ド素人
右に書いたとおり、俺はたいして模型をやってきませんでした。
模型が一番の趣味でなくても、俺よりもはるかに模型少年だった人は、たくさんいると思います。
うちのサイトは、「世間ではみんなこうするが俺はこっちのやり方のほうがやりやすい」とか、「やりやすいけれど、このやり方だとこういう失敗もおきるから注意したほうがいい」というようなことを御紹介していきたいと思ってます。
しかし模型に関しては基本的なことも知りませんので、このコーナーは、どうかそのつもりで読んでください。
ましてや、帆船模型は生まれて初めてです。
…と思ったのだが、ガムのオマケの差し込みプラモで、たしかに日本丸を作った記憶がある。「木製」帆船が生まれて初めて、でした。
卒業した
模型は、興味がなかったのではなくて、機会がなかったという感じです。時間がなかった。
中学以降もオモチャ屋には行っていたんですが、銃くらいしか買わなくなってしまいました。
周囲の友達も、高校くらいからは、模型にかける情熱がほかの分野に散ってしまったようでした。バイクを改造したり、楽器を工夫したり。オーディオのスピーカーを自作なんて人が結構いた。
テレビを見ることをしばしば禁止されたり、中学からは時代劇のほうが好きになってしまったので、ガンダムはア・バオア・クーが陥落して以降まったく続編を見てません。ボトムズ、マクロス、ザブングル、エルガイム、ダンバイン、オーガス、バイファム、レイズナー、ドラグナー、ゴーグ、ガリアンなんてのも一切見たことがなく、模型を見かけても思い入れがない。
薬師丸ひろ子さんは、御本人も曲も全然いいと思わなかったのに、映画を観たら大好きになったので、昔の番組を観る機会があれば好きになるかもしれませんが、DVDを買うほど興味もなくて。
去年だったか、初めてイデオンというのを見かけて、映画版らしいんですがテレビでやってたので観ましたが、あのメカを作ってみたいとは思いませんでした。しかし、当時あれの消しゴム人形を俺はたまたま持っていて、みんなから破格の条件を提示されて譲ってくれと言われたので、あれがかっこいいものだったらしい。
やはり少年の心というか、感性がピュアなうちに見ないと、あこがれとかときめきが少ないんじゃないかと思います。
感覚がズレた
現実の軍事には興味あるけれど、それをオモチャで遊ぼうという感じではなくなってしまいました。
たとえば、本格的に模型をやってる人にわかりやすく言えば、俺の本棚には『ジャーマンタンクス』があって、ドイツの工業力を調べたりはしますが、戦車のプラモは興味ありません。
俺の親友寅吉は、ロボット工学を専攻して、今は工場の自動生産ラインの設計をやってますが、子どもの頃からプラモは全然やらずに、ジグソーパズルなんぞをやってました。
美術は職業
デザイン科もクラフトをやるので、模刻の課題はさんざんやらされました。野菜や果物を本物そっくりに油粘土で作るとか、紙粘土で作って着色までするとか。
親戚に彫刻家がいたので、小学校から桂粘土を使っていたし、選択授業も技術や美術をとっていたので、木彫や金工や陶芸もひととおりやりました。
あと、スーパーリアル画も必修だったので、エアブラシ2台と小型コンプレッサーも持ってますが、これを模型に使ったことは一度もない。
石膏像は、高校のときパヂャントを買ってもらい、その後、自分でアリアスと本読みを買いました。たぶん、こういうのを毎日毎日9時間くらい凝視してたせいで、模型に興味がなくなっていったのだと思います。
仏像彫刻は、石彫で観音像を作ったことがあります。木仏は、道具や材料を買ったけれど挫折してしまった。これもいつかやるつもりなので、やる時はこういうページを作ります。儀軌は得意分野なので。
そんなわけで、仕事で版下だのカンプだのチマチマしたことやってると、趣味をやるにしてもスカッとスポーツをやりたいので、ますます模型から離れてしまいました。というか、時間があるなら、とりあえず眠りたいし飲みに行きたい。
よく、体育大学で部活も陸上同好会というギャグがあるんですが、趣味くらいは違うことをやりたいわけです。
フィギアをやってる人にわかりやすく言えば、俺の立体造形は参考作品として予備校の備品に御取り上げになったし、俺の恩師はテレビチャンピオンに出ました。
タイムカプセル
17歳の時に、木製帆船キットを買ってきて、未来の自分へのプレゼントとして封印しました。
今、自分の模型歴を振り返ってみたら、海軍好みだったようです。これだけはどうしても作ってみたかったけれど、当時は時間がなかった。
オッサンになってから、なんか渋い書斎で煙草や洋酒を片手に作ろうと思ったわけですが、しかし模型は絶版ということがあるので、将来入手できなかったら困るから、買うだけ買っておいた。案の定このメーカーはつぶれてしまったらしいんですが、キットは今でも売ってるようです。
今年になって、ふと思い出して作ろうと決めました。今も時間ありませんが、あきっぽい昔と違って、毎日コツコツ少しだけというペースができるようになったので。
その製作過程をお見せしていくのが、このページの趣旨。
帆船模型
これを知ったきっかけは『通販生活』でした。模型の特集号があって、実際に使えるヴァイオリンとか、大人むけのキットがたくさん紹介されていた。そこに木製帆船も載っていて、大型のもたくさんあったけれども、ハーフムーンとかサンタマリアとか、もうちょっと初心者向けの小船もあり、その中にこれがありました。
その時はべつにどうとも思わなかったけれども、後になって欲しくなり、行きつけのオモチャ屋に聞いたら取り寄せてくれると言うんで。
当時の値段で定価が3万ちょうど、その店はポイントカードがたまると金券になるんですが、ポイントはつけない条件で2万5千くらいに負けてもらいました。そこの店員さんのひとりが武道家で、珍しい武器をプレゼントしたことがあったので、お礼に店員価格にしてくれたみたいです。
オカルトがらみ
帆船のウンチクは、いずれ別のページで御説明しますが、これはガレオンの2世代前の形式です。
この船にした理由は、ズングリ丸い船体が美しいと思ったのと、このくらい小型のほうが「所有している」という実感があり、場所もとらないから。
それに、これは世界最古の帆船模型のコピーだそうです。
もともとスペインのバルセロナに近い小さな海岸町の、聖マタロ教会の屋根の梁にぶらさげてあった模型が、米英をめぐりめぐって今はオランダの博物館にあり、それを今井科学株式会社さんが復元したもの。当時、教会にこういう模型を奉納する風習があったんだとか。
それがまた、祈願ではなく感謝であるところがミソで、危険な航海から無事に戻った人が奉納したんだそうです。俺はそのへんが気に入りました。荒くれの船乗りたちに、こういう謙虚でピュアな心があるというのは、硬派のお手本みたいなもんだ。
もともとが、そういう縁起物の模型だから、俺も神道や密教の手順を入れて、一種の御神体というか形代として作ることにします(笑)
宇宙船
このメーカーは国産帆船模型の最大手だったそうですが、これほどの一流メーカーでも、外国製に比べると設計に省略が多いらしくて、特に索の張り方は、船を知ってる人からみればかなり異なるらしい。そもそもが実船ではなく模型を模型にしたものだから、俺も資料的価値は考えず、改造しまくって武装も積み、宇宙船として作るつもりです。
第2掲示板から来てくださってる方は、キゥイー・セカンドというのが、なんのことやらと思っていたでしょうが、この城は飛行船型の宇宙船を上空にうかべて、観測と迎撃をやるという設定にしてあります。クイーンエメラルダスザセカンド・マユオーヤマ号、略してQE2。この宇宙船の下に帆船型のゴンドラをつけて、クィーンエメラルダス号の2番艦にしようという、計画だけは築城前からあったわけです。このへんのくわしい話は別のページを作ります。
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模型・オモチャ歴(完成品も含む)
こうして見ると、なんだかんだ親に愛されていたなと感謝せざるをえない。同年代の方は、なつかしーとウケてくださるかもしれません。
食玩プラモ
ガムのオマケは、スペースシャトルとかサターンロケットとかコンボイとかF1マシンとかジープとかアメリカンバイクとかF18とかバートルとか民間ヘリとか三翼複葉機とか魚雷艇とか、あらゆるジャンルを30個くらい作った。
安いし、塗装もいらないし、これでプラモへの興味が満足されてしまったらしい。なにしろ、プラモなら高嶺の花の88砲まであったし、S戦車とか軍艦ミンスクとか、珍しい機種ばかりだった。
ハメ込み式だから、分解して何度も楽しめた。柔軟なプラスチックだった。
車
70年代のスーパーカーブームはリアルタイムだったが、乗用車のプラモは作ったことがない。
わりと大きなブリキのパトカーを持っていた。ゼンマイではなく、空回りさせればしばらく車輪が回り続けるというやつ。
三輪車に乗ってた頃に、ペダルをこいで進むRX-7似の乗り物を御近所から中古でもらったが、もう体が大きくなってて乗れなかった。
金属のミニカーは2〜3台買ってもらったが興味は薄かった。お金持ちの子だけが、大量に買い集めて立体駐車場でぐるぐる回らせるものだった。
チョロQのランチアとワーゲンとポルシェを買い、ランチアは色を塗って狼にした。
ミニ四駆とかは作ったことがない。周囲でやってる奴もいなかった。
タミヤの戦争関係は、戦車は作らなかった。兵隊を数体と4連20ミリのほか、シュビムワーゲン、フォードか何かの米軍の水陸両用車、ピンクパンサー、ケッテンクラートを作った。いま思うと、やはり船が好きで、小さくまとまったものが好きだった。これでアクリルやエナメルを使い始めた。
飛行機
駄菓子屋で売っていた、うすい発泡スチロール板の戦闘機が一時期ブームで、放課後の校庭で飛ばしあったが、いつもすぐ壊れた。
プラモとしては、クラッシャージョウに出てきたシレーンとかいうやつと、やや大きめのブラックタイガーを作った。
父の友人がたずねてきた時、弐式大艇?のキットを土産に買ってきてくれたが、これは子どもには難しいからと父に没収され、父が作った。しかも、時間がかかるから要らない部品は省略したとか言って、こまかいパーツを大部分捨てやがった。のちに父と縁を切ったのは、これも遠因のひとつになっている気がする(笑。今は復縁してます)。
船
ウォーターラインを10個くらい作った。塗装なしでもサマになるし、ヤスリがけも簡単で、ラクだった。
伯父に、何でも好きなオモチャを買ってやると言われて、大きめの戦艦武蔵のプラモを選んだ。水上走行できた。
ロウソク熱で進むポンポン船を作ったことがある。
マブチの水中モーターが好きで、これだけでも楽しくて、風呂に持ち込んでいた。
宇宙もの
100円の『さらば』版ヤマトのシリーズは、ほとんど全種類作ったが、ヤマトとアンドロメダはどの店にも売ってなかった。最初に作ったのはコスモゼロだった気がする。たぶん、これが最初に作ったプラモ。初めて色も塗り、最初に使ったのはラッカーだった。
ヤマトの超合金を友達にもらったが、スマートすぎてピンとこなかった。パースがつきまくった、あの丸っこい姿が好きだったので。
特撮もの
レオに出てくるマッキー2号の小さい超合金と、マックシャークのバッタもんをイトコにもらった。
アマゾンとストロンガーのベルトを買ってもらったが、俺がほしかったのはXだった。
スーパーXのガレージキットなのか塩ビみたいな素材のやつが激安だったので買ったが、映画を観てないんで、どういうメカか知らない。たぶんまだ実家にあるので、後日塗装して、これも城に組み入れます。
ロボット
火星大王というのか、電池で歩いて、胸にテレビ(正しくは走馬灯だが…)が映るロボットを持っていた。
かなり大きなマジンガ−Zのソフビを先輩からもらったが、操縦席がなかった。
超合金は誕生日というと買ってもらい、お年玉が入ると自分でも買ったが、たいてい人にあげてしまった。ダンガードA、大鉄人17、テッカマンのロボット、バルキリーのS型、ガンダムMk2など。タイムライタンを友達にもらい、これは毎日握って拳法の練習に愛用した。
バルキリーは、バトロイドモードのプラモも作った。
ガンダムは、グフとジムキャノンを作った。ジムキャノンは製作中に肩パーツが割れて、メーカーから取り寄せた。
ダグラムは番組も2〜3回観た。ソルティックの白いゴム人形(塗装を楽しむもの)と、蟹みたいな戦車のプラモを買った。
ハイコンプリートという完成品の、ゲルググ、エルガイム、バイファム、ライディーンを買った。これでロボット物は満足し、卒業してしまった。
レゴはバッタもんを使っていたので、本物には人形や武装がついていると知ってショックだった。
ロボダッチは長い間その存在すら知らず、知った後も幼稚に思えて買わなかった。いま考えてみれば、あれこそ秘密基地や海軍の一大世界観だし、しかも今井科学さんの商品だったらしい。
列車
999はよく観ていたが、鉄道模型には興味なかった。
三輪車に乗ってた頃に、またいで地面を足で蹴って進むプラスチックのSLの乗り物を御近所から中古でもらった。
キャラメルのオマケで、小指くらいの大きさのダイキャストのSLを金と黒3つくらい持っていた。
ラジコン、有線
文字どおりサーキットから電気を供給されて動くカーレースのオモチャ(手元で電流を調節する)をイトコから中古でもらったが、調子が悪くて使い物にならなかった。
回転してるR2D2みたいなやつが直進するやつが懸賞に当たった。これが唯一のラジコン体験。
タイヤが10個くらいついた有線のムカデみたいなトラックが、激安だったので買ったことがあるが、面白いものでもなかった。
動物、昆虫、科学もの
何かのオマケで、カブトムシが箱根細工のように分解したりするのを宝物にしていた。
ゼンマイで手足をバタバタさせる動物を、よく風呂に持ち込んだり、ビニールプールで遊んだ。
学研の雑誌の付録に昆虫模型か何かがあった気がする。
ゾイドはゼンマイのみ。カブトムシ、サソリ、二足歩行の小さい恐竜2体、始祖鳥を作った。
車輪走行で物に当たるとツメが締まるという、わりと大きなゾイドのようなものが懸賞で当たったが、新品でハトコに譲った。
自然科学の店で、リアルな動物のペーパークラフトを買って作ったことがある。
模型とは違うが、電子ブロックの上から2番目くらいの機種を持っていた。
人形、怪獣、ぬいぐるみ
ソフビのウルトラ兄弟セットを買ってもらったが、「ごっこ」は自分の体でやるものだった。
ミクロマンは持ってなかった。
女の子フィギアは作ったことがない(笑)
ガチャポン消しゴムは、まだ20円だった頃に怪獣をかなり集めた。筋肉マンは番組も見てないので1個も持ってなかった。車の消しゴムは興味なかった。
UFOキャッチャーは、どうしてこんな簡単なことがみなさんできないのかというくらい取りまくったが、ぬいぐるみには興味ないので、人に譲って喜ばれた。
武器
銃は、水、銀玉、紙火薬、キャップ火薬、鼓弾、BB弾など、何十丁と買ったが、円盤弾だけは買ったことがない。
レーガン大統領か誰かの暗殺未遂の時に、銃は全部捨てさせられたが、ほとぼりがさめた頃にまた買い揃えた。
モデルガンやエアガンのキットも作ったがチャチなので、完成品しか買わないようになった。改造もしなかった。銃は威力よりも腕だと思っていた。
コルトのシングルアクションの光線銃を撃つと、的についたセンサーが反応して測定というオモチャを2つも買ってきて、二丁拳銃の速撃ちを練習した。ビアンキカップに出てる人に御指導頂いて0.3秒で撃てるようになったが、これが実銃だったら、こんなあわてた握り方では手が吹き飛ぶか、せいぜい小口径だろうなと思い、居合や手裏剣や隠し武器でそれぞれいい師に出逢って御指導頂き、近距離では銃より速いと気付いて、銃は興味が失せた。だいぶ後輩に譲った。
サバイバルゲームは、一度もやったことがない。
武術(特に中国武術)に使う刃物は、これもアルミや合金だから模型だが、たいていのものは全部買い、使い方も大いに練習した。
その他
小型扇風機という、まったく実用にならないキットを作ったことがある。
電動ドリルのキットは乾電池駆動だったが、ACアダプターに改造して愛用した。
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