←もどる 

 

 時代が合わない

沙悟浄の武器が何であろうと、劇中には‘金産’系統の武器が出てくる。

唐の時代を舞台にしている物語に、明の時代の武器が出てくるのは、そもそもおかしい。

これが逆なら問題ないんです、すたれてしまった古い武器を今どき使う古風な奴ってことならかまわないが、しかし、その時代にまだ無かったはずの武器が出てくるっていうんじゃ、タイムスリップした自衛隊みたいな。

やたらめったら軍拡してる今の中国じゃあるまいし、唐と明ならば、たいした違いじゃねえだろうと思うかもしれませんが、いや、だいぶ違いますよ。
ざっと700年といえば、藤原道長が火縄銃を使うとか、北条時宗が空母艦隊を使うようなもんだ。
武器、甲冑、戦車、ほんの100年くらいでも時代によってちょっとずつ違うものなんです。戦法も国情も変わっていくので。

『西遊記』は、フィクションですから。
おおむね明の時代に整った物語だから、明の時代の軍事感覚で作られているわけで。

時代劇で江戸時代を描写するっていうと、だいたい化政年間の様式で作るから、黄門様や赤穂浪士や吉宗公や新選組の時代には無いはずの食べ物や髪型が出てきたり、そういうことはよくあるんですよね。

人間たちの間で‘金産’という武器が使われる前から、神様の世界には‘金産’があったとか?(笑)

この問題について、一応、書いておきます。

 

 計算しようと思えばできる

劇中では、三蔵法師が長安を出発したのが貞観13年の秋。
史実ではその10年くらい前に出発してますが、なんにしても7世紀前半。

悟空が五行山の下敷きになって反省猿になってたのが500年間。
ってことは、反省しなきゃいけないようなことをいろいろやらかしたのは、後漢の後期くらい。

天界の1日は下界の1年ですから、反省500年というのは、もしかすると365倍なんです。
しかし、神様にとっての500年前ということになると、それこそ人類が猿みたいな原始生活してた時代にまでさかのぼってしまう。
悟空は妖術の修行段階で人間とも会話してますから、この500年は人間界の500年でしょう。

  ※追記
 あーる様から、鋭〜〜〜い御指摘をいただきました…。
 『えっと、自転がだんだん遅くなっていくのはご存知ですよね。「地球の1年間の日数」が天界の1日の長さだというなら、単純に365倍じゃありませんよ。』
 …とのツッコミでございます。
 ごもっともだ!!! ちょっと手元の本で調べてみたら、地球ができた時は5時間で自転1回転!、9億年前でさえ地球の1年は485日!
 うへー、どうすんだコレ? 当時の中国人はそんなこまかいこと考えてなかったよ絶対。俺も考えてなかったけど。
 ま、ここでは、おおよそということで、お手やわらかに、どうかひとつ(笑)

陽が沈む方角の果てに死後の世界や不老不死を司るものがあるとか、聖母が住んでいて特別な果物を扱っているとかいう話は、世界中にありますが、それの中国版が西王母の桃の果樹園で、この桃が実ったら神々を招いて「蟠桃会」というパーティをおこない、桃をふるまうことになってます。
それをほとんど全部ぬすみ食いしたっていうのが悟空の罪のひとつ。

この桃は、一番早いものでも3千年に一度しか実らないという設定です。
悟空を逮捕して祝いのパーティがあり、悟空が摘み残した桃が少しあったから御釈迦様に御献上になりました。
これは「安天大会」という名前の、終戦の祝いだった。
この行事は、通例とは違うやり方でも蟠桃会の一種だったのか、それとも、この時の蟠桃会は中止になったのか。
俺は前者と見ます。

悟浄は、蟠桃会でうっかり盃を割っちゃったから追放になったわけですが、いつの蟠桃会か。
悟空が暴れた時ではなく、その前回だとすれば、漢から3千年前っていうと、たぶん夏王朝も始まってない。
というより、御釈迦様が、まだブッダになっていない(笑)

やはり、「安天大会」は蟠桃会だったんでしょう。
悟空が暴れた直後に、悟浄も下界に落ちた。
悟空が山に押しつぶされてた500年間に、悟浄は何をやっていたかというと、前世の三蔵法師を殺し、生まれ変わってきたらまた殺し、ということが9回、さらに、閻魔様の裁きとか四十九日とか「魂があの世にいるということになっている時間」も計算に入れて、だいたい500年でちょうどよさそうです。

 

 八戒も

八戒がすけべえして追放されたのも、蟠桃会の時です。劇中、自分でそう言ってる。

悟空と八戒が出逢う第18回では、悟空が攻めて来ると知った八戒が、
『あの天宮を騒がした弼馬温というやつは相当の腕前だ。』

と言い、戦わずに逃げ出そうとするから、悟空のことは知ってたらしい。

それはまあ、神通力かウワサで、後から知ることもできるでしょうが、悟空のほうも初対面のとき
『きさまは天蓬水神のなれの果てか。道理でおれの名を知っているわけだ』

などと言ってるし、これに対して

『ふん、きさま、上を欺く弼馬温め。あの騒動をひき起こした時、おれたちにどれくらい迷惑をかけたか知らぬくせに、(略)』

などと言い返しているから、
八戒が天界を追われたのは、悟空が暴れた後でしょう。

500年間では西王母の桃は実らないから、悟空が封じられている間に蟠桃会はおこなわれていない。
ってことは、「安天大会」は、やっぱり蟠桃会の一種だったような感じですねえ。

 

 天地は、それ以前からあった

天上界は、もっと昔からあったんです。
『西遊記』に出てくる玉帝は、1550劫の修行をなさって、君主としての資質を身につけてから即位されたと劇中にある。

1劫というのがどのくらいの時間かは、諸説あって、落語の『寿限無』で言うところの「五劫のすりきれ」っていうのは、「人類の誕生から滅亡までは4劫だ」っていう仏教の考え方なんですよね。
エアーズロックみたいに巨大な一枚岩があって、一辺の長さが、牛車が1日に進む距離と同じだけあり、そこへ100年に1度だけ天女が降りてきて、服のスソが岩の表面をちょっとなでることになる、というのを繰り返していって、岩がすり減ってなくなるよりもまだ長い時間が1劫だとかなんとか。
そんだけ長時間ならば、軽い布との摩擦なんぞよりも、普通に雨や風や川で摩り減りそうなもんですが。

とりあえず劇中では、1劫は12万9600年だと、御釈迦様がおっしゃっている。
1550劫なら、2億88万年ですね。まだ恐竜がいた時代だ。
これに比べたら、デーモン閣下が10万何歳なんてまだまだ若僧、MAKO姫が3千年前から生きているなんて赤ちゃんでしゅ。
しかも、これが神様時間の2億88万年だとすれば、さらに365倍、まだ地球ができていないどころか宇宙が始まっていない!(笑)
これもまた、人間の感覚での2億88万年なんでしょう。

この玉帝は初代ってわけじゃないはず。
話の感じでは、この人の前に、少なくとも1人は玉帝がいたようで、この人は就任したという印象を受ける。

それはいいんです。
中国の最初のころの支配者たちは、牛頭人身だったり、人頭蛇身だったり、なんか怪獣っぽい格好をしてた。
中国神話は、地球ができたばかりでドロドロしてた頃の、まだ空も海も陸もなかった状態から話が始まってるんで、三葉虫やアンモナイトを集めて王様やってたのもいたかもしれない。

歴史の分野で言う「中国」というものは、必ずしも国の名前でもなければ民族の名前でもなく、ユーラシア東側のあの地域でおこなわれていた出来事の総称なのだから、何億年前だろうが、まだ類人猿だろうが、なんなら、まだ五大陸がくっついてた時分だろうが、とにかくあの地域でその時その時やってたものは、みんな「中国」で間違ってない。

そういう億単位の話になってしまうと、漢や春秋の時代の人が作った武器が、どうして石器時代の大将軍の手に渡ったのかとか、老子も生まれていないうちから、どうして仙道を極めたのかっていうのは、あんまり意味がないことです。
御釈迦様も、解脱したのはゴータマシッダールタの時だが、それ以前に何度も生まれては死んでいて、一説にはウサギだった前世もあったというから、前世で恐竜やってたこともあったかもしれない。

こういう人たち(人じゃないが)にとって、たかが百年や千年は、記憶違いや、勘定の誤差みたいなもんだ(笑)

『西遊記』のいくつかある続編や外伝のひとつ、17世紀に作られた『西遊補』(これも東洋文庫から出てるんで読んでみました)には、心はあらゆる時空に到達しうるから唐の話に宋の人物の魂が出てきてもいいのだァとかなんとか、わかったようなわからないような説明が書いてあります。

 

次回は、エノケン版に限らず、映像化された作品が生み出す問題について。
って言うほど御大層な話じゃありませんが。

 続く→ 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送