一度は捨てた仮説をひっぱり出してみる □ 石突はともかく ↑これだけで、‘金産’なのは、間違いないし、スコップ刃さえ付いていれば、その武器は‘金産’と呼んでかまわない(理由は護手鉤の話)。 しかし、 □□ 石突はともかく ↑これを‘金産’(なになに‘金産’)と呼ぶのは、よく考えてみれば不思議ですよね。 俺は、これもたしかに‘金産’だと思ってます。 しかし、この形ならば、‘金産’でなくても、鎌でも刀でも槍でも、なんとでも名前をつけられたはず。 ここで、いったん白紙にして考えてみます。 ひょっとすると、俺が子どもの頃に思い込んでいたように、「月牙アンド‘金産’」という意味だったとすれば、 □□ □ ↑本来、これが「月牙‘金産’」だった?ということになり □□ 石突はともかく ↑これだけでも「月牙‘金産’」と呼ばれるようになる?かもしれない そしたら、まぎらわしいので、前者を「禅杖」、後者を「月牙‘金産’」と呼んで区別するようになったとか? あくまでも可能性のひとつですが、この考え方でも説明はつく。 それでも、「月牙‘金産’」は、やっぱり「月牙の‘金産’」だと思うんですよねえ。
ある種類だけが総称を独占する 大鎧の栴檀板と鳩尾板は、本来はどちらも栴檀板だったらしいんです。 大砲はすべてキャノンだが、高初速、平弾道、直接照準、直射というものだけがキャノン(カノン、加農砲)というジャンルになってしまった。 機械(マシーン、なまってミシン)と言えばソーイングマシーンだけ、楽器(オルガノン)と言えばオルガン(パイプオルガン)だけ、本(バイブル)と言えば聖書だけ、こういうことって、いつの世にもあるでしょう。 太閤は秀吉公、黄門は光圀公、大師は空海様、じつはほかにもたくさんいるが、代名詞になってしまって、「ただ単にこうと言ったら、これをさす」という具合に独占されてしまう。 われわれの日常では、今どきメールとかアドレスとか言えば、電子的なものに限定されてしまっている。 「住所」というのは住んでる所だから、人が住んでいない施設の位置を言うなら「所番地」、郵便なら「宛先」などと言うべきだが、投稿や応募の郵便の送り先を言う時に、「番組の住所はこちら♪」などと、ワケのわからないこともまかりとおっている。 このへんをハッキリさせるためには、やっぱり時代背景、特に「どちらが先に存在(または普及)したか」ということです。
次回は、『武器と防具 中国編』に戻って、禅杖が本当に武器かどうかについて。 |
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