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 世徳堂本

世徳堂本『李卓吾先生批評西遊記』は、日本の内閣文庫に現存してます。
それが
岩波書店から出ているのですが、最近(と言っても丸一年以上前だが。2005年)、文庫本で新訳が出ました。
訳者は中野美代子氏。

デスマス調で、おとぎ話ふうの柔らかい文体に訳しているので、原文がどうなのかがわかりにくいですが、注が興味深い。

新訳を出した理由として、訳者が「まえがき」で
内外の『西遊記』研究および道教研究は、文字どおり長足の進歩をとげた
述べておられる。

つまり、これが現在の日本の書店で入手しうるかぎり最古かつ最新版の、最も正しい『西遊記』ということになる。

しかも、転載されている原本の挿絵が、平凡社版よりも、はるかに鮮明で大判です。

このページからしばらくは、岩波版の注から興味深いところを御紹介し、それを中心にしながら、俺が知ってるところや考えてるところを書いていきます。

 

 葬式杖は、やっぱり蔑称だった

岩波版は、葬式杖の説明が平凡社版よりも詳しくて、こう書かれてます。
一字、変換できない。■は、弥の人べんのやつです。

『葬式杖---原文は「哭喪杖」。哭喪棒とも。父母の葬式に際して、喪主が手にする杖。悲しみのあまり痩せおとろえ、この杖にすがりつかないと歩けないという意味をこめる。次の「てめえのご先祖さまに、てめえの葬式をお見せするのかい?(原文は「叫■祖宗看杖?)」は、この「哭喪杖」を「祖宗」に見せるという、ありえぬ事態を指している。』

葬式のとき杖をつくというのは、こういう意味だったんですねえ。

注の後半部分は、ファックユアマムのたぐいですね。
自分の葬式の準備を持
参とは手回しのいいこった、というような、やはりバカにしたニュアンスで言われるものらしい。

 

 葬式の杖が、やっとわかった

別の本ですが、最近これも読んだので御紹介します。
矢野憲一氏の
『ものと人間の文化史88 杖』財団法人法政大学出版局1998。

著者は伊勢神宮の神官だから、宗教的な分野はプロです。
これの第3章「杖の民俗学」という部分に「葬送の杖」という項目がある。

『 中国の『儀礼』の喪服伝には苴杖(しょじょう・そじょう)という葬式に喪主が携える黒色の竹の杖が出てくる。また削杖という桐の杖がある。
 桐の杖では裂けやすく折れやすいだろうが、実用でなく葬礼用に使ったのだ。
 古代中国で近親者が死ぬと一年間は喪に服し、哀悼に衰えて歩行困難で杖が必要になるほどの期間を杖期といい、夫が妻のため、子が母のため服したが、夫に父母のある場合は不杖期として、杖を持つほどは服さなくてもよしとされた。この忌服用の杖は男は竹、婦人用は桐を用いたという。』

以下、日本での例ですが、こう書いてある。

『 平安中期の後一条天皇の葬送を記す『類聚雑例』や『西宮記』には、藁沓をはき白杖を持つとあり、孝明天皇の葬送絵図にも公卿や殿上人らは白い桐杖を持ち藁沓をはいておられる。この古例は明治・大正天皇の大喪儀にも行なわれた。
 死出の旅路へ導くために喪主が白杖を持つことは、天皇葬送に限らず、葬儀社が関わる最近の葬礼以前の民間の野辺送りの葬送にもよく見られた。近年も東京の神社の宮司さんの葬儀に喪主が白杖を突いておられたが、大正天皇までは葬送の高等官は藁沓・白杖姿であった。(以下略)』

白い杖、これ、おぼえておいてください。
このあと、伊勢市楠部町の葬儀で青竹を杖にする例があること、この青竹は葬儀から帰宅するとすぐに折ってしまうこと、青竹を杖にしてはいけないというタブーはここから来ているらしい、というようなことが書かれてます。

 

 続く→ 

 

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