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 両頭ということ

これまで話がスコップ刃ばかりで、三日月刃についてあんまり書いてきませんでしたが、ここから三日月刃について。

まず、これを御覧ください。

この話は関係ないとは思うんですけど、こういうことも俺がものを考える時に前提になってるから、
 「三日月刃は鎌じゃなくて、削る道具に違いないっ!」
 「スコップ刃だろうが三日月刃だろうが、‘金産’、削る、という点ではたいした違いはない」
などと申し上げても、どうしてそう確信したのか、みなさんに伝わりにくいんじゃないかと思って。

世の中には、そういう、面倒くさいことが多いですね。
おまえにはこれが似合うと思って選んでみたのだとか、喜ばせようと思ってみんなでこっそり準備しておいたんだーとか、忙しくて時間のない時にわざわざ手間ヒマかけたんだぜとか、そんなのは全部こっちの事情であり、いちいち恩着せがましいことを男がペラペラ説明するのは恥知らずでみっともないのだが、思考の順をおって事情を説明しないと、女どもは感動も感謝もしてくれなかったり…、いや、偏見まがいの悪口はよそう。

とにかく、これは粘土ベラなんです。
中央3本は、たぶん黄楊。

幼稚園児の粘土遊びじゃないですよ、もっと臭くて細かい粘土で、精密なものを作る練習っていうのがあるんです。
正式に美術を勉強する人は、誰でも一時期、これをやります。
自分の専門分野が映像だろうが印刷だろうが、ものを立体的に考える練習が必要だからです。
アニメやマンガの人は、しないかもしれませんが、そういう人たちもプラモか何かで立体造形は鍛えてらっしゃるはず。

ものを削っていくというのは、大きく塊で取り除きたいとか、狭く深く削りたいとか、広い範囲をいっぺんに薄く削りたいとか、シャープな平面を作りたいとか、曲面も出っ張ってるのと凹んでるのがあるし、刃が入りにくい所もあるというわけで、このくらい形状の異なるヘラがセットになっていないと対応できないわけです。

刃先の形状に、種類が必要。
いちいち持ち替えるのは面倒だし不経済だから、両頭になってる

ただし、小さいものなら両頭でもいいかもしれないが、鋳造っていうのは、大きな作品を作ることがあるから(梵鐘とか錨とか仏像とか)、あんまり長い柄がついてるものだったら、仕事場に立てて置きたいから両頭にはしないかもしれませんが。

 

 鎌じゃなくても三日月刃

それで、使っているうちに、この刃を折っちゃう人が少なくないんです。
俺も1度、折りました。
内側の刃で深くひっかくと、ポキッといく。

けれど、こういう形の刃先も絶対に必要なんです。
折れやすくても、必要があるから、こういう形状になっている。

‘金産’という武器の元になったものが、金属を削る工具だったとしても、こういう形にすることはあるはず。

そもそも、押し出して使う鎌なんてのは、そんなことで草が切れるのかどうか、草はしなっちゃうだけだろうし。
細い木を切るんだったら、スコップ刃で突いたほうが早いだろうし。

たくさんある長柄武器の中で、「月牙‘金産’」だけが、ことさら鋭い石突をともなう必要があり、積極的に石突側を使う性格があるとすれば、それはなぜなのか。
あくまでも可能性のひとつ、あるいは、ルーツがたくさんあってどれも正しいといううちのひとつとしては、こうした工具だった頃から、削ったところを石突側で押さえたりなじませたりこすったりという意識が、もともとあったとすれば、これ(または、これを意味する言葉と同じ言葉で呼ばれる道具)が武器になった時にも、両頭にするのかも。

 

もうひとつ、三日月刃が削る道具である理由、除草はするが鎌ではないという根拠になりそうなものを、次回。

 続く→ 

 

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