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 杖じゃなくて、ムチなのだが…

鞭。
関係あるようなないような、不思議なジャンルなので、これも書いておきます。
日本では武将が軍隊を指揮する時に、軍配団扇や采配などを振って合図を出すんですが、鞭も使います。

武器としての鞭は、軟鞭と硬鞭があり、インディジョーンズみたいなロープ状のやつと、鉄の棒みたいな撲殺用のやつですが、それとは別に、日本には指揮用の鞭があります。
だいたい乗馬用の鞭か、それに近いものです。

時代劇で町奉行が出動する時によく持ってるやつ、見た事ありますよね?
たいてい藤を巻いてあって、弓に似てるから弓折(ユミオレ)といいますが、だいたい黒塗りで、グリップには皮を巻き、手貫紐をつけてることが多い。
素材は、実用性では普通は竹、あるいは茱萸、縁起をかつげば熊柳、白膠木、南天などですが、後述します。

長さは各種あり、だいたい3尺前後、しかし長いものは5尺を超えるのもあり、名前は鞭でも、まるっきり杖に見える
これは流派の違いだけでなく、各流派の中で用途によっても違い、犬追物用、参拝用、靫に収納するやつなどのほか、なぜか
礼用というのもあるから困ってしまう。

 

 謙信公の鞭

越後上杉軍のノウハウは、後世まとめられて、軍隊の指揮方法の流派になってますが、上杉謙信を元祖とするものと、上杉謙信の軍師である宇佐美良勝を元祖とするものと、両方を元祖にしているものがある。

俺の手元にある伝書には、青竹を使ってた理由の記述はなさそうです。
また時間ある時に全部くわしく読み返してみますが。

謙信公を元祖にする流派、または元祖のひとりに含む流派で、一番重視される教科書、澤崎景実『武門要鑑抄』には、(手へんに毛毛毛。さいはい)、采配、厳鞭といった言葉が出てくるほか、法螺貝の使い方について述べた箇所で、『出陣前に毘沙門堂にて御修法』することが書かれている。

また、澤崎景実『武者草鞋』の「具足着様」に、
一、鞭扇さし様、并決拾の事
と項目だけはあり、鞭を使うということはわかるんですが、ただの乗馬用の鞭かもしれない。

今のところ、そこまでであり、それしかわかりません。

上杉軍の統率の良さは、例の「鞭声粛々…」というやつなんで、鞭を好むんじゃないかとは思います。
それを継いだ景勝公も同様だったみたいで、出典は忘れましたが、富士川を小舟で渡っていたとき、いっぺんにたくさん乗りすぎたせいで沈没しそうになり、激怒した景勝公が立ち上がって鞭をサッと振ったら、それだけで家臣たちはビビッて反射的にいっせいに川に飛び込んだ、とかなんとかっていう話があって、ここでもやっぱり鞭なんですよねえ。

 

 宇佐美先生の鞭

謙信公には、宇佐美良勝(初期の名前は定行、このほうが通りがいい)という軍師がいて、謙信公のすぐれた戦術は、結局、この人から習ってたわけです。
謙信公とはものすごく親しくしてたのに、晩年はあんまり仲良くなかったようでもあり、どう扱っていいのか微妙ではありますが。

この宇佐美系で一番重要な教科書『武経要略』というのがあり、孫の宇佐美良賢が書いたとみなされている。
その巻第十二に、道具のことがいろいろ書いてあるんで、鞭の部分を全文掲載しときます。
漢文ですが、書いたのは日本人ですからね。

『所謂鞭者非尋常之器物、所以示将意而使衆者也。惟直惟円、惟稜惟節、実比武之形象也。苟非庸人之所用矣。是雖非三尺之鋒刃、而使数万之衆属指揮、恰如馬之随鞭而疾馳也。其長二尺八寸。用白膠木作之、黒塗以藤巻之二十一筋也。取柄六寸、二指伏上開於穴。貫入一尺二寸、装束革六寸、一方劒形也。』

ムチは、その形がいちいち武をあらわしているっていうんですが、これは竹の杖でも同じことですねえ。
しかし角竹では、その理屈は通用しなくなる。

馬がひっぱたかれて走るように、これで軍隊を駆使する、だから指揮官だけが持つ特別な道具だ、ということですが、素材は竹じゃなくてヌルデ、しかも黒塗りにしてる。

 

ヌルデ、御存知のとおり、これまた毘沙門天に関係してます。
だからこの話に寄り道したんですが。

 続く→ 

 

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