←もどる 

 

 信じて疑わない状態

今回は、俺が子どもの頃にやってた西遊記ゴッコについて(笑)

悪役は、ばくぜんとしてました。
誰も悪役なんかやりたがらないし、『西遊記』の悪役ってのも名前が難しかったり印象が薄かったりで、よく知らなかったので。
キンカク・ギンカクと、ラセツニョくらいは知ってた。
名前を呼んで返事をしたら負けとか、下敷きであおいでいたらバショーセンとか。
女どもと口喧嘩になったら、自動的に西遊記ゴッコを始めて、うるせえ女を敵に見立てたり。
あと、道具は何にでもサンマイなになにと名付けるとか。
同じ遊びをやってる連中にでくわすと、むこうはニセ悟空に決定(笑)とか。

ゴッコっていうのは、ハカイダーとかシャアとか新選組(鞍馬天狗から見た場合の)とか、どうかすると主人公より魅力的なくらいの敵がいて、その役をやりたがる子がいないと、敵がいない状態になってしまい、つまらないんじゃないかと思うんですよね。

ほとんどの子は悟空役。分身という解釈だから。

術も、きん斗雲を呼ぶのも、動作はおおむねマチャアキ版のマネ。

術は、マフラーの毛糸クズなどをちぎって吹き飛ばしました。
自分の髪を抜くという気合が入った奴もいた。

この、魔法の術というのが都合よくて、何でもアリだから、「火炎で攻撃」「はいダメ、雨で消されてしまった」「雨で消えない火を出した」「じつは下に耐熱服を着ていた」とかなんとか言い合うんですよね。

如意棒は、そのへんにある棒状のもの。
傘とか、捨ててあったカーテンレールとか、なかなか凶器なものを回す子もいた。
アンテナみたいなボールペンをただ伸ばしたり縮めたりするだけという子もいた。
俺はすでに棍を使ってました。
後輩にスタージンガーのオモチャを持ってるのがいて、黄色いプラスチックの棒で、たしか尖端側面にゴムパッドがついてて、内蔵バネで少しばかり伸びるんだけれども、あっけなく折れた。

体型が似た奴がいれば、八戒担当。
メガネをかけた奴がいれば悟浄担当(ビカビカビカァ〜〜」という技を出した。ドリフ版の仲本さんのマネ)。
この2つは強制で、見た目がそうなっている人は必ずコレであり、他の役になれなかった。
いなければ、ナシでやる。いないことが多かった。
これらの役は、ホウキか何かを武器に見立てたのだと思いますが、よくおぼえていない。

あんまり参加したがらない子や、一緒に遊んでやらなきゃいけないが年下すぎて参加させにくい子は、加トちゃん。
ドリフ版のオリジナルキャラです。
ただ一緒にいればいいというだけの役割。

あと、きん斗雲。
公園のすみに停めておいた自転車や、近くの誰かの家に使わなくなった三輪車やおさがりのスケボーなどあれば、それを持ってきたり、自転車の場合、荷台に悟空役を乗せて操縦する係。
普段はほかの役をやっていて、この時だけ、一時的にやる役です。

白馬というのが2種類ありました。
ひとつは、下校しながらゴッコをやる場合、「交代でやる荷物持ち」で、やはり一時的なもの。
ランドセルは自分で背負ったままでかまいませんが、ピアニカとか習字セットとかは、手がふさがるので。

もうひとつの白馬は…、これがよくわからない。
スポーツ万能でハンサムな子が(この遊びに参加してるわけではなかったのかもしれないですが)、いつもくっついて歩いていて、いざという時に、この子が叫んで走り回ったら、設定も配役も全部パーになるという、最終兵器というかジョーカーの札みたいなもの、これが「馬」「白馬」と呼ばれてました。
『8時だョ!全員集合』で、ときどき白ぬりの顔で舞台袖から出てきて、カン高い声で笑う人がいて、キチガ○じみてるようで目が冷静で悲しそうで、子ども心にすんごく怖い存在で、これが一体何者なのか当時は誰にもわからなかった(一説には志村さんだと言うが、どう見ても別人だった。性格の悪い女たちが例外なく、この志村説を唱えていた)。
すわしんじさん?とかおっしゃるマネージャーだか準メンバーだか、ドリフの一員に数えないがメンバー「のようなもの」らしいと、かなり後になって知ったんですが。
とにかくドリフ版『西遊記』の白馬は、この人が演じているらしいということは意見が一致したところでした。

それで、三蔵役はというと、必ず女の子がやっていたんです。
あれは尼僧だ、と勘違いしていて、頼まなくてもすすんでやってくれた。
そのくらい夏目雅子さんのイメージが強烈だったみたいで、また、スタージンガーの三蔵はお色気の姫様だったから。
史実の三蔵法師が男性だということは、男子はみんな知っていたけれども、女子にはほとんど知られていなかったので、俺が説明しようとすると、それは教えるなとみんなに止められた。
女子にとっては、エスコートされていい気分らしくて、こっちとしては、こんなおとなしい役をやる男なんかいないから都合よかったわけです。

 

 誰かが定義したもの

これと同じことが、武術書にも言えるかもしれません。

たとえば江戸時代に書かれた鎧に関することは、そんなの使わなくなって何世代もたってるから、かなりインチキな記述や図もある。
中国の武器も流行り廃りがあるから、その本が書かれた時代や地域や民族では、その武器は使われていなくて、見る機会もあんまりない、っていう状況もあったかもしれない。

また、一部の武術には多彩さをことさら売りにするような方向があって、実際はそんなに全部を使いこなせるわけでもなかったり、使えても得手不得手とか性に合ってるというのがある。
勉強としてはどの技も道具も一応やりますけど、結局は得意なものを中心に、関連するものを、いわば自分のパレットの色の品揃えを組み立てていくことになる。

文献は、そりゃ尊重はしますが、間違いも相当あると思う。

正しかったとしても、ローカルルールは個々の現象であって、統一された取り決めではありませんね、当たり前ですが。
どんなに正しいことでも、
その時代にその地域でその戦場でその武術団体でそうだったというだけ、事例のひとつにすぎないということです。

 

 ひとまず、終わり

さてさて、ネタが尽きてしまった。
このコンテンツは、全108ページを予定していたんですが。

国会の建物の中央、あのトンガリ屋根の真下に、偉大な政治家を銅像にして飾ってる一室があるんですよね。
伊藤、板垣、大隈という、超大物の像が飾られている。
それで、一か所だけ、場所を空けてあるんです。銅像がなくて、台座しかない。正月には松の盆栽なんか置いたりする。
なぜなのか諸説ある。
将来、大政治家が出た時のために場所を用意してあるとか、ここに飾られるような立派な政治家をめざして努力していこうとか、政治はどこまでいっても未完成で改善の余地があるから考え続けていこうとか、そんなような意味で、わざと空けてあるのだという。
たぶん永久に空白なんじゃないかと思いますね。そのほうが夢があっていい。

このコンテンツも、108ページめは、決定的な事が判明しない限り、書かないでおきたいです。
煩悩のかたまりが道を歩いてるような俺には、業が深くて、108ページ目に到達することすらできなかった、ということで。

それでも、ここはネット上です。
絵を描くため、演劇の小道具を作るため、クイズか雑学か何かのため、沙悟浄の武器はどんな形状なのか今すぐ調べなければならなくて検索して、このコンテンツを見つけたが、文字ばっかりなのでウンザリして、とても全部を読む気はないと思って、
最後のページに結論が書いてあるかなと期待して、最初にここを見たという、そこのあなた!
あなたのために、一言、書いておこうじゃありませんか、せっかくですから。

今の時点で俺から申し上げるとすれば、結局わからない、わからないが、しかし、まあ禅杖だろうなあ、たぶん

とにかく両頭。両頭でなくても柄の末端に金属部品があること。
房はどうでもいいが、輪はつけてください、原作にあるのだから。
これまでに見たものを総合すると、三日月刃はあんまり反っていなくて、かなり大きめ、そして、スコップ刃は全体的に小さめ、かなり末広がりで銀杏くらい、柄はあなたが思っているよりは20〜30センチ長めでよいと思う。

 

最初から全部を本気で読んでくださった御奇特な方は、ありがとうございました。
お疲れさまでした。

釈尊はじめ諸神仏、先行研究それぞれの著者、わが老師師兄武友に、感謝します。
あなたに御多幸と御武運がありますように。
合掌。

 

←もどる 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送