そもそも、沙悟浄の武器は「宝杖」 ざっと全編を読んだ限りでは、禅杖とは言ってないようです。 『宝杖』『杖』『降魔の杖』『降妖の杖』などと呼んでいる。 「杖」という言い方は禅杖を思わせますが…。 ※追記
宝杖にはスコップ刃が必要か 原作では、悟浄が、仲間に加わる前に八戒と対決し、この武器についてみずから説明する場面があります。 『宝杖は原来名誉大なり、もとこれ月裏の梭羅の派。呉剛、一枝を伐し下し来たり、魯班、製造して工夫快し。裏辺には一条の金、心を趁き、外辺には万道の珠、■(玉へんに介)を絲る。名を宝杖と称し善く妖を降し、永く霊霄を鎮めよく怪を伏す。ただ官は大将軍を拝するにより、玉皇我に賜い身に随いて帯せしむ。あるは長くあるは短く吾が心に任せ、細きを要し粗きを要するも意態に憑る。殿に値しては曽て衆聖の参ずるを経、簾を捲いては曽て諸仙の拝するを見る。霊性を養成す一つの神の兵、これ人間の凡器械ならず。貶せられてより身を離さず、天下の鎗刀、比賽し難し。爾のその銹びたる釘■(金へんに巴)を看るに、ただ田を鋤き菜を築くに好きのみ』 最後の一言、「なんじのそのサビたるマグワを見るに、ただ田をすき菜をかくに良きのみ」というのは、八戒の熊手をけなしているわけで、これは読者を笑わせる部分ですが、この発言は 訳者注では、 やっぱり、埋葬の道具である‘金産’のことでしょうか。 なんか飾りの環がついてるみたいですが、これに関しては後述します。 中国の葬式はちょっと専門外なので勉強不足ですが、道教の儀式は少なからず仏教の影響を受けているとは聞いてます。 ※追記
宝杖は「禅杖」らしい さっきの悟浄の発言によると…。 最高神である玉皇上帝が天界の霊霄殿にいるが、悟浄がそこで捲簾大将をやってた時に、玉皇上帝からもらった武器である。 ということは、今は「沙和尚」だが、それ以前から使っていた武器だから、僧侶の持つスコップ刃でなければならないというわけでもない…が、当時から僧侶の風格があったのかもしれない。 月に生えている木、いわゆる月桂を、漢代の仙人が採ってきて、春秋時代の名工が加工したもので(時代の順番がおかしいですが、そう書いてある)、妖魔を退治する力があり、長さ太さは変化させられる。 つまり、月の形の刃物である必然はある。
宝杖の見た目は禅杖に決定か? 前回お話しした切り絵ですが、2作品掲載されていて、郭軍風さんと郭延風さんの連名で、どっちが誰の作という書き方ではないから、共同製作のような印象です。 ひとつは禅杖を持った人物、その題名が「月牙‘金産’」なのがひっかかると、ここまでは前述しました。 猴棍というのは、棍術(日本で言えば棒術)を猿の動きでやるもので、棍を垂直に立てて瞬間的に棍の上のほうに登ったり、これは言うまでもなく孫悟空を意識した武術です。 たとえ題名は「月牙‘金産’」でも、三日月刃とスコップ刃の両頭の武器(つまり、さっきから禅杖と呼んでいる武器)が切り絵になってて、猴棍の切り絵とセットで出ていると、どうしても沙悟浄と孫悟空を暗示してるように見えてしまう。
宝杖の見た目は「月牙‘金産’」と同じだった! ところが! 平凡社版『西遊記』の挿絵では、悟浄が使っている宝杖というのが、三日月刃だけなんです。 □□
「月牙‘金産’」が実戦に使われていた時代に描かれた絵の中で、沙悟浄は「月牙‘金産’(石突はないが)」を使っている! ここでまた、敵と同じ武器になっちゃったわけです。 「月牙‘金産’」 = 敵が使う武器 「月牙‘金産’」 + ‘金産’ = 禅杖 禅杖 ≒ 宝杖 = 沙悟浄が使う武器 宝杖 = 「月牙‘金産’」 だめだこりゃ。 ただし、その挿絵が信用できるかどうかは別問題で、どちらかといえば、俺は疑問視してます。 明の時代に描かれたイラストに、そういうとんでもない大間違いがあるということは、それ自体もまた問題です。 ここで、八戒の武器「まぐわ」というのは、熊手とはだいぶ違うんじゃないかという話もしたいんですが、これがまた長い話になるので、前述の『武藝全書』の熊手の技法のページに、 それと、沙悟浄はカッパの化け物みたいに言われますが、彼は土属性であり、水属性なのは水軍元帥の八戒だというのは前述したとおりです。
次回は、禅杖なのにスコップ刃がついてないように見える場合がある、という話です。
|
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||