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 白いニカワの木と書いてヌルデ

白膠木はウルシ科で、木から白い液が出て塗料になるのでヌルデといいます。
白っぽい材木だから、もし黒く塗らずにそのままだったら「白い杖」だったんですが。

これは勝軍木ともいって、采配など指揮の道具によく使われる材料です。

上野動物園の園内にも植えてある。さすがだ…↓

うちのサイトではおなじみ、たびたび御世話になってる伊勢貞丈『軍用記』に、こうあります。

『軍陣に勝軍木を用ふる事(日本紀元享釈書等に見えたり)昔聖徳太子守屋の大連と戦ひ給ひし時ぬるての木を削りて四天王の像をきざみて頂の上において戦ひ給ひければ太子軍に勝ち給ひしによりて摂州四天王寺を建立し給ひしなり、其の吉例を以てぬるての木を勝軍木とも勝木とも名付けて是を軍陣のとき用ふるなり、勝軍木本名白膠木と云ふ、ぬるでともぬりでともいふなり』

仏教大好きの蘇我馬子たちが、仏教大嫌いの物部守屋たちをやっつけようとしたが、国防省と警視庁を敵に回してるわけだから劣勢になってしまい、厩戸皇子がヌルデの木で四天王の像を作り、勝たせてくれたら四天王の寺を建てますと祈ったら大逆転したので、約束どおり四天王寺を建てた。

有名な話ではあるんですけど、なぜヌルデだったのかが微妙です。

ヌルデは柔らかくて彫刻しやすい木だから、急いでる時に都合よかったのだろう、それで勝ったから、この時から日本の軍事では縁起物になったのだろう、と俺は解釈しているのですが。

現代の人が書いた歴史の本だと、以前からヌルデはラッキーな木だった、だから、縁起をかついで仏像の素材に選んだ、という口ぶりなんですよね。
たとえば『歴史読本[1992年9月臨時増刊]歴史ロマンシリーズ〈特集〉決定版「軍師」のすべて』(新人物往来社)の、「軍師の歴史」というページで圓谷真護氏が

『霊木のヌルデの木を切ってす早く四天王の像を造り(略)』

と書いておられる。
ことによると、俺が知らないだけで、もっと早い時期からヌルデを神聖視してたことが考古学的に判明してるのかもしれないですね。
もしそれが中国文化だとしたら、いや、当時の人が手本にするっていったら大陸文化しかありえないんで(しかも蘇我氏側ならば、なおさら)、気になります。

じつは四天王寺っていうのは、寺じゃなくて稲荷系の神社らしいんですけど、宗教の秘儀に関することなので、ここでは割愛します。
ちょっと思いついた話もあるんですが、まだ確信が持てないので、後日加筆するかもしれません。

もちろん、聖徳太子なんてのはウソ八百のかたまりだってことが、現在の考古学では確定しちゃってるんで、この人に関する伝説は大幅に割引しなければならない。
だからこそ、興味深いことです。
こうだったということにしておけばかっこいいな、と当時の人が思うような形に、ウソが塗り固められているだろうから。
しかも、それこそが、中国文化を標準や手本にしてる可能性が高い。

隅田是勝『宇佐美伝記』に、『其後、良賢久寓居摂州天王寺、而生一男子。』とあり、『武経要略』の著者は、今の大阪市天王寺区に住んで、お子さんも生まれて腰を落ち着けていた。
鞭は、難を転ずるから南天とか、神功皇后の故事にならって熊柳を使うことも多いですが(山鹿流などでは熊柳を推奨する)、四天王寺になじみが深い人にとっては、縁起をかつぐなら聖徳太子&ヌルデだったのかもしれませんねえ。

 

 網を広げておく

沙悟浄の武器を調べるコンテンツに、どこまで寄り道するんだか自分でもわからなくなってきましたが、意外なヒントがあるかもしれないんで。

日本のことは日本のことだから、無理にこじつける気はありません。
シロートが歴史を研究すると、こじつけの連想遊びに終始しやすいので、ちゃんと確認とれることだけにしておきたいです。

ただ、俺の師のひとりにクリスチャンがいて、宗教的に偉い人は馬小屋で生まれるものらしいとシルクロード経由で聞きかじって厩戸皇子という名前にしたに違いないと、生前よく言ってました(笑)
正倉院御物の7世紀の分とか、
一体どのくらいまで外国文化の影響を受けているかは油断がならない。

日本は、どんなに政権交代しても首相が代わるだけであり、王朝(天皇家)まで入れ替えるという意識はきわめて薄く(じつはあったことはあったが、恐れ多くて、そんな大それたことは世間が許さなかった)、だから日本人はいつも日本人だった。
中国では王朝ごと交代しちゃうし、異民族に征服されたりするから、必ずしも文化に連続性がない。
中国が発明して発展させた理論や道具が、中国ではまったく使われなくなり、すたれて忘れられてしまって、それを中国から取り入れた周辺国のほうがさかんに使っていて、まるでバックアップファイルのようなことになり、それを後世になってから中国が逆輸入してふたたび使うということが、武術や宗教では結構あります。

それに、謙信公みたいにガチガチに潔癖な人間は、正式な、由緒正しい、古式にのっとった、という物を好む傾向があるはずなんで、なおさらです。

だから、上杉謙信の話は、まあ一応ですが、一応でも必ずやっておきたかったわけです。

 

次のページでは軌道修正して、深沙神と沙悟浄の見た目の姿について。

 続く→ 

 

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