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 情報を扱うということ

情報に、根拠や出どころが提示されていないっていうのは、著者が不親切なんじゃなくて、読者が不勉強ということもあるんです。
そんなの常識、基礎知識、いちいち言うまでもないことだから、そのくらい勉強しとけ、勉強してから俺の本を読めと。

そのかわり、常識をくつがえすような珍しい情報だったら、どうしてそういう結論になるのか、根拠を提示しなければならない。
しかし、限られた紙面にできるだけたくさんの珍しい情報を盛り込みたいし、情報源を明かせないくらいだからこそ珍しい情報なのだろうし、情報を発信する側の苦労っていうのもなんとなくはわかるんですよね。

だからこそ、情報の受け手側が、自分でものを考えなければならない。

その情報は、どこから出たのか。
どんな時代の、どんな立場の人が、どんな状況で、どんな文脈で言っているのか。
どこまでが正しくて、どこが間違いか。

最初から一次資料を自分で見れば、1手順ですむんです。
それが引用だと2回、孫引きなら3回やらなければならない。

出典は何なのか、参考文献のうちのどれなのか、どの記述がどの本から来ているのか。
間違いがあった場合、間違えたのはこの本の著者なのか、参考文献の著者なのか。

市川定春氏『武器事典』、篠田耕一氏『武器と防具 中国編』は、‘金産’についての記述もあるんですけど、このコンテンツには使いたくなかったわけです。

ところが、『武器と防具 中国編』のほうは、使わないわけにもいかなくなってきた。

 

 岩波版『西遊記』に採用されている

岩波版『西遊記』の注にある図は、新紀元社の中国武器の本『武器と防具 中国編』から転載されてます。
注に、こう書いてある。

『図はいずれも『三才図会』器用六巻等にもとづき美しく作図した篠田耕一『武器と防具 中国編』(1992,新紀元社)所載のものを借用した.』

中国語を直訳するだけだったら、中国語と日本語ができれば誰でもできるかもしれないが、『西遊記』を翻訳するっていうのは、古典文学とか中国史とか道教思想とか民俗風習とか、いろんなことに精通していなければできない。

岩波版『西遊記』の訳者、中野美代子氏は、北大の教授です。
博物誌とか東洋文化の著書が多い。
俺は『中国の青い鳥』くらいしか未見ですが。

これほどの事情通が、どうして中国の古典資料ではなく日本の本から図を採用したのか。
それはやっぱり、
『武器と防具 中国編』の解釈が正しいからでしょう。

正しいのなら、どうして正しいのか、俺も疑問点を整理してみることによって、よりいっそう真実に近付いていけると思います。
岩波文庫のなにがすばらしいかって、各巻末についてる岩波茂雄氏のアレ、アレこそは日本文学史に残る名文だと思うんですよね。
うちのコンテンツも、シロートといえど知る喜びがある、シロートこそ勉強が必要だということを追求していきたいです。

 

 美しさ

ところで、さっきの一文、『美しく作図した』

これは、「美しい」の感覚が違うんですね。
なにが美しいかは主観、人それぞれだから。

伝統武術をやってる者からすれば、原画をいじってしまったものは、美しいとは思わない。
トンボ絵だったり、日本画だったり、稚拙で古くさいところもまた、時代が反影していたり、その文化の味になっているとみて、ありがたがる。

これはロマンや懐古趣味ではなくて、実用性なんです。
たとえば現代剣道しか知らない人が、昔の絵巻物を見ると、へっぴり腰でしゃがんで、腕を伸ばしきっていて、こんなんで人が斬れるのかいな?と思うでしょうが、古流をやってる者から見れば、じつはまったく絵のとおりの技であり、極意があからさまに描かれているんですよね。

それを、そうと知らない人がマンガ絵で描きなおしてしまうと、まったくひどいデタラメになる。
情報量が減っちゃってるうえに、細部が違っている。
しかし、見た目には線が整理されている。
現代人から見れば、現代風に描かれたほうが、かえって美しいと感じる場合もあるわけです。
そもそも、本を読む人はつねに現代人だから。

 

とにかく、『三才図会』をもとに、『武器と防具 中国編』の図が描かれ、それが岩波版『西遊記』に転載されているという流れになっているわけです。

次回からしばらく、その『武器と防具 中国編』について。 

 続く→ 

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