秘伝書を読み取る

伝書は、まず出回る数自体が少ない。運よく見つけても、たとえば新陰流の絵巻物が180万でしたよ。そんなの買えるかいな。起倒流や宝蔵院流の巻子本が3万なんて掘出物もなくはないけれど、ありふれた内容だったり御予約済だったり。手に入っても毛筆が全然読めやしない。うちの実家は書道の塾ですが、専門家でも判別できないことがよくある。

復刻版で活字になっていても、たとえば棒術で逆手と言ったら体操鉄棒の順手のことだし、敵の右と言ったら向かって右なのか?相手の右か?とか。

名詞はまあなんとかわかるとしても、ねばる、はる、けずる、うつらかす、うろめかす、まぶる、ぬく、ふむ、こす、せく、そばむ、しこなす、というような動詞は、どういう意味でその表現を使ったのか、現代と同じ意味なのか。
だいたい武門に生きた人は文武両道でも朴訥なのをよしとして、あまり洗練された文章ではなかったり、方言が入っていたり、逆にものすごい博学で、古典漢籍や有識故実の知識を前提にした言い回しだったり。

もちろん解説のついた秘伝書もありますよ。でもそれはそれで解説した人の主観が入ってるから、わからないなりに原文で読むことも大切です。やってるうちに急にわかる瞬間がある。

というのは、たとえば、説明というか修飾のかかり方。べつに古文書に限ったことじゃありませんが。
「あれをこうやったAさんの弟子Bさん」などと言うと、こうやったのがAさんなのかBさんなのか。
こういうの、ライターの世界では、「みにくいアヒルの子」なんて言うんです。俺も15の時から雑誌の文章書いてますけど、うちのサイトでも、ときどき、あーこれは不正確だと思って書き直すなんてことはしょっちゅうです。

 

漢文まじりに書かれると、どこでレ点を打つか判断に苦しむことがある。
しかも、原文がそうなってるのか、現代になってから編者がそう読み下したのかが、ようわからない。
禅寺の入口には、なまぐさと酒は「山門に入るを許さず」と漢文で提示してあるんですけど、これを「許さざるに山門に入る」と読むギャグがあって、許したおぼえはないんだが入ってきちゃうんだよなあ、しょうがねえなあ、えへへ、ということになっている。

ビデオも出てるし演武会もあるから、実際の動作を拝見してしまえばなんのことはないだろうというと、それがまた落とし穴。

形(カタ)は必ずしも実戦のシミュレーションではないので、鍛練や怪我防止や隠匿のために省略や変更が必ずある。まして部外者が見せていただけるのは見せてもかまわないような所だけで、もし包み隠さず見せてもらえたとしても、とうていその秘奥の微妙なニュアンスは、うかがい知れないものがあるわけです。結局は、その団体を10年なら10年キッチリやって、手取り足取りと口頭で教わるよりない。

武蔵先生は、奥義なんてものはないとおっしゃってます。あるとすれば、よくよく鍛練あるべし、基礎を繰り返しやることです。そうして初めて、先人の知恵と経験が貴重なヒントにもなる。理論が先行すると行動力が減り、師を侮り、練習を疑うようになる。

禅のほうに、悟りは個人の体験からしか生まれない、師から継承することはできない、師はきっかけを作るだけだ、という大原則があります。

暴走族用語で、刃物で刺すことをサクるというんですが、これはサクッという擬音からきているわけです。

武道で「さくる」というのは、無比無敵流などがよく使う言葉で、こういう状態(左の人)のことです。下から上へ跳ね上げるというか。たいてい前手は逆手。「しゃくりあげる」というような意味のようです。

この画像は大阪のほうの渋川流です。この団体でこの動作をさくると言うかどうかはわからないけど、たまたま似た画像があったものだから(これは跳ね上げてるわけじゃないけど)。あいかわらず8ミリビデオから取り込んでるので、荒くてすみません。

 

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