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 スクープ! 沙悟浄には奥さんがいた!

スクープもなにも、こんなの、このコンテンツをやり始める前から知ってたことで、俺の頭の中では解決してた話なんですけど。

薬師如来の眷属「十二神将」に、宮毘羅(クビラ)という大将がいます。
Kumbhira、クンビーラ。ワニの水神。
仏教系で金比羅(コンピラ)、神道系で金刀比羅(コトヒラ)っていう、船の神様が、このお方。

それとは別に、倶吠羅(クビラ、kuvera)というのがあります。クヴェーラ。
これが、毘沙門天の別名だとされているんですね。

それで、普通には毘沙門天の奥さんは吉祥天ということになってるんですけど、吉祥天ラクシュミーっていうのは、本当は毘紐天ヴィシュヌの奥さんなんです。
もともとのインド神話と、仏教に取り入れられてからの設定が違っている。

インド神話での毘沙門天の奥さんはというと、薬厠■(泥の手へんのやつ)と書いて、ヤクシニと読む神様。
そのお姿ってのが、青っぽい肌で牙があり、髪は逆立ち、
ドクロのネックレスして、全身ヘビや龍を巻き付け、手は4本あって、三鈷叉、棒、輪、羂索を持ち、虎革を身に付けている。
これは
夜叉女ともいって、まったく魔神です。
不動明王の眷属とされてます。

少なくとも、奥さんがこのお姿でインド神話に出ていて、その旦那さんが毘沙門天で、毘沙門天と同体なのが深沙神で、深沙神はキバむいてヘビつかんでドクロを首に下げていて、深沙神の『西遊記』での名前が沙悟浄だっていうんだから、沙悟浄はインド神話の神様であると、ここまでは間違いないと見てよさそうだと思います、当たり前の結論ですが。

 

 仮説

ここまで、よく読んでくださいました。感謝します。

想像でものを言うのは危険なことですが、しかし、いろいろ文献を引用したりウンチクを並べたり、どこまで引っぱるんじゃ、結局のところオマエは何が言いたいのか、わからんわ、と思ってらっしゃるだろうから、あくまでも仮説、たたき台、この時点での可能性のひとつとして、俺の考えを書いておきます。
仏教関係者でも、まだ誰も思いついた人がいない、画期的な説だと思うので。

まず、ドクロのネックレスをつけた荒々しい夜叉の神様が、御夫婦セットで存在していた。

やっぱり川に関係ある神様で、ヘビを持ってるからにはヘビの神様だったんでしょう。
川は蛇行して流れるから、ヘビや龍は川に結びつきやすいし、蛇行するってことは、ちょっと雨でも降れば水位が一気に上がって氾濫するような、暴れる川のはず。

もしかすると、もともとはクンビーラのほうのクビラと同じ神様で、ワニだったりヘビだったり、まちまちだったのかもしれない。
ナーガもドラゴンもワニもコブラも、みんな「龍」のひとことで片付けられてしまってますからね。
マリ系の女神類、ミトラ系の救世主類、バール系の悪魔類、テラ系の太地母神など、まるっきり同じ神様が、時代や地域や民族や宗派によって、多少違うスペルで別モノになってることは珍しくない。

それで、夫のほうの神様クビラだけが、貴族の姿になり、甲冑を着た武将風になり、「毘沙門天」としてどんどん有名になっていった。
もともとの姿、オドロオドロしい姿は、それはそれで昔つくった絵や彫刻や信仰が残っちゃってるから、それは毘沙門天とは別の、深沙神という神様になってしまう
(じつは同じものなんだよという話は、遅かれ早かれ中国に伝わった)。

ある川岸の町では、オドロオドロしいほうの姿「深沙神」として、まだ熱心な信仰が続いている。
川を擬人化・神格化した神として、祭られている。
そこへ三蔵法師が来る。
見慣れない画風で描かれたヘビの神様を初めて見たものだから、なんじゃこりゃ珍しいとびっくりする。
この時、夫のほうだけしか見なかったか、夫のほうだけがこの川の守護神だと聞かされる。
今までに中国へお経を運ぼうとした僧侶が、この川を渡ろうとして、何人も亡くなったと聞かされる。
ところが、自分はうまく渡れたので、その川の神様に感謝する。

さては川の神も仏教に恐れ入って改宗したかな、と思う。
タイミングよく小雨でも降って虹でも出れば、川の神が反省して泣いてるのかなとも思う。
なにしろ旅先だから、旅情や風情があって、考えることがロマンチックになっちゃってる。

『西遊記』のほうでは、せっかくドクロのネックレスしてるんだからと、それを小道具として生かせるような物語に編集される。
水軍指揮官だった八戒なんていう登場人物が加わったので、陰陽五行のつじつまを合わせるため、水属性ではない深沙神「沙悟浄」というキャラに変えてしまう。

ところで、奥さんのほうの神様ヤクシニは、こんなサイトやってる人くらいにしか知られていないマイナーな神様になってしまい、忘れられてしまった。

 ※追記
『大慈恩寺三蔵法師伝』では、川の橋渡しなんかしていないことが判明しました!
この仮説は、ダメだ(笑) 後述します。

 

 多神教だから、しょうがない

深沙神は毘沙門天であるにしても、そう単純なものではないということです。

たとえばシヴァ神の別名だったアシャラナータが、シヴァ神とは別の神ということになり、不動明王と訳されて、これが如来たちの使者とみなされ、そして大日如来の変身した姿ということにもなるわけです。
その一方で、シヴァ神は降三世明王の像の土台として、降三世明王に踏んづけられている。

ヨソの宗教から取り入れたばかりの頃は馬頭金剛と言っていたのが、だんだん地位が高く扱われるようになって、馬頭観音になるが、名前は観音でも明王の姿をしてて、八大明王のひとつでもあり、馬頭明王と呼ぶこともあり、ある種の儀式では馬頭観音と馬頭明王を別々に存在してる別の神様として扱うことがある。

解釈がまちまちになってるわけです。

ダブることも、もちろんある。
七福神の寿老人と福禄寿も、じつはまったく同じものです。
後世いろいろ工夫して違いを作ろうとしたんですが、日本人は六福しかないものを七福と数えているわけで。
しかも、仏教では毘沙門天と大黒天を同体とみなす場合があって、下手すると五福神になっちまう。

 

沙悟浄がインドの神様なのはわかったが、それは仏教以前とか三蔵法師が旅した時代の話であって、『西遊記』が現在の形に成立していく過程では、やっぱり西洋の伝説が入ってるのでは?…という疑いが残りますが、それは次のページで一応消えることになると思います。

 続く→ 

 

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