杖なのか? 3尺は約90センチですから、身長が低くても杖と呼ぶには少し短い。 沙悟浄の武器の検証やってるコンテンツとしては、謙信公の竹がどうだったかよりも、韋叡公の竹の長さが問題です。 たとえば、足腰が不自由だからという理由で、長めの竹を、まったく杖として使っていたのか。 ただの指揮具だとは思いますが。
如意棒を取られた? なんの根拠もない想像ですが、たとえば…。 将軍が、竹を切っただけのシンプルな杖のようなものを持って指揮するということが、古代中国で一般的におこなわれていたとする。 すると、初期の『西遊記』では、沙和尚(のちの沙悟浄)は当然そういうものを持っている。 ただの竹なので「葬式杖」にも似ている。 最初は武器ではなくて、ただ単に杖、旅をするから杖をついて歩くというくらいだった。 あるいは、三蔵一行は全員が竹如意を杖にしていたのかもしれない。 現在のような『西遊記』になっていく過程で、悪者との戦闘シーンが、物語の面白みの中心になってくる。 少林寺とどちらが早いかはともかく、僧侶の武器として棍が一般的になる。 悟空の如意棒とキャラがかぶってしまう、というより、悟空に「如意としての棒」を独占されてしまう。 劇中、わりと無抵抗または力の弱い者を、問答無用で棒で撲殺するシーンがたびたびあるが、そういう大ざっぱなことは、思慮深くて冷静な悟浄よりも、短気で怪力な悟空のほうがふさわしい。 しかし、悟浄が「杖」を持っているというのは、すでになじみがあるから、従来の設定を引きずってしまう。 悟浄の武器は、「如意棒ではないが、なんとなく杖のようなもの」という程度のまま、設定がきちんと決まらないまま、現在に至ってしまう。 いつの間にか、読者たちの間では、月にちなんだ杖つながりで、悟浄の武器は禅杖だろうと解釈される。 …なーんていうのが、いや、あくまでも想像ですけど、しかし案外、真実に近いのかもしれません。
白角 韋叡公が使った指揮具が、白角の如意だっていうのは、素材が、白竹の角竹ってことでしょうね。 竹は、1年目は白っぽいし、白っぽい品種もあるし、枯れたり病気にかかったりもするし、「晒」といって湯でアクを抜いて漂白してから使う場合もある。 乾燥した土ぼこりの中国で白いのを使い、草木やコケが多い日本で緑色のを使う、どちらもわざわざ目立たない色ではないか。 角竹っていうのは、四角いスイカみたいに、タケノコのうちから板で閉じ込めて、四角く育てるのがあるんです。 パンダやってる者として言いますが、青竹のままの、水気や油気があって、青臭く猛々しいすがすがしさと、白い竹の、人生枯れまくって円熟しきったシンプルさや軽快さは、全然ちがう方向です。 白竹っていうのは、表面ツルツルで、きれいな竹だから、ことによると楽器かもしれないという方向も検討しなければいけないかもしれません。 それに、竹の断面が丸ではなく角だと、少々まずいことがあるんです。
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