←もどる 

 

 葬式杖がわかっても、なんにも謎が解けない

劇中、八戒はしばしば悟空の悪口を言いますが、第三十回では、如意棒のことも葬式杖と言っている。
葬式杖は、どうやら八戒の(または作者の)、ただの
口癖らしいですね。

しかし、如意棒の場合は、(作品の引用は、より漢文に近くて直訳的な平凡社版のほうから引用します。以下、特記しない限り同様)
『そのうえ、うっかり、あいつの気に入らないことでもしゃべろうものなら、あのめっぽう重たい葬式杖にひっかけられ、すくい上げられちゃうぜ。そうなりゃ、こちとらは命がなくなるんだ』
という言い方であり、くらったら最後あの世行きという意味で葬式なのであり、バカにしていても
、威力は認めている。

悟浄の杖の場合は、葬式の杖みたいだから、たいした威力はない、という口ぶりに聞こえる。
見た目に、葬式の杖を思わせる何かがあるらしい。

少なくとも俺が読む限りではそう思える
んです。

悟浄が仲間になる回、第二十二回、大河の中から恐ろしげな妖怪(つまり沙悟浄)がいきなり出てきて、三蔵をさらっていこうとするから、とっさに悟空は三蔵をかかえて高みに退避させ、八戒が悟浄を攻撃した。
本当はこの時、悟浄は、お経を取りに行く高僧がいずれここを通ることは知っていて、お供に加わるつもりでいたんだけど、お互いに説明したりされたりするヒマがなかったから、しばらく戦いになっちゃうわけです。

『 妖怪は、八戒がやって来るのを見つけると、飛び出して来て目の前に立ちふさがり、大声で
「急ぐな、急ぐな。さあ、この杖を用心しろ」
 八戒はまぐわを振り上げて受け止める。
「そんな葬式の杖みたいなもので、おれさまに用心しろも糞もあるものか」
「きさま、知らねえな。おれのこの---(中略)

このコンテンツの5ページめに書いた、月の木を加工したすごい武器だという話、おまえが持ってるのは田んぼを鋤いてナッパをかき集めるのに適してるだけだ、という発言が、ここでおこなわれる。それに対して、

 八戒は笑って、
「この悪党め、おれに打たれたいのか。野菜の根もとを掻こうと掻くまいと大きなお世話だ。おれのまぐわはな、ちょっとさわっただけで、一度に穴が九つもあき、血が吹き出すんだから気をつけろ」』

俺が勝手に主観で疑ってるだけですが、これはどうしても気になる。

八戒だって長柄武器を使っているのに、なぜ八戒は、悟浄の杖を「葬式の杖みたいなもの」と言ったのか?ってことです。

八戒のまぐわ(熊手)だけが偉くて、それ以外はくだらない武器、という意味だけとは思えない。

実用性のない、もろい杖、すぐにこわれる杖、という意味で、バカにして言っただけかもしれませんが、それにしても、悟浄の杖が、竹または桐でできてるように見えるのかもしれない。

 

 あくまでも、警察のように可能性を消去していく

今のところ考えられることは、だいたい3つ。
これが解決するまでは、納得できません。

 仮説1
もしかしたら葬式の杖というのが、ただの棒切れではなくて、スコップか輪か房がつけられていたりして、少なからず‘金産’のたぐいに似ているのではないか。
このコンテンツでは、これまで、主にこの方向で考えてきたわけです。

 仮説2
あるいは逆に、葬式の杖にあるのと同じ特徴が、悟浄の杖にもそなわっているのではないか。
葬式杖が白いのは日本での話ですが、もし、これが中国の儀礼をマネしたものだったりして、中国にも白い葬式杖があるならば、前述の中国の
絵本で、禅杖の柄の部分が白色だったことが気になる。
「白い」という表現が、ホワイトではなくナチュラル、白木というような意味で、塗装していない木肌のままということではないかという可能性も、もちろんあるけれども、中国の武器で柄が白色になってる例はあんまり見聞きしたことがないので、珍しいことだとは思うんですよねえ。
普通は、塗装してない赤樫なんです。

 仮説3
ひょっとすると沙悟浄の杖は、あんまり刃がついていなくて、ただの棒切れのような、杖っぽい杖なのではないか。
だから八戒は、熊手には刃が多いということを自慢したのではないか。
ただの杖だったら、大いに納得するんです。上杉家の長い話になるので、後述します。
指揮官が職権の象徴として杖を持つとか、杖を振る合図で指揮するとか、兵士が杖を持つ人であるとかいう表現は大昔からある。
例の稲荷山古墳から出た鉄剣の銘、うちは代々「杖刀人」のリーダーをつとめてきた、なんてことが書いてあったりしますよね。

結局のところ、中国の「葬式の杖」を見ないことには判断しかねる、ということに違いはない。

 

次のページでは、沙悟浄の杖の素材について。

 続く→ 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送