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 影が薄い

実吉達郎氏『中国妖怪人物事典』講談社1996に、沙悟浄の項目があるので、少し御紹介します。

劇中での沙悟浄の存在感が薄いことについて、専門家諸氏の見解が載っている。
やっぱり、みなさんここに食い付くみたいで。

『 この煮え切らない、中途はんぱな役割については批評家も困っている。研究家も沙悟浄の材源、成立史については充分論ずるだけの原料があるのに、キャラクターとしての評価は下しにくく、一言も言及しない人もある。
「おそらくかれは他の三人の異なる個性の間を調整する、潤滑油の役割を担うのであろうが、この形象は成功しているとはいえない」(田中謙二)、あるいは「沙悟浄にどんな性格を持たせるかということは、かなりむずかしい問題だと思います。二よりも三の方が呪術的意味を持っているので、少々無理をして沙悟浄を加えて三人にしたのではないかという気がします。加えたものの、個性がつくまで育たないうちに、小説という形に定着してしまったのではないでしょうか」(『画本 西遊記』村松暎訳 第五巻解説より 中央公論社)』

話の腰を折ってすみませんが、2という数にも呪術的意味はたくさんあるし、2に三蔵を勘定に入れたら3だし、初期の『西遊記』には八戒は出てこない。
八戒は、悟浄よりも後から付け加えられた登場人物です。
続き。

『 また磯部彰氏は以下のようにいう。孫悟空像に雷神像が付加され、猪八戒に民俗神(開路神)の要素が導入され、いっそう親しみのもてるT演員Uとしたであろう。「逆に、中国に立脚する基盤−-民俗神や伝説など--を持たず、あくまで西域の流沙河の妖怪に終始した沙和尚は、形象面での発展が低迷化し、結果として、猪八戒が沙和尚と入れ換わって第二番目の弟子となるのを招くことになった」(磯部彰『「西遊記」形成史の研究』「猪八戒像の形成史とその発展」創文社)』

 

 川の橋渡し役ではなかった!

深沙神の仏教側の出自が詳しい。

『陳玄奘が天竺へむかう旅の途中、八百余里の流沙(砂漠)莫賀延碩で道に迷い、水もなく、倒れ伏しているとき、感得した神であるという。すなわち砂の上に倒れている三蔵の前に、身のたけ何丈もある大神が出現し、「どうして強行せずに寝ているのか」と戟でさしまねいて、はげましたので、正気にかえり、勇猛心をふるいおこしてさらに出発した(長沢和俊訳『大慈恩寺三蔵法師伝』邦訳名『玄奘三蔵-西域・インド紀行』桃源社)。』

やはり『大慈恩寺三蔵法師伝』にあったんですね由来が。

深沙神は、川を渡す神ではなかった。

砂漠の行き倒れに気合を入れてくれる神だった。
沙は沙でも、砂。沙漠。
そもそも悟浄は土属性なんだし。

これは兜跋毘沙門天っぽい出現のしかたですね。やはり武器は戟だという。

『『西遊記』の古い形として有名な『大唐三蔵取経詩話』には深沙神が三蔵が前世においても取経の旅に出かけたのに、それを殺して食ってしまった、その首を袋に入れ首にかけてあらわれる。三度目の正直で、猴行者(のちの孫行者、悟空の前身)がお供をしている三蔵の威に服する。そして金の橋をあらわして自ら支え、三蔵と猴行者を渡してくれる。しかし、西天へのお供はしない。
 この深沙神がのちに沙悟浄に変化して、三人目の弟子となり、お供もするのである。』

なんだよー。
やっぱり橋渡しもやってるじゃないか。
どれが本来の話なんでしょうか。

 

 図は・・・

『中国妖怪人物事典』には、本田庄太郎さんのイラストが転載されてます。
この人は戦前のイラストレーターです。児童むけ雑誌の分野では結構有名な人。

武器は、こんな具合。
あまりこまかく考証して描いたようには見えませんが、ほかにいくらでも選択肢はあったものを、事典と名のつく本が、わざわざ、この絵を採用しているからには、御紹介しときます。

   接続部分の形状不明
                   柄は、このへん以外不明
 □□□  ↓                  ↓
   □□ 
   □□□??????????????????□□□□???
   □□
 □□□   刃は細身だが厚く、弧は大きめ
 
環はない
       

 

刃を拡大します。原画はななめから描いているので推定。

 □□□■   ここ別パーツで1筋か
    □□■  ↓
     □□■
      □□■
      □□■‖??? 〜
      □□■
     □□■
    □□■ ←鎬地がある
 □□□■

 

猪八戒の項目にある絵では、沙悟浄の武器では、こうなっている。
やはり、石突側が描かれていない(八戒の熊手には石突がない)。

 □□□□    2筋か
    □□□   ↓
     □□□  ↓  茎っぽい
      □□□
      □□□□‖‖□□□□ 〜
      □□□
     □□□
    □□□ ←鎬地はない
 □□□□

なお、この本にも『降妖杖(宝杖、三日月型の刃のついた長柄の武器)』という記述がある。
世間では、
三日月刃だということだけは既成事実になってるようです。

誰が、どうして、三日月刃ということを広めたのか。

結局のところ、それにつきるような気がする。

 

またなにか、ほかの本に図をみかけたら加筆します。
次回は、砂漠でのたれ死にという話。

 続く→ 

 

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