←もどる 

 

 輪がついているのが、禅杖?

『武器と防具 中国編』には、こんなことも書いてあります。

『仏教の僧侶に愛用された禅杖の特徴は、刃に鉄の輪が付いている点です。』

さっきは、僧侶に愛用されたために別名がついたかのようなことが書いてありましたが、今度は、構造も違うと書いてある。

輪を付け加えたから、別名がついたのか?
別名がついたので、輪もついたのか?
仏教の僧侶が愛用したからといって、どうして輪が必要になるのか?
スコップ刃と三日月刃が両方ついていても、輪がついてないものは禅杖ではないのか?
両頭になってなくて、スコップ刃だけ、あるいは三日月刃だけでも、輪がついていれば禅杖か?

わからないことだらけです。書いてないから、わからない。

禅杖の特徴は輪がついていること?
…これが本当だとすれば、いろんなことが、うまく説明できます。

スコップ刃と三日月刃が両方ついているのに、「‘金産’」とか「月牙‘金産’」とか呼ばれている謎もとける。

前述の、中国の武術雑誌の写真や切絵では、スコップ刃と三日月刃が両方ついた武器に、輪はありませんでした。
なるほど、だから禅杖ではなく「‘金産’」とか、「月牙‘金産’」という表記になっていたのか?

しかし、根拠がわからない。
こんな重要な情報を、この著者は、一体どこから入手したんでしょうか。

 

 八戒の熊手にも、輪はついている

第十九回、八戒が自分の武器を説明するシーンで、『双環の金墜葉を鋳就す』と言ってます。

これを平凡社版の注では
『双環の金墜葉 器物の末端などに下げる飾りの金具を「墜」または「墜葉」という。ここでは金の環が二つ飾りについていること。』

と説明している。

八戒の熊手を作ったのは太上老君、つまり老子です。
鍛冶っていうのは、弟子が作って師匠が銘だけ入れるとか、師匠は工場を監督してるだけで弟子たちが大量生産ということもあるのですが、八戒の熊手は、太上老君が御自分で金槌をふるったのだという。
『西遊記』劇中の太上老君は、科学ヒーロー物で言うところの白衣ジジイ、兵器の開発者みたいな博士キャラという位置付けに見えます。
そして、この人が作る発明品みたいなものは、仙道の錬金術思想に基づいてます。

中国の武器に輪がついていることはよくあるのだし、道教の開祖みずから道教で作ったものにさえ輪がついているのだから、仏教でなくとも、輪がつく時はつきそうなものだと思うのですが。

墜葉っていうのは墜落した葉、落ち葉です。
ドアのノッカーみたいな輪が、花瓶の左右なんかに、用もないのについていたりするのは見かける。
日本の総角や猪目透のように、中国人にとっての輪は、
よくある飾りなのか、それとも、なにか仏教に由来してるんでしょうか。

 

 悟浄の杖にも、輪はついている

悟浄は、仙道をやって神仙になり、天界の大将軍になったので降魔の杖を与えられ、この杖には輪がついている。
…前述したとおり、すべて劇中で悟浄がみずから言っていることです。

もし、輪が、仏教僧侶の武器につくべきものだとすれば、なーんで、道教で将軍の悟浄の杖にもついているのか。
沙悟浄が毘沙門天だから?
『西遊記』では(というより中国では)道教と仏教の世界観がごっちゃになってることと、関係あるんでしょうか。

劇中では、悟浄の杖のことを錫杖と呼んでいる箇所がある。
三蔵法師の弟子になった後は、輪がついた武器を錫杖に見立てて、錫杖として使いたければ使ってもいいが、大将軍が錫杖を持ちますかね?

もし、僧侶が愛用すると輪がつくのであれば、錫杖を意識したという可能性くらいしか、俺には思いつきません。
でも悟浄は僧侶になる前から、この杖を使ってますしねえ。

前ページに書いた、三蔵の錫杖とのかねあいが、また不思議なことで。

 

次回、輪がついていても禅杖ではない例について。

 続く→ 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送