえるんだけど、寄せては返し、引きつけて撃滅、突然神出して、追えば鬼没する、これがゲリラ戦法です。

 

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