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 深沙神の姿は、あまりにも異形

仏教では、どの神仏はどんな姿をしているか、どんな道具を手にしているか、一応の設定があります。
時代や地域や宗派や経典によって、多少は細部が違うこともありますが。
このルールに従って、仏像や仏画を作るわけです。

深沙神は、仏教のほうではどうなっているかというと、かなり不思議な格好をしている。

 1 頭蓋骨をいくつもつないでネックレスにしている
これは『西遊記』の沙悟浄の描写と同じです。
こういうマガマガしいことは、どちらかといえば、もともと仏教以外の魔神だった神様がやることです。

 2 異国人に見える
これは俺の勝手な印象ですが、深
沙神を描いた絵は、顔があまり知性的でない。
世捨人というより、野蛮な異民族という感じ。
髪型ボーボーで目をむいた感じ
が、幕末に日本人が欧米人を描いたものにもよく似ている。
しかも肌が赤っぽく描かれることが多くて、白人ではないかと思えるくらい。
これが、キリスト教系の月の神話の影響でなければいいんですが。

 3 手足の爪が鋭く尖っており、口には牙もある
やはり魔神、戦闘神のようです。
明王などにもそういうことはあるのですが、この場合は、かなり格下の、妖怪のたぐいに見える。

 4 手には鉢、戟、青蛇などを持っているか、なにも持っていないこともある
鉢を持つのは禅僧みたいな雰囲気、あるいは仙人風でもある。
沙悟浄に僧侶の風格があるというのなら、鉢がふさわしそうです。
劇中、第九十四回で、悟浄が
『常に衣鉢を身にしたがえ、(略)』と言ってる箇所がありますが、しかしこれは悟浄が仙人になる前、人間だった頃の思い出話。
戟は毘沙門天も持ってますね。
ヘビは後述します。これ重要です。
俺が見聞きする限りでは、
深沙神は左手に蛇を持つ例が一番多いようです。

 5 腹に、子どもの顔がある
謎です。
ガッタメラータみたいな甲冑のデザインのことでもないようで、仏画で
見ると、上半身は裸で、腹の肌に人面が浮き出している。
イレズミだとすれば、これまた未開の異民族風ではあります。
それで上半身ハダカで、ドクロのネックレスつけてるなんて、うっかりするとアフリカ風なくらい。

 6 甲冑を着ていない
護法神というのは、
最初は「夜叉」といって鬼みたいな魔神だったのが、時代がくだると甲冑を着た姿になって、だんだん武将風になっていくものなんです普通は。
深沙神は四天王と違って、あんまり武将風になっていなくて、
古い時期の、夜叉の姿のまま今日に伝わっている。
これがすべての謎をとくカギになる可能性がある。
後述します。

 

 原作もだいたい同様

ここで原作に戻って、沙悟浄の見た目を引用しときます。

『一頭の紅■(焔の右側に炎)、髪は蓬鬆、両隻の円き睛は亮きこと燈に似、黒からず青からず藍■(青の月じゃなくて円のやつに定)の臉、雷のごとく皷のごとき老竜の声。身には一領の鵝黄の■(敞に毛)を披ぎ、腰には双■(攅の夫が先のやつ)の露白の藤を束ぬ。項の下の■(骨に古)髏は九個を懸け、手には宝杖を持ちはなはだ崢■(山に榮)し。』

変換できない難字ばっかりで、まどろっこしくてすみません。

こっちでは赤い肌ではないようですが、なんにしても、あんまり文明人っぽくないですね。

 

 ドクロのネックレス

『西遊記』では、悟浄は人を食べては骨を川に捨てていた、この川は何でも沈んでしまう特殊な川だが、お経を取りに行く僧侶の骨だけは沈まないので、珍しいからとっておいた、という説明になっている。

もちろん悟浄はその川の中にいたんだし、悟空や八戒だったら水を分ける術があるから深海にだって入っていけるし、なんなら飛行したっていいんですが、そこは取経の旅だから、三蔵が生身の体で普通に人間の旅をしないと、お経の価値にも、物語にもならないわけで。
悟空はキント雲に三蔵を乗せて、天竺まで数分で往復しましたとさ、めでたしめでたし、なんてのは、たとえ御釈迦様が許したとしても、読者が許さない。

この、渡れない川というピンチは、ドクロのネックレスが船になることで、無事に渡るわけです。

結局は神がかった力に助けられるのかよ、なんだ、人間としての自力じゃないじゃん、だったら最初っからすんなり助けてやれよ神仏のくせに、という感じですが、劇中では、災難にあって苦労を重ねることが、ひとつひとつカルマ落としというか、ちゃんと意味があるという、「設定」なんで、娯楽小説ですから、しょうがありません。

この川は、弱水といって、比重の軽い水だという。

たとえば死海のような濃い塩水だと、浮力が大きいですよね。
水に何か混ざっていると、その溶け込んでる物の分だけ、重い水になる。

純度の高い水ならば、軽いから、何でもかんでも沈む…
…まあそんなわきゃあないんですけど、宗教としてそういうことになっていて、人間が浮かばない水、泳いで渡れない水、羽毛も沈む水なんてのが、しばしば宗教には出てくる。

オカルトのほうでは、こういう軽い水を飲んでいた地域では誰もが長生きだったという話があり、怪しい健康食品会社が純度の高い水を通販で売っては、あらゆる病気がなおる、細胞が活性化されて自然治癒力が増すなどと、よく言います。
たしかに、鉛やらカドミウムやら混ざってる水よりは、体にいいのだろうけれども。

日本には、税金を流用しても違法にならないという、魔法のように都合のいい水、「ナントカ還元水」というのが実在していて、適切であると内閣総理大臣も公式に認めてるくらいだから、まったく油断がならない。

 後日談。
この「ナントカ還元水」を飲み続けていると、ある日突然、命を失うことが判明しました。
しかも、この水を飲んでいる者をかばっただけでも、絆創膏だの口の軽い奴だの、わけのわからない災いが次々にふりかかり、仕事や約束をほうり出してボクチャンとさげすまれながら入院しなければならなくなるということが証明された。
だ〜か〜ら、言わんこっちゃない。そんな黒魔術みたいな水を使うからだ。
死人や病人に鞭打ちたくはないが、さんざん鞭を打たれたのは国民であり、この分の金と苦しみと悲しみと恨みと恥は、なんら、つぐなってもらってないからな。
説明すら、いまだにないわ。

 

もしかして、『西遊記』でドクロを身に付けていたから、仏教のほうでもそういう姿にしたんじゃないか?と思うかもしれませんが、それはないと思いますね。
その理由を次回。

 続く→ 

 

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