←もどる
『西遊記』の歴史
今さらナンですが、この物語がどうやって成立したか、平凡社版『西遊記』の解説で太田氏が述べておられるところを要約して引用します。
7〜10世紀、唐。
玄奘三蔵法師が本当にインドへお経を取りに行ってきた。
その伝記がいくつか書かれ、みずから書いた旅行記もある。
これらは記録として書かれているから、基本的にはノンフィクション。
しかし般若心経をとなえて悪鬼を退散させたなど、のちの『西遊記』の原形となったであろう箇所がある。
12〜13世紀、南宋。
このころになると、史実というより小説として書かれた玄奘伝が出るが、現在の『西遊記』とはあまり一致しないし、断片的にしか現存していない。
しかし悟空と悟浄の原形である「猴行者」「深沙神」が、道づれとして登場するようになる。
このあと、ますます実際の玄奘伝からかけ離れていくが、異民族や山賊や商人や農民の暮らしぶりや、民間伝承や宗教観など、ある程度は史実を反影しているのが『西遊記』の魅力であり、『封神演義』のようにまるっきり子どもだましのウソ話にはならなかった。
13〜14世紀、元。
このころ、『西遊記』という題名が言われ始めたらしい。
内容も充実し、道教の錬金術思想にちなんだ構成になってくる。
それにともなって、このあたりで八戒も登場するようになったらしい。
『西遊記』ではだいたい道教が悪者で、仏教がいい者になっているが、最初は道教の世界観の物語だったものが、後世、仏教寄りの内容に書き換えられたらしい。
現在の西遊記とはだいぶ違う西遊記が、当時いろいろあったことが、他の書物や戯曲などから判明している。
14〜17世紀、明。
現在の『西遊記』の原形と言えるものがだいたい完成したが、なくてもいいような詩などが膨大についていて、ムダに長く、文章量で現在の倍以上あったらしい。
これを大幅に削除し、エンターテイメント性を高めたものが、おおむね現在の『西遊記』と言えるが、それはいくつかの版本が作られており、主なところは3つ。
世徳堂本
『李卓吾先生批評西遊記』1592年陳元之序、編者不明、華陽洞天主人校。20巻100回。
周か魯あたりの、王府の所蔵本を元に、あちこち手を加えたもの。
省略しただけでなく、付け加えたり、改めたり、大幅に積極的に変更している。
構成は、第何話という概念が強い。
現在の西遊記はほとんどがこれ、またはこれを省略して、足りない部分は朱鼎臣本で補ったりしたもの。
楊至和本
『唐三蔵出身全伝』。楊至和編、朱蒼嶺刊。4巻40則。
ものすご〜〜〜く省略しまくっている。
前半は世徳堂本に似ているが、後半はだいぶ違っている。
削っている量は多いが、削らなかった部分は、世徳堂本よりも忠実に原形を残しているらしい。
朱鼎臣本
『唐三蔵西遊伝』。朱鼎臣編。劉蓮台刊。10巻67則。
前半は世徳堂本に似ているが、やたら詳細に話が進み、原形を正確にとどめていると思われる。
特に、世徳堂本や楊至和本にはない、三蔵法師の出生エピソードがある
(この伏線がラストで必要になるので、もともとあったのに他の版本では省略してしまったらしい)。
後半は楊至和本を写したものらしい。
後半の省略がはなはだしく、烏鶏国・車遅国・通天河などが丸ごと欠けている。
17〜20世紀、清。
さらに省略が進むが、しかし三蔵法師の出生物語は入れて、全体を100話に編集するのが一般的になる。
『西遊真詮』とは
俺が使ってる平凡社版は、清代の簡本『西遊真詮』陳子斌(悟一子)1694自序が底本です。
かなり遅い時期の、省略版ということになる。
にもかかわらず、これこそが『西遊記』の王道だと思って俺が愛読している理由は、内容が標準的だからです。
太田氏いわく、
『かなり中庸を得た編纂』
『あまりにも奇矯な点は、この本では緩和している』
『常識的な編集をおこなっており、全体を通じて繁簡よろしきを得ている。そのため清代では非常に流行したもので、『西遊記』といえば、ほとんど本書をさすと思ってよい。現代でも商務印書館の国学基本叢書本はこれである』
という具合です。
さらに、和訳がうまくて、戦前の人がやってるから文体が男性的で角張っていて硬い。
この朴訥としつつも格調高い感じが、古典の雰囲気に合ってると思います。
ただ、前述のとおり、イラストだけは、明の時代の世徳堂本から転載している。
中国武術をやっている中国人、『西遊記』についてなにか主義主張を述べる中国人、『西遊記』のイラストを描く中国人、…というような人たちにとって、最も一般的で公約数の『西遊記』のイメージは、最も普及してる『西遊記』つまり『西遊真詮』だと思う。
その内容が正確かどうか、由緒正しいかどうかは、また別。
なんで、こんな話を御説明したかというと、その正確で由緒正しい『西遊記』、つまり世徳堂本、じつは全訳が他社から出てるんです。
その話へ続きます。
続く→ |