肩甲骨で田んぼを掘る 前ページで御覧いただいた、穴あき肩甲骨と、それを使った肩甲骨スコップの復元図は、工楽善通氏『水田の考古学』財団法人東京大学出版会1995第二版の「VIII 稲作と生活文化」の中に出てきます。 要約すると、長江の河口付近、浙江省余姚県で、73、74年に発掘をおこなったところ、4層の文化層が確認され、その最下層を「河姆渡(かぼと)遺跡」といって、紀元前5千年くらいの雑穀栽培の跡、そこから出てきた農具だという。 こう書いてあります。 「‘金産’」という言葉に、注がついていて、こう述べておられる。 また、動物については、 これはもう、実物が出土しちゃってるんだから、どうしようもありません。 最も原始的な農具といえば、ただの木の棒なんです。 木だけでもいいが、丈夫な刃先があったほうがいいから、なるべく幅の広い骨をつけてみたんでしょう。 ひょうたんを縦半分にしたもので水をすくったり、ホタテみたいな大きな貝殻に柄をつけてオタマにしたりっていうことは、世界中にありますよね。
肩甲骨スコップは、‘金産’か? この道具を‘金産’と呼ぶかどうかは、また話が別ですが、この本では‘金産’と書いてある。 しかし7千年前っていうと、この道具は、漢字よりも先に存在していたと見なければならない。 そもそも、骨製のスコップって、そんなもの農業やる前から使ってたでしょう。 野外をうろうろしてる時に、大型獣がこっちへ突っ込んで来たら、ちょうど手元にあれば、武器として、これで殴りつけたことも、そりゃ一度や二度はあったかもしれませんねえ。 死者は埋めるでしょうから、これか、これに似たもので、墓穴も掘ったでしょう。 そして、これが金属で作られた場合、使い慣れたこの形状のまま、『農政全書』に載ってるようなスペイド風になる。 ここまでの流れは、まったく自然につながると思います。
2系統 金属文化が始まれば、金属を加工する道具も作られるでしょう。 その工具が‘金産’という名前なのは、それはそれでいいが、「肩甲骨スコップを金属化したもの」も‘金産’という文字が使われて、2系統がどっちも‘金産’になっちゃったのではないかと。 「金属を削る板状の工具」と、「田畑を耕す農具」が、同じ名前になってるっていうのは、今のところ、このくらいしか思いつきません。 この骨スコップは長江の例ですが、黄河のほうでも同じことやっていたとすれば、それもまた2系統ですね。
そろそろ『三才図会』の話へ行きたいんですが、キリが悪いので、次回は、中国武術としての鎌について。 |
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